Last update on Jun.12th,2004



アイルランド紀行




アイルランドにやってきた

絶景かな!絶景かな! Kinsale

僧侶と鳥の島 Skelling Rock

阿呆と煙は... Chrifs of Moher

大草原を走る N59

アイルランドの北の果ては、アイルランドである Mailn Head

1周2456km! 







2004年6月3日から6月4日まで


アイルランドへやってきた。 元々そんなに興味があった国ではない。 ペイントンに住み、イングリッシュカルチャーコースでデクラン親父やディビッドに出会わなければ、 おそらく来る事は無かったのではないかと思う。 アイルランドといえば、私にとってはIRAのテロか、日本でもよく飲んでいたギネスビール。そう でなければ、日本のワールドカップで活躍したダフというサッカー選手くらいしか思い浮かばない程 なじみの無い国だったのだから。 国の名前そのものは、小学校4年に各国の首都を一生懸命覚えた時、アイスランドという国の首都は レイキャビクであり、アイルランドというややこしい名前の国の首都はダブリンであるという 「ややこしさ」もあって、記憶はしていたのであるが。 もうひとつ書けば、アイルランドの北の一部は英国なので、ここでは書かないが英国の正式名称が あんなに長くなるというような、なんとも雑学的興味のみしかなかったのである。 しかし、先の二人に出会い、なんとも暖かな人柄に触れ、また、地図で見るとペイントンからほんの 数センチ?の場所にあることから、急速に興味が高まっていった。 デクラン親父がかねがね、 「英国に留学に来て、アイルランドに足を伸ばさないほど愚かな事は無いわい!」 と、言っていたのもあるし、最近元職場の同僚が、短期留学先にアイルランドを選んで、かなりの 好印象を聞いていたので、ビザが取れた直後にアイルランド行きを決めた。 どうせいくなら、飛行機でバーっといっても面白くない。 島から島にわたるのだから、船を使うのが自然である。(ほんまかいな??) 船に乗るにはどこがよいかとか、レンタカーをどこで借りれば効率がよいかとか、調べなければなら ないことはゴマンとあった。 初めに考えたのは、レンタカーを地元でかりて、くるまで英国を走り、フェリーに乗せると高いので、 直前で乗り捨て、アイルランドでまた借りるという案だった。これだと、有名なストーンヘンジとか も途中にあるし、ウエールズの草原を車で走るという「夢」もかなう。 しかし、今回は途中帰国への合間を縫っての旅行で日程が短いのと、歌のパブでなじみのおばさんの 誕生日のために歌を歌わなければならないことになって、なお日程が減ったので、電車を使って港ま で行く事にした。 車で英国を走るのは疲れる、という前回の経験からくる理由もある。 ストーンヘンジやウエールズの話しは、英国一周することも考えているから、そのときにとっておく ことにする。 インターネットを使って、列車とフェリーの時間を調べ、予約を入れる。アイルランドのレンタカー も、ネットで予約である。電話が怖いというか、こういった場合ほぼ使えない私としては、ネットの 存在はなんともありがたい。値段、時間なども多くの選択枝から選べる。 レンタカーにいたっては、業者によって一週間の予約で値段が倍以上も違うのもあった。 お手軽に予約できるものは値段が高いと思っておかねばならないようだ。 今回は次のような旅程である。 6月3日の14時5分ペイントン発の列車にのり、2度乗り換えて20時過ぎにフェリーのある港で ある、Pembroke Dock に到着する。それから6時間!程待って、翌2時45分発のアイルランドは Rosslare Harbour 行きにのり、7時ごろ到着。レンタカーを7時半に借りて、島巡りに出発という わけである。帰りは逆のパターンで、11日朝にアイルランドを出るフェリーに乗って、ペイントン に夜帰ってくる。つまり、1週間の旅となる。 途中の宿は一切予約していない。いきあたりばったりは、旅の楽しさを増すというものだ。 費用は上記のような鈍行の旅なので、少なくとも足回りだけは安くあがりそうである。 往復の列車代が46ポンド。往復のフェリー(もちろん車なし)が学生割引で24ポンド。 レンタカーは安いのが見つかって1週間で130ポンド弱。つまり合計200ポンドで足回りが確保 できた。あとはガソリン、宿、そして自分の燃料くらいとなる。 旅に出る前に、デクラン親父にアイルランドに行く事を報告し、どこへ行けば良いか聞いたら、彼は 自分のことのように喜び、 「今日の宝くじがあたったら、お前と一緒に行くからな!」 といいながらいくつかの場所を、持っていった地図に書き込んでくれる。 一週間という予定は、アイルランドが北海道ほどの大きさの島である事や、わたしの旅のパターンが 「ひたすら走る」ということが多い事を考えても、充分すぎるかと思っていたが、彼の話を聞いてい ると、あと2、3日は必要なような気がしてくる。 まま、そのあたりは行ってから調整すればよい話しだ。 綺麗に晴れたペイントンを予定通り14時5分に出発した。 車ででかけないので、荷物が限られかつ重たいのが少々つらい。 英国の鉄道は、いくつかの会社が列車を走らせる民営路線である。 これの大問題点は、同じレールの上を走っているのに、列車が遅れたりして乗り継げなかったりして も、次にきた電車がたとえ同じ行き先だとしても、乗る事ができないことにあると言われている。 ただでさえ、まともに来る事のほうが少ないといわれる英国の鉄道でそんな按配なのだから、英国人 の持つ不満は相当なもので、この話しをすると先生方は熱っぽく不満を語る。 今回、出発はうまくいったが、途中で遅れ始め、次の乗り継ぎが心配になった。乗り継ぎの待ち時間 は20分である。 列車が乗り継ぎ地である、Bristol に到着したとき、待ち時間は15分になっていた。 つまり遅れは5分だけ。もちろん問題なく乗り継げた。 鉄道について妙な事といえば切符である。 目的地までの切符は、業者を問わずひとつなのだ。 今回の場合座席予約もしたので、切符には「予約した電車にしかのれません」と書いてある。 ところが、切符そのものには出発地と目的地の書き込みしかなく、出発時刻、予約などは別紙である。 どの鉄道会社とも書いてない。そして、検札にはやってくるが、車掌さんは別紙のほうを確認しない。 おまけに予約席といっても、たとえばグレートウエスタン鉄道の場合、特に指定席車という概念は なく、座席の背もたれに予約の場合はレシートが刺さっているだけなので、レシートの刺さってない 席には自由にすわれるのだ。それどころか、間違いなく予約席に座っているかどうかの確認もしない。 行き先のチケットを検札するだけなのだから。 「予約した電車」以外にも余裕で乗れるような気がする。 さて、そこで以下のようなトラブル?が起こることになる。 わたしが、乗り換えた電車の席にいってみるとすでに誰かが座っている。これは先の理由でよくある ことだ。ただ、グレートウエスタンの車両なのに背もたれにレシートがみあたらない。これは困った。 別紙を座っている人に見せ、「コノセキデチュヨネ?」といってみたら、その人はさっと席を譲って くれ、どこかに立ちさった。席を探しに行ったのだと思う。 さて、なぜレシートが無いかと、うろうろ探してみると、なんとわたしの番号はその一角に2つあり、 列車に向かって進行方向(FACEといいます)と反対側とが同じ番号だったのだ。 つまり、わたしの対面の席が元来のわたしの席であり、さきの立ち去った人は譲る必要がなかったの である。 このときにわたしは、前の席に平然と腰をかけている男を非常に悪い奴だと思った。 先の席についてのやり取りは、当然彼は知っている。彼の隣に腰掛けている女性も、確認に加わった くらいなのだから。 わたしは、彼という「悪者」、席を間違えた私という「ばか者」そして、席を譲ってくれた親切な 「あわて者」について誰が一番悪いのか。あるいは誰が一番得をし損をしたのか考え始めた。 しかし、そんな不毛かつ面白くも無いことを考えてもしょうがないので、心の中で悪者の彼に、 「神の祝福を!」とでもつぶやいて、しばらく忘れることにしたのである。 この列車の終点であるウェールズの都市 Swansea まで、彼は対面に座っていた。 ふと思ったのは、彼は彼なりに間違って座っていたのではないかということである。 と、いうのは、対面の席つまりFACEの席には二つともレシートが着いていて、行き先は両方とも Swansea になっている。彼の席はおそらく通路側のが本当だったのだ。 しかし、知ってかしらずか彼は窓側に座った。そして先の騒動で、親切なあわて者が損をしたのだ。 そして、一緒に確認に加わり途中でおりた女性は、これまた「空いていたから座っていた」だけだっ たのである。 わたしはFACE側に座りそこなったが、ま、そんな事はどうでも良いことだ。 ただしこのような場合、日本のようにきっちりしているシステムの方が好きである。 Swansea で、最終目的地の Pembroke Dock への電車(電車と書いていますが、ここまでの列車は すべてディーゼルカーです)に乗ろうとすると、これが2両編成である。しかも、中は満員だ。 予約した席に行ってみると、小さな子供が座っている。今度はちゃんとレシートが付いているから、 確かにその席だ。対面に座ったお年寄り夫婦の孫か何かかもしれないと、男性のほうに席の確認を したら、子供の座っている席の後ろから女性の声がして、子供は席を替わってくれた。 小さな子供に先の別紙を示してもわかるはずも無いと思ったが、今度はおそらくその「お母さん」 が「悪者」ではなかったので、ひとまず席を確保できた。 これがお年寄りだったら、非常に悩んだところだろうが、子供は立っていたほうが将来のために なる。 列車は、がたごととウェールズの海岸線を走る。私の席はFACEではなく進行方向逆向きである。 Carmar thenという駅にやってくると、対面に座っていた先のお年寄り夫婦が降り、列車の中も かなりすいたので、FACE側にかわろうかと思ったら、なんと列車そのものが反対側に進みはじ めた。つまりこの駅に寄って、また次の路線へとはいっていくのである。 自動的にFACE側になり、海岸線を離れてウエールズの牧場風景を眺めながら進む。 列車がちょっと減速したときに、ちょっと大きめのウサギが走っているのが目に入る。 思えば入国の時、ウエールズに滞在したいと言ったものだが、まさにわたしが住みたかった英国 とは、こんな感じの場所だった。 とある駅で、お母さんと子供二人らしい人たちが、わたしの乗っている電車から降りてくる人を 待っているのが目に入った。降りた人を見るとどうも彼らのお祖母さんらしい。 お母さんがこの地に嫁いできたものやらなにやら、事情はわからないが、再会を抱き合ってよろ こんでいる姿を見ていると、とてもほのぼのとした気分になる。 列車はついに、フェリーの港のある終点 Pembroke Dock へと滑り込んだ。 このど田舎の駅から歩いて30分ほどのところにフェリーターミナルがあるはずなのだが、ご覧 いただけるように、そんな感じのする場所ではない。 カモメを数羽見かけたので、海があることは間違いないだろうが。 海に向かって歩いていくと、ショッピングモールがあったので、そこでサンドイッチと飲み物を 買う。これから、この手の食べ物が主食になりそうだ。少し気分が出てきた。 どんどん歩いて、フェリーターミナルにたどり着く。午後8時45分くらいだった。 なんと閉まっている... 「午前2時45分発のフェリーについて、ターミナルがオープンするのは午後11時です。」 電光掲示板にそうでている。(右の写真はフェリーの中です) これはやられたとおもいつつ、しょうがないのでちょっと引き返して、パブを探す。 Navy inn なるパブを見つけて、ギネスをすすりながら、歌の歌詞を覚えて時間をつぶした。 10時過ぎにお客が誰もいなくなったので居づらくなって、フェリーターミナルへと再度向かう。 誰もいないので、ドアの近くに座り込み覚えかけのアマポーラ(カタカナのスペイン語版!)を 歌っていたら、10時30分頃に突然ドアが開いて男性が現れ「中に入っていいよ」とのこと。 歌が聞えたのか、もともとそんなもんなのかわからないが喜んで中に入る。 11時までパンフレット集めなどをし、切符売り場が空いたので予約番号を示して切符を買った。 学生割引なのに学生証を見せろとも言われない。 ええかげんなのやら、大人の国なのやらさっぱりわからないが、これでたしか10ポンドほども 違うのだから大きいのである。 明日は運転をするので、出来るだけ寝ておこうと、大事なものが入ったリュックを枕にして席で 寝る。あまり車なしの乗客は居ないようだ。 目が覚めると2時だった。車の搭乗はすでに始まっている。 そこに30過ぎくらいにみえる男が現れて、なにやら尋ねてきた。 しかし、これが何を言ってるのかさっぱりわからない。 ほんとうにぜんぜんわからないが、エクスキューズミーといったのだから、英語なのだろう。 デパーチャー(出発)という言葉が聞えたとおもったので、「2時45分」といったら、また 何か言って寝てしまった。切符を買った以上、出航の時間を知らぬはずも無いので、またしても 「悪者」ではないかと勘ぐる。 車なし乗客用のゲートが空き、先の男も係りの人に起こされて列にならぶ。 起こしてくれとでも言ってたのではと思っていたから、ひとまず安心する。 ゲートをくぐって、フェリーは右側にあるので、そっちへ行こうとしたら「左です」と言われる。 左に曲がると、バスが止まっていた。 なんと、バスを使ってフェリーに乗り込むのだ。 たしかに桟橋やタラップを使うと、接続に手間がかかるのだろうから、これも面白い方法である。 先の2代目「悪者」氏は、他の英語のわかる二人連れの男をみつけて話かけていた。 何度か「パードン(失礼)」といっているのが聞えるから、やはりわかりにくい英語らしい。 「一緒してよいか」という言葉がなんとなく聞えてくる。 バスがフェリーに入り、階段を使ってデッキに上る。案の定、日本のフェリーのように雑魚寝の スペースなど無く、ソファーに場所を確保して寝る事になる。電気がこうこうとついているので、 持ってきた眼帯が役に立つ。 車で眠たくなったときに有効なので持って来たのがヒットだった。 4時間ほどの船旅、ほとんど寝てすごす。いつものごとく盛大にいびきをかいていたと思うが、 こればかりはどう謝りようにもしょうがない。気がつくと、近くにいた一団が場所を変えていた ので、もしかするとわたしのせいかもしれぬ。 フェリーのアナウンスも非常にわかりにくかった。 どうやって上陸するのかよくわからないが、おそらくあのバスを使うのだろう。 一緒にバスに乗っていた夫婦連れらしい人たちについていったら、やはりバスに向かったので、 勇気百倍一緒にバスに乗り込む。 昨日の「悪者」が現れない。一緒に喋っていた2人連れの男はすでにバスに乗っている。 本格的悪者だったかと思っていたら、係りの人に連れられてやってきた。 彼も悪者ではなく、どちらかというと「おろか者」の類だったのかもしれない。 しかし、どうしてあの二人連れが彼を見捨ててきたのかが釈然としないところだった。 バスがなかなか発進しないからいぶかっていると、なんと数台前の車がバッテリーをあげている。 これはフェリー内で同じ経験があるので非常に気の毒に思う。彼の車をよけてバスは発進し、 無事アイルランドに上陸した。 しばらく行くと税関と思われるゲートが見えてくる。その前に男性がバスに乗ってきて、入国の 検査を始めた。日本人だというと、「ついてきて」といわれて、事務所らしいところでスタンプ をおしてもらう。3ヶ月有効との記述が見える。 私だけのために待ってもらっていたバスに小走りで戻り、バスはやっとターミナルに到着した。 ターミナルでレンタカーの手続きをする。 どえらい陽気なおじさんが、「うわさどおり」とてもえ〜かげんな手続きをする。 国際免許を見せても「番号がようわからん」なんて言って日本の免許の番号を入力し、日本の 免許期限が平成表記なのでわからんとなると、わたしに「ここに書いといて」とペンをわたした。 フォードのフォーカスという、予約より1ランクよい奴を貸してくれたそうで、「ランクの低い 奴をいままで貸した事ないんや!」と当たり前のことを言う。 車の鍵をもらい、やっと荷物を少々安心して置ける場所を確保できたと、早速車に向かう。 おっちゃんの言うとおり、良い車だった。 フォード・フォーカス・セダン。どのくらいのエンジンかも、どっち駆動なのかもわからないが、 オドメーターを見る限り、とにかくまだ3653マイルしか走っていない「新車」という事になっ ている。まぁ、この辺は眉唾と思っておく必要があるが、新しいと思うに越した事はない。 エンジンをかけ、アイルランドでの旅が始まった。 アイルランドは、左側通行なので運転に問題はない。 ただ、例のごとく Roundabout が存在する。 わたしは幸い Milton Kyenes を初めとして、英国で経験があるので戸惑うことなく利用できた が、「英国やアイルランドは左側通行だからOK!」などと考えていきなりレンタカーなどを 使う方があるとすれば、これは本当に危ない話しになるのでお気をつけ頂きたい。 もう一度書いておくが、Roundabout とはロータリー式の方向転換の方式である。 基本的ルールはひとつだけ。それは、右からやってくる車が絶対優先であるということだ。 これだけ覚えていれば、とりあえず事故なく突破できる。あとは、Roundabout に入ってすぐの 道を行きたい、つまり単純な左折を考える場合は、左へ方向指示器を出しておく。もちろん、 ロータリーを回転中に左折に入る場合も、左へ方向指示器を出す。 つまり、Roundabout を抜けますよと待っている人に示してあげると、他の人の行動がスムース になる。しかし、それは相手にとってあくまで目安であり、自分の後ろにまだ周回する人が いたとすれば、あくまでその人が優先になるわけである。 これは書くと難しいが、実際に「右から来る車が優先!」ということだけ頭にあれば、あとは 慣れの問題だけでさほど難しくない。 何もしらないでこれにあたると、きっとパニックになるので、お役に立てればと思う。 さて、「新車」であるしサンルーフまで付いている我がフォードは、快調である。 デクラン親父お勧めの小さな町 Kinsale までとにかく行って、宿を見つけて早めに休むことに する。前夜まともに寝ていないので、今後の行動を考えるとそれが一番だ。 アイルランドで2番目か3番目に大きな町 Cork の少し南に位置する町だ。 アイルランドの道は走りやすかった。英国のように車が多くも無く、ヘッジといわれる植物や 岩で出来た牛や羊用のフェンスについても、あっても高くないし、道自体も全体的に広い。 ただ我がフォードは英国用の車らしくマイル表示なのに、道の案内がkmなのがややこしい。 マイル表示をしているのもあるように思うから、移行中なのかもしれない。アイルランドは 通貨もユーロを使うEUの国なのだ。 さて、オドメーターによると約3時間20分で約140マイル走って、Kinsale に到着した。 米国の時と違い、のんびりした旅行である。 この旅で難しい部分として気がついたのは、米国のときは目的地そのものが有名な町だったり 場所だったりしたので、道案内が途切れるようなことが少なかったが、たとえば今回の Kinsale などは、道案内の表示をみつけるまでが一苦労。 かなり町に接近してからでないと出てこなかった。 しかも、アイルランドの道のやりにくいところとして、その道案内がわりと方向転換すべき道 のかなり直前にあることが多いので、気がついてみるとやり過ごしたりしてしまったりする。 皆さんそんなにのんびり走っているわけでもないから、かなり地元向けな標識であるといって 良いと思う。おまけに小さくて見にくいのも厳しい。 もうひとつ予想外の問題が見つかる。 道々ラジオを聴いていて気になる言葉が出ていた。 「バンクホリデーのウイークエンド」 どうも今度の月曜日が祝日で、この土日は格好の観光日になっているようなのである。 金曜の夜に宿が見つかるものなのか?果たしていくら位とられるものなのか?? 不安を胸にしながら、無料駐車スペースを見つけて車をとめ、町に繰り出す事にした。 ざっとうろうろしてみて、今日の晩は音楽をやっているパブが多い事、Vacancies(空室)と いう表示の出ているB&B(朝食つきの宿:Bed & Breakfast の略)がいくつかあることを 確認したが、値段がさっぱり出ていない。 意を決して一件のB&Bに入り、値段を聞いて見る。 「キョウ、ヒトリトマレルアルカ?」 「トマレルアル。」 出てきたおばさんの英語はカタカナで書きたくなるほど、わかりにくい英語だった。 値段を聞くと、初め50ユーロといったので、「 Good price...」といって考えかけると、 「45いや40でいいわよ」 となり、交渉成立。 なにやら、わたしの部屋は丘の上にあるということだけわかり、一緒に行くのかとおもって まとうとすると、「行っといて!」なんて言ってるから、しょうがないのですぐそばの階段 を上って待っていた。しかし、一向におばちゃんは上がってこない。 すると、丘の上の家のドアが開いて、なかから今度はかなり若い娘さんが顔をだした。 「あら、待ってたんですか?」 この英語はわかりやすかったが、今度は何を言い出すことやらといった話である。 40ユーロの部屋は屋根裏部屋だったが、とても綺麗でシャワーもちゃんと付いている。 車から荷物を持ってきて、ベッドに横になった。 ペイントンで15ポンドも出して買ったガイドブックを開く。 さて、どこに出かけたものか? まったく話しが逆である。 普通どこかに行きたいところがあるからその場所に行くものを、今回は場所が先にきまって いて、あとからその内容を吟味しているわけである。 とんでもない旅行があったものだ。 ガイドブックを見ていると、面白そうなものを見つけた。 Charles Fort といって、1670年ごろに「イングランド人」が建築した要塞の跡である。 町から3kmほどのところというから、丁度よい散歩かとおもい短パンに着替えて出発する。 綺麗な海岸線を歩いていると、今度は道そのものが狭い緑のトンネルに変わった。 朝、Rosslare港を出たときは曇り空だったものが、いつのまにか汗ばむ陽気になった。 3.5ユーロの入場料を払って要塞に入ると、そこはまるで中世に紛れ込んだような気分に させられる場所であった。 ガイドには「against foreign naval forces」(対外国海軍)用に作られたとあったが、 要塞ではスペインに対するものとして紹介がしてあったように思う。 ペイントンのあるトーベィ一帯にも、スペインとの戦いにゆかりのあるものが多い。 英国もアイルランドも、昔からいろいろな軍と戦ってきたのだ。 今回の英国での出航の地である、 Pembroke Dock も、ドイツ空軍の攻撃を受けてロンドン 大火以来となる英国史上2番目に長い延焼をしたことが、フェリーターミナルに記されて いた。 しばし、中世から現代にかけての戦争のことを想い、また未来にも同じようなことをする 時代が来るのだろうかと考えながら要塞を後にした。 さっきの緑のトンネルをくぐって、町へと帰る。 さすがに眠たくなったので、ちょっと昼寝をしてから町にでかけ、ピアノの生演奏が聞え てきたパブに入り、アイルランドで一杯目のギネスをすすった。 さて、明日はどこで何をするものか? ガイドブックを見ながら考えていると、また眠たくなったので寝るとしよう。 朝食は8時30分である。 (長い一日目でした。これも2日にわけて書きました。まだ、電話線の使える場所には  きていません。何日目にHPに載せる事ができるものか楽しみです)


2004年6月5日


今日は大満足だった! 朝、どこへ行くか決めるため、ガイドブックをめくっていたら、アイルランドの南西の端と いう記述が目に付いた。 これは行ってみる価値があると一人合点し、朝食へでかける。 昨日の難しい英語を喋るおばちゃんが出てきて、また難しいことばで何か話しかけてくる。 「昨日はよい日だったか?」とか、「部屋は問題なかったか?」とかいうのはわかったので、 ちゃんと両方よかったと答えたが、肝心の朝食についての話がよく聞き取れない。 値切ったからあまりよく無い飯でもでるかいなと思っていたら、ちゃんと英国風?の目玉 焼き2つにベーコンとトマト。それにソーセージとおいしい何かの塊みたいなもの??と が付いた朝食を持ってきてくれた。これが英国のそれとちがって、油っこくなくて、とて もおいしい。量もたっぷりあるし、トーストもおいしいのがついてる。 デクラン親父が 「アイルランドの朝食は、昼飯はくわんでもええくらい出るぞ!」 といっていた一端がうかがえた。 部屋を片付け、荷物をもって、おばちゃんのところへ行き、40ユーロを差し出すと、 「またおいで!良い旅を!」 といったので、「あなたも良い日を!」といったら、「私は仕事よ!」なんておどけて みせる。握手をしてさよならをした。 言葉がもうちょっとわかれば、おもしろい話相手だったろうと思う。 さぁ、疲れも少ない状態でのはじめてのドライブ開始である。 と、いきなり方向がおかしいのに気がついて、地図をたしかめ逆戻りする。 これからも何度もあるとおもうから、なにしろあせらず、くさらず、のんびりと行こう! 後ろから来る車を追い越させて、のんびり走っていると、なかなか良い風景が次から次へと 現れてきた。 写真は、ちょっと曇っているからかあまりよいできばえではないが、このあたりの雰囲気は、 想像していたアイルランドの風景そのものであり、水、花、草、石垣、そして小さな家が風景 にうまく溶け込んでいた。ちなみにここは、R600といわれるローカル道を Kinsale から 西へ少々走ったところである。 さて、道々にストーンサークルといわれる遺跡があるらしかったが、歌を歌いながら気分よく 走っていると、見事にやり過ごしていた。 もうかなり通り過ぎているので、見物するのは止めにする。 ダートムーアでもそれらしいのを見たがあまり面白くなかったので、有名どころとしては本家 本元とおもわれる英国のストーンヘンジを見れば良いやという感じだ。 それよりも今日のメインは、Mizen Head というアイルランド最南西にあたる(これが良くわか らん説明なのですが、そう書いてあります)地に出かけることである。 65マイルほどを約3時間で走って到着。途中狭い道もいくつか通ったが、無事通過した。 またしても入場料を取られる。学生証を示したら、1ユーロ下がって3.5ユーロになった。 これで面白くなかったら、ぼったくりであると思いつつ、「ここから先は有料」と書いてある ゲートをくぐって岬へと向かう。 予想を裏切って、これもまた大ヒットだった。 白い橋は小さい狭い橋なのだが、特に高所による威圧感のようなものは感じなかった。 橋の下の海にはアシカが寝そべっているのが見え、みおろす観光客の脚光を浴びていた。 ここで最高の絶景は、おそらくこの橋から眺めるほかの絶壁(右下)であろうと思う。 岩の隙間から、次のまた絶景が次々と覗いて見えるこの光景は、2次元の写真ではあらわす事 がほんとうに難しい。 灯台でのちゃちな展示には苦笑したが、満足して引き上げる。 突端の地で中年の夫婦が写真を撮りあっているので、「写真とりましょうか?」と声をかけた。 だんなは、ニコンの非常に軽い一眼レフを持っていて、そしてとても撮りやすかった。 ちゃんと取れていることを願いたい。あのカメラ、ちょっとだけ欲しくなってしまった。 気分よく引き返していて、また白い橋に差し掛かったが、なんとコーラのペットボトルが橋の 上に捨ててある。日本人じゃなくても、こんな酷いことをする奴がいるものだ。 せっかく気分が良いのにぶちこわしだと、拾い上げて捨てに行く事にする。 こんなページに書いたのではなんの徳も付かない話であるが、私は自分の部屋はそれこそ地獄 のような惨状であるくせに、こういうゴミは気になるので拾うことにしている。 もちろん、神様が良い事をしたことを見てくださっているから、なにかツキがめぐってくれば 良いなとおもいつつではあるのだが。 ナマグサでもなんでも、拾わないよりは良いと思う。 さて、Mizen Head を大満足で後にし次なる目的地にむかう。 デクラン親父のお勧めに入っていなかったが、ガイドブックで見た写真がいたく気に入った。 それは The Skelling と呼ばれる岩島なのだが、昔そこにはキリスト教の僧侶が住んで修行 生活を送っていたらしい。そんな事より、写真で見る島の形が夢に出てきそうな島なのだ。 この島には現在上陸できないが、島巡りをやってる町があるという。 その町 Portmagee を目指す。 泊まれるかどうか、また船がどんな按配かもわからなかったが、まずは行って見ることにする。 コーラの空き瓶を拾った効果はすぐに出た。 R591からN71、N70と続く道は、本当に絶景の連続だった。 このあたりは岩がごつごつと出た山肌が多い。秋吉台が盛り上がって山になったような感じだ。 一番綺麗だったところは、アラスカハイウエーを思い出した。 「あそこなら、ここにヤギのような動物がでてきたわなぁ...」 と、つぶやいたら、本当にヤギ(だと思う)が出てきたのには驚いた。道端で草を食べている。 残念ながらその一帯は道幅が狭く、とめることが出来るスペースがなかったので写真が無い。 前後を車に挟まれてもいたので、ここにその風景を載せる事はできないが、しかし、この道は ドライブが好きな方なら是非お勧めしたい絶景の道である。 だいぶ案内標識の見方にもなれて、間違うことなく Portmagee に滑り込んだ。 Portというぐらいで、ちいさな港町だ。 B&Bに Vacancies の表示を見つけて値段を聞くと、40ユーロだという。 ここらあたりがわたしの馬鹿なところなのだが、昨日と同じなら良いやと思い。値切りもせず 泊まることにした。なにせ英国で高い値段に見慣れていることもあって、感覚が麻痺している のかもしれない。事前の調査では、この季節宿泊施設の値段が上がるので、もう少し予算を高め に設定していたのも悪影響していると思う。 部屋にはトイレがあったが、シャワーは故障しているとのことで外にあるシャワーを使って欲し いという。テレビもないし、昨日の部屋より条件は悪くなったから、少々不満は残る。 値切りといえばもうひとつ後悔しているのが、島巡りの件である。 これも今回のB&Bのおばさんに紹介してもらった近くの業者だが、4時間35ユーロだという。 約4500円といったところだが、いかにも高い。 いつもなら、昨日のようにうまくごまかすのだが、今日はなぜか両方とも納得してしまった。 あとで両方ともかなり後悔する。 まぁ、両方で20ユーロ値切って3000円かと思えば、これも田舎の町に少々貢献したという ことで、また何かのラッキーの布石にでもなればと思っておくことにしよう。 人間ミスったときは、はやめの気分転換が大切である。 さて、宿もきまったし、今日はデクラン親父のいったとおり昼飯が必要なかった分、だいぶ腹が 減っている事に気がついた。 港町らしくパブには海産物の名前が並ぶ。 ひとつ英国名物のフィッシュ&チップスと比較してみようかと、右下のレストランに入って、 フィッシュ&チップスを頼む。ただし、英国のフィッシュ&チップスは、魚を衣で揚げているの に対して、ここのはフライである。 これは、うまかった。値段も半パイント(約270ml)のギネスをつけて10.75ユーロも 取られたが、これなら文句は無い。 ビーフカレーというメニューもいまだに気になっているけれど、正解だったと思う。 ビーフカレーは、明日船から帰ってきて無事だったら食べてでかけることにしよう。 10時出航で4時間のポンポン船。そういえば私は船酔いするのだ。 高いお金を払ってその上に、魚にえさをくれてやることになるだろう。 そこまでして見る価値のある島だったかどうか? それは次回のお楽しみというわけである。 (もちろん、ここでも電話はつないでおりません)


2004年6月6日


日に日にここが好きになる。 今日も朝から気分が良い。 40ユーロと高いB&Bだが、宿のおばさんの孫娘であるアンちゃん2歳がとてもかわいい。 英語を少しずつ覚えているようで、グランマ(おばあちゃん)の言う事を一生懸命覚えようと している。おばあちゃん自慢の孫娘であるが、どうも話しを聞くと母親が腎臓が悪いかなにかで 入院しているらしく、万事OKというような話しではないようだ。 少々ぼったくられてもアンちゃんにあげたと思えば良いと思った。 朝飯も昨日と同じ内容だったがすこぶるおいしい。 ただこの先控えている「航海」での船酔いが心配なのだが、どうせまき餌をするなら盛大にと おもって全部平らげる。 40ユーロを手渡し、アンちゃんとおばちゃんに別れを告げて、車に戻る。 パスポートなどの入ったバッグを持っていくかどうかで悩む。 もし一緒にいく人が少なかったら、なにやら怪しいのでもって行かないことにしようと決める。 昨日買ったオレンジジュースの残りを持っていく。 今日は日曜でまだ店は開いてないのだ。もう一本買っておけばよかったと後悔する。 予約した桟橋に行ってみると、人が一杯いた。 一隻の船にちょっとさびしげな犬が座っている。 とても可愛かったが、その船ではなかった。 それどころか10時出航のはずが10時30分の便に乗れといわれる。 時間があるので店に戻ってみたらなんと開いていた。 水にしようかとも思ったが、同じオレンジジュースを買ってバッグに忍び込ませる。 10時半ごろに桟橋に戻ってみると、出航の前に説明があった。 説明してくれるおじさんは、昨日35ユーロ即決してしまったおじさんではなく別の人だ。 船が変わるというときに昨日の人が彼を紹介してくれた。 今度のおじさんは、札幌で6週間も貝の養殖?の研修を受けたといって、いくらやわさびの話し でもりあがったのである。 さて、わたしも含めて6人ほどいた乗客にした説明によると、 「もし上陸できなかったら、25ユーロではなく20ユーロで結構です」 ん? やはり昨日のおやじは吹っかけていたわけである。 定員オーバーかなにかで、こっちの船に廻ってきただけで大幅な割引だ。 しかも、もともと上陸はできると思っていなかったので、気持ちの上では15ユーロ得した気分 になる。これは朝からツイている。 しかし航海そのものはやはり厳しいものだった。 エンジンの音も轟々と走るのはよいのだが、外海はうねりがあり前後左右にゆれまくる。 これでライフジャケットも無いのだから、よく飛ばされる人がでないものだ。 左の写真に小さく2つ見えている点が、目指す Skelling Rock である。 どちらかの島にキリスト教の僧侶が暮らしていたという。 先に左側の岩島が近づいてくる。この島には上陸するような場所はなさそうだ。 右側の島には上陸場所があったが、波が荒くてやはり上陸はできない。 この時点までは、エンジンがかかっていたので遠くさえ見ていれば船酔いはしなかったが、上陸 の様子を見るために船頭さんがエンジンを緩めたとたん、頭がくらくらしてきた。 持って行った別のカメラで、写真を撮るためにファインダーをのぞいたせいでもある。 こりゃもう早く撤退したい。 前にいるカップルの女性の方も顔面蒼白である。 彼氏のほうもそんなに調子がよさそうにみえない。 船酔いのある人にはあまり向かない場所といえるだろう。 さて、船は岸壁を離れて、島を一周しはじめた。 岩山の上には灯台や、僧侶が住んでいたのであろう岩屋が見える。 人間なにがうれしくてこんなところに住んで修行?するものやらわからないが、たいしたものだ。 船はやがて一周し終わり、もう一度上陸のチャンスをうかがっていたが、船頭さんはあきらめた ようで、みなに何事か言う。私には何を言っているのか残念ながらわからなかったが、乗客の 何人かが「OK」なんていってるので、理由の説明でもしていたのだろう。 船は岸壁を離れ、帰るのだろうかと思っていたら、さっき見えていたもうひとつの島にむかった。 ここが実は大変なところだったのである。 さっき見えていたのと反対側の岸壁へと船が移動したとき、突然大きな音で音楽をかけ始めたか とおもうと、空一面に鳥が乱舞を始めたのだ。 ヒッチコックの「鳥」ではないが、何種類かの海鳥が上空を乱舞するさまは、船酔いを吹っ飛ば すのに充分過ぎる効果があった。 写真右の小さなボートが再び桟橋に帰ってきたとき、ひどい船酔いもなく「まき餌」もせず、そし て大事な事は「とても良いものを見た」と、精神的には気分が良かった。 ずっと手すりにしがみついていたので、かなり疲れたが。 さて、船で「上陸なし」の20ユーロを払い上陸する。昨日書いた20ユーロ「ぼったくられた」 と感じたうち15をとりもどし、かつアンちゃんの為にもなるという神様の粋な大岡裁きだった。 さすがに船酔いをぜんぜんしていないわけではなく、むかむかしているので、昨日書いたカレーは やめにして、ソフトクリームをひとつ買う。なんと1ユーロ。 同じ奴がペイントンでは1.05ポンド。大体5割引だ。 今日のB&Bのおばさんといい、さっきの札幌にいったおじさんといい、この村の人たちの英語は 非常にわかりやすい。現地語ではないので、丁寧に喋ってくれるのかもしれないが。 そんなわけで、英語を勉強するのにも良い国だと思うし、物価が安いものすばらしいから、益々 この国が気に入ってしまった。また旅を続けよう! 2時過ぎに Portmagee を出発する。 途中でガソリンをいれる。セルフサービスであるが、最近は日本でも多くなった。もちろん、問題 なく満タンにして、今日も風光明媚な道々を走ってゆく。 走れば走るほど、この国の景色はすばらしい。 なぜ日本でもっとこの国が紹介されないのか、ほんとうに不思議になってきた。 わたしが知らなかっただけなのだろうか? デクラン親父が薦めてくれた Dingle の町にやってきたが、休日の町は人や車であふれていたので、 宿を探す前にガイドブックお勧めのルートR559を走る事にする。 ここは凄いところだ! 写真などでは決してあらわす事ができない雄大さ! Dingle の町にくるまでの道々にも、息をのむような美しい光景が沢山広がっていた。 しかし、それらを忘れてしまうほどの景色がそこにはあった。 海岸線、そして岩だらけの山、水、草、砂浜、羊、牛、いろいろな要素が混じりあい、この美しい 風景を作り出している。 グランドキャニオンほどの荒々しい雄大さはないにしても、とても気分が落ち着く絶景だと思う。 イエローストーンのようなアトラクション的な美しさでもない。 ただ自然にそこにあるものと、羊や牛といった人間が放しているものが絶妙にマッチしている。 やや道が狭いのが難点だが、気分のよいドライブルートであることは間違いないと思う。 ここもまた、やはりデクラン親父の言う事を聞いてよかったとつくづく感じた。 さて、感傷に浸っている場合でもなくなってきた。 夜が近いので宿を探さねばならない。 月曜が休みの日曜の夜は宿も込んでいることは間違いなく、そこ等じゅうのB&Bの 看板が「No Vacancy」(満室)になっている。 ちょっと路を入ったところなら空いてるだろうと、何件か廻ったうちの一軒が空いていた。 でてきたおじさんに値段を聞くと「30ユーロ」という。 やはり町の規模や状況からして、昨日のB&Bはアンちゃんの為の値段だったようだ。 この町 Dingle では、夏のシーズンの予約はもう一杯だという。 アイルランドでは人気の高い町らしいし、あの風景からいってそれは充分うなづける。 鍵をもらって町に繰り出し、またフィッシュ&チップスだ。 これまたすこぶる美味。 腹も膨れたし、そこらをうろうろしていると、フィドルと思われる西部劇調の音が一軒の パブから聞えてきた。 思わず入ってみると、なんとアイリッシュパイプ、アコーディオン、そしてフィドルらしい バンドが演奏をしている。普通の席に座ってやってるし、前に出ている看板をみなおすと、 ミュージシャン歓迎なんてかいてあるから、おそらく即席でやってるのだろう。 今日もギネス半パイントをすすりながら、キーキーやってる音を喜んできいた。 長い一日だったが、またしても大満足だ。 あしたはどんな展開になるのやら、つきなみだが非常に楽しみである。


2004年6月7日


高いところが嫌いである。 小さいころから、高所恐怖症気味だった。 阪神パークという甲子園にあった遊園地(もうありません)にいって、塔につるされたゴン ドラを高く吊り上げて阪神間を一望するような機械に乗ったとき、途中から怖くてすわりこ んでしまったし、ジェットコースターなんぞに乗ろうものなら、ずっと目をつぶっていたも のである。 飛行機に乗るようになってからかなり緩和されたと思うが、いまでもジェットコースターな るものにわざわざ乗ろうとは思わない。 そして、高いところといえば思い出すのが、まだ幼稚園のころだったかに行った阿蘇山。 そんな遠い記憶をかなり鮮明に思い出すのだから、よほど怖かったのだろうと思う。 当時の阿蘇山の噴火口は噴煙が非常に少なく、底が問題なく見ることが出来た。 しかし、私が覚えているのはその噴火口の底ではない2つのシーンである。 ひとつは、噴火口の断崖のきわ、今にも下におちるかという部分の白い色。 もうひとつは、カメラを構える父の姿である。 このとき父は、大きく噴火口をバックにした写真が撮りたかったらしく、噴火口の縁に立つ 我々被写体に向かって、 「もっとさがって、もうちょっとさがれんか?」 と、要求していた。 その父のおぼろげな声と姿を今でも覚えているのだ。 迫り来る断崖の鋭角に落ちる白い壁。 もしかすると、コンクリートかなにかでコーティングされていたのかもしれないし、記憶が 間違っているのかもしれない。 ただ非常に怖かったのである。 どうして父のほうがさがらないのか?と思ったことまで覚えているのだから。 さて、どうしてそんな話を書くかといえば、もちろん今日の話と関係がある。 B&Bで前日に選んでおいたサーモンを主とした朝食に舌鼓を打ち、しかも前日の夕方には 私の大好きな、アップルパイにアイスクリームを乗せたデザートとコーヒーまで出してくれ たにもかかわらず30ユーロとは本当に安いと思いつつ、実はチップを渡すべきだったのか? などと考えながら車を走らせる。安かったとばかり喜んでいたので、ちょっと悪いことを したかもしれない。 Dingle の町をでて、今日は来た道と違う道を走る事にする。 今回の更新では、アイルランドの地図を載せる事が出来ていないため、イメージがつかみ にくいことが多いかと思う。旅行から帰ったら、地図を載せることを検討してみたい。 Dingle は、半島の中にある町なので、旅行を続けるためには一度本島のほうに戻らないと いけないのである。 ここまでペイントンで買った地図と、レンタカーのえ〜かげんなおっちゃんがくれた地図を 併用して走ってきたが、レンタカー屋さんの地図には「ここは風光明媚でっせ!」といった 道は緑色で塗ってある為、やはりペイントンで買ったガイドブックとともに、道を決める上 での大きな参考として使っていたのである。 ただ難点は、おっちゃんと同じで「え〜かげん」なのだ。 道が表示されていない場所に「名勝地」が記されていたりするから、買った地図で確認する と、細い道があったりするのである。 今日帰りに使おうとした道は、「緑で塗られた道」である。 しかし、え〜かげんでないほうの地図でみても、入口がわからない。 大体この辺という場所で車を止めて、地図を広げていたら、 「May I help you? (大丈夫?)」 といって、ちょっとくたびれた格好のおじさんが声をかけてくれた。 カナダでもアメリカでも、地図を広げているとこの言葉に出会う事が多い。 良い習慣だと思う。 でも、このときは、何を思ったか、 「ダイジョウブ!アリガト!」 といって、お断りしてしまった。 そのあと、盛大に迷ってやっと道を見つけたのはなんと40分も後の事。 ええ格好しいは損をするのである。 道の入口には、通れる車の大きさについて制限が書いてある。 昨日とおった絶景の岬も狭い道だったが、そういう表示は無かったから、今回はかなりのもの だろという覚悟が必要なようだ。 曇り空のした、何台かの車と連なって山の道を行く。 前に撮影する事のできなかった絶景の道と同じパターンになるかもしれない。 もやのかかった緑の山肌が綺麗だ。 と、丘の上に展望ポイントが見えてきた。車が何台か止まっている。 車を止め、今見てきた山と反対側を見ることができる柵のほうへと歩いていった。 そこにはまた今まで見たこともないような絶景が眼下に広がっていた。 急角度に落ちてゆく山の斜面はどこまでも緑が続く。 そんななかに薄青の湖が転々とし、ずっと向こうには海が見えている。 この「緑色」の道はまたしても大ヒットだった。 メインルートではなく、大きな車がこれないから観光バスもいない。 のんびりとドライブを楽しむには格好のルートと言えるだろう。 半島を逆戻りして、北へと進路をとる。 このあたりは半島が一杯あって、それぞれに見所があるようだが、さすがに全部をこなす事は できない。一週間というのは贅沢な日程ではあるが、充分というわけではないのである。 デクラン親父が生まれた Limerick をかすめて通る。彼曰く、 「何にもおもろないところ」 だそうなので、疑う必要もない。 しかし、彼のお勧めである Portroe という村が近くにあるので、近くに来たわけである。 Portroe に到着したが、彼のいう道は自転車用の道であり、地図で見てもかなりの距離がある。 散歩をするにしても時間がかかりすぎるので、これはあきらめる事にした。 Portroe は丘の上の村であり、下には湖がある。 村を離れてしばらくしてから振り返ってみると、そこにはまさに「お勧め」の風景がひろがっ ていた。ここは、いわゆる「ホリデー」をしばらく過ごすには、たしかに最高の場所なのだろ うと思う。 少々名残惜しさを感じつつ、この一帯を離れた。 今日の最終目的地は、インターネットをつなぐために少々まともなホテルを探すため、アイル ランドの中でも大きな町とされる Galway に行く事である。 アメリカと違って普通の道を走っているので、走行距離が伸びると疲れが加速的に増す。 疲れを取ってくれるのは、綺麗な景色か、面白い場所に行く事くらいしかない。 デクラン親父お勧めの Criffs of Moher にやってきた。 ここも「え〜かげん」地図では、道からかなりはなれた場所にあることになっているから、 少々心配していたのだが、なんのことはない、印で簡単に示せるほど小さい場所ではなかった だけである。 海にあるグランドキャニオンみたいなところだ。 これまた大のつく「絶景」である。 さて、今日の話の冒頭の部分が、なぜあんな調子だったかお分かりいただけるとおもう。 左のにも右のにも、断崖の上で写真を撮ってる人々がいる。 特に右側の人は、ほんとうに危ないことをしていた。 この後ゲラゲラ笑いながら歩いているのを見かけたが、この写真を見せたら少々考えも変わる のではないかと思った。 わたしにはやろうとも思えない行為である。 「アホと煙は高いところにのぼる」 と何度もつぶやいた。 今度は写真に見えている断崖のほうへとやってきた。 先ほど写真を撮った地点もなかなかの絶壁だ。 右の写真の丘の上に小さく見える塔のようなものにも行ったが、上るのに1ユーロも取られた 挙句、天辺からみる景色もあまりしたからと変わるものではなかった。 そりゃ、ここまでデカイと少々の高さは関係なくなる。 まさに、「アホと煙は高いところにのぼる」である。 絶壁から反対側を見ると、そこには草原が広がっている。 何も知らずに草原をダーっと走ってきたとしたら、この絶壁に気がつくことができるだろうか? そして遠い記憶のまざまざとよみがえる風景。 人間、こんな場所で写真を撮りたくなるものなのだ。 左の若いにーちゃん達はこの後、この岩棚から身半分ほど下に出ている岩に足をつけ、写真を 撮っていた。 つまり、こんなところをから身を乗り出したわけである。 わたしにはもちろん、立って近寄ることはできなかった。 あの絶壁2m前からホフク前進で近寄って下を見下ろしたとき、体を支えているわけではない はずの足が、ガクガクと震えた。 この写真を撮り、またズルズルと逆戻りして「危機」を脱したのだ。 「柵より中はめちゃくちゃ危険ですよ」 といいながら、どうみたって入れるようになっている柵を乗り越えて、多くのひとが「アホ」 になりにいく。 「同じアホならのぞかにゃソン損!!」 というわけだ。 それにしてもアイルランド、なかなかやる。 さて、車はさらに北へと向かう。 ガイドブックによると、ちょっと寄り道にはなるが、石の変わった墓石があるというので、 廻ってみる事にした。 ごたぶんにもれず、人造の物はあまり面白くない。 これも、もうちょっと大きければ感動もあるだろうが、写真のイメージよりずっと小さく、 上にのってる石も大体2〜3mほどのものである。 ところが、ここにいたるまでのR480が凄かった。 左側の墓石の写真の周りをごらん頂くとおわかりいただけると思うが、ここらあたり一帯が ず〜〜と続く石の原っぱなのである。 草の中に石が顔を出しているのではなく、石の合間に草が生えているといった感じだ。 まさに石原の中を切り裂いた道を走る。 アイルランド。 ほんとうにいろいろな顔を持つ島である。 (きりが良いので、Galway のお話は次回)


2004年6月8日


通信するのも楽じゃない。 Galway の町について、ホテルを探したら、61ユーロで電話付きの部屋を確保できた。 当初、そのくらい毎日払わないといけないかもと思っていたくらいだから、あまり割高には 感じない。やっとインターネットにこの紀行をアップできる。 接続には Milton Kyenes でやっていた方法と同じく、国際電話プリペイドカードを使って 日本につなぐ方法を取る。プロバイダのことを考えなくて済むし、ローミングサービスより 安い事が多いからだ。 ところが今日はこれがうまくいかない。 ちゃんと日本で言う0120のような無料ダイヤル1800での発信は成功し、案内の音声 を聞くことができ、暗証番号の確認までできるのに、いざ電話番号を入力するといつまで たっても反応がなく、最後には話中の音が聞えて切断されてしまうのだ。 ホテルにある一般の公衆電話から試してみるとちゃんとダイヤルできるから、おそらく ホテルの電話を管理しているPBXといわれる仕組みが何か悪さをしているのだろう。 ただあきらめきれないのは、高い料金を払って泊まった理由は、ネットに自分のPCでつな ぐことにあるわけで、なんとかならないかと格闘する。 受付に行って相談したが、「他の人は普通に使えてるとおもう」というような返事しかもら えない。受付にある電話でためさせてもらったが、やはり駄目であるから、根本的な問題な のだろうと思う。 部屋に帰ってパソコンからではなく、電話機を使って何度もダイヤルし、認識できるパター ンがあるかどうか調べていると、なんと一度ちゃんと電話できたことがあった。 なにかのきっかけを与えると、電話することができるようだ。 勇気百倍、どんな事をしたのかいろいろ試してみる。 そして「相手先電話番号をダイヤル後10秒して#ボタンを2度押し(リトライの意味) 電話番号を入れなおすとつながる」という事がわかった。 いきなり#を2度押しても駄目だというところが面白い。 パソコンにその動きを登録し、電話をかけてみる。 「ピー〜シャラララ〜〜〜」 というキャリアーとハンドシェイクの音が聞えたときは、小躍りする思いだった。 ところが、である。 なぜかモデムが相手との通信を確立できないのだ。 OCNを使っているので、電話番号リストを探して通信速度の遅い電話番号を見つけて 登録してみるが、なかなかうまくいかない。 こちらへ帰ってくる際の航空券の予約の件で、同じ複雑な方法を使って日本に電話をかけて みると、これがまったく酷い音質だった。相手と初めのほうはちゃんと話ができなかった。 さて、これはまずいことになった。 今使っている回線では、うまくモデムをコネクトできないかもしれない。 しょうがないので、なんども試してみる。 一度相手のモデムが応答してしまうと、カードからお金がいくらかずつ落ちるので、試す のも有料である。 それにしても酷い話だ。 ミルトンキーンズの雨漏りのするホテルでは、48kbpsの通信ができたというのに.. 今日のあの絶壁でも空き缶をひとつ拾ってゴミ箱へもっていったのだから、もうちょっと ツキがあっても良いじゃないの?? などとたわいも無い事を考えていたら... なんと、接続成功のメッセージがでた!! もちろん、細かく切断したりはできないので、メールを受信し、送信するのも全部オンラ インである。カードは10ユーロ分で、接続可能時間は100分近くあった。 メールに返事を書き、ホームページを更新するなどし、ロンドン行きの切符を手配しよう として品質のせいかエラーが出続けていると思ったら時間となってしまった。 しかしとにもかくにも、ネットにつなげたので満足して眠る事ができた。 部屋そのものは、日本で9000円払って泊まるホテルより良いかもしれない。 風呂の設備などもちゃんとしていて、湯船にゆっくり浸かり疲れをとることができた。 朝食もアイルランドでおなじみになったいつものメニューではあるが、おいしかった。 8時半から開いているというコインランドリーに洗濯に出かけると、コインランドリーで はなくておばちゃんが洗ってくれるという。そんなに大きくないビニール袋一杯の洗濯が 7.5ユーロ。10時に取りにこいという。 その間に部屋の片付けをし、もう一度ネットにつなごうとしたが今度は3度やっても無理。 昨日の幸運は、やはりあの空き缶一本分のものだったようである。 チェックアウトをして、駐車場によりちかい洗濯屋に向かい洗濯物を受け取り、出発する。 駐車場は8時30分から18時30分までが有料なので、朝の8時半に洗濯屋に行く前に、 2時間分の3ユーロを払っておいた。 なんやかんやで出発した時刻は丁度10時30分だった。 さて、今日はひたすら北へ向かう。 デクラン親父のお勧めももうあとは、今日の目的地である Donegal だけになった。 途中の「緑色」の路線(意味は昨日の説明どおりです)をできるだけ通って行こうという わけだ。 Galway を出て、今日ひたすら走る予定の N59 にのる。 この N59 の非常に多くの部分が緑色に塗られており、観光ルートだと思われるからである。 しばらく行くと、「15世紀のお城。こちら」というような看板がでていた。 ガイドブックにものっていなかったが、ちょっと興味があったので、一端通り過ぎたものの 100mほど引き返して、行ってみる事にする。 Aughnanure Castle というこの城に入るのに、2.5ユーロと書いてあった。 こういうときは価格表を良く観察せねばならない。 案の定、「学生 1.25」と書いてある。 わたしは、自分の手書きでちゃちな学生証を見せ、見事に1.25で入場した。 この方法で断られたことは一度も無い。 ちなみに、わたしの受けているコースは週20時間を越えているので、学生証はたしかに ちゃちなのだが、わたしは本物の学生である。 さて、このお城であるが、予想?に反して(ほなら行かなよいのにね??)かなり興味深い 内容だった。中には3階だての階それぞれに大きな部屋がある。2階3階にはなんと壁際に 吹き抜けを作ってトイレがあった。3階と2階の間には隠し部屋が見られ、入口の天井には 「殺人の穴」と呼ばれる穴が開いていて、2階の小部屋から入場者を狙うことができた。 なんとこの城の現在の「住人」はコウモリであり、3種類のコウモリがいるという。 1階にある小穴からはコウモリの子供の声と思われる音が「チュらチュら」としていた。 ここのコウモリは保護されているらしい。 城自体が文化財だろうに、コウモリも一緒に保護しているというのは、面白い発想である。 1.25ユーロなら、最悪トイレを借りるだけでも良いやとおもって訪れたが、なかなか 面白かった。 ガイドブックにあるお城や聖堂は、今回まったくパスしてきたので、もしかするともっと 興味津々な建造物が一杯あったのかもしれない。 城を出ると、あとはひたすら走るだけである。 前日までの運転で車はかなりどろどろだ。 だから「少々雨でも降ってほしいものだ」なんてつぶやいていたら、本当に雨が降ってきた。 小雨だからボディーについた汚れはこびりついたままだ。 しかし、羊達はなぜか少々浮かれ気味の様子で、道路に出てきている奴に度々出会う。 雨の中をドライブするときに、一番すきなのは緑のトンネルの中である。 ここにも綺麗なトンネルがあったので止まってみた。 右は、晴れていたら綺麗だったろう風景である。 N59 を走れば、いろいろな美しい景色に出会える。 左のピンク色の花は、今まで走ったアイルランドのどこでも見ることができたが、ここら あたりは「本場」なのではないだろうか。一面に咲いている場面を何度かみかけた。 N59 の特徴は、山あり草原ありということである。 左側の大草原は、まるでシベリアにでも紛れ込んだのではとおもえるほど雄大だった。 先の花もそうであるが、写真にするとやはり見栄えがかなり落ちるのが残念である。 右は現在泊まっている Donegal の海岸。N59 からはもう離れた場所である。 まだ、デクラン親父の「お勧め」の意味については、現時点ではまだ不明である。 昨日ホテルに泊まったのに味をシメ?て、今日もホテルに泊まることにした。 初めに行ったホテルは45ユーロだというので、電話のことを聞いたらちゃんと部屋に あるというから泊まることにしたのだが、部屋にいってみると、ファンの音が外から ごうごうと聞えてくるわ、1800の番号(日本の0120)で電話がかけられないわ だったので、受付に文句を言いに行った。 学生のころホテルでバイトしていたので、あまりこの手の苦情は好きではないのだが、 あまりにも酷いので、1時間ばかり考えた挙句の行動だった。 「ソトノオトガウルサイアル。ヘヤカエルカきゃんせるデキル?」 3階の部屋はあるが、キャンセルもできるというので、電話のこともあってキャンセル した。 荷物を持って、となりにある由緒正しそうなホテルに行き値段を聞いて見る。 「50ユーロです。」 昨日のもさっきのキャンセルしてのもそうだが、これは朝食こみの値段である。 部屋に行ってみると、ちゃんとこんどは1800番号が使えるし、カードの暗証番号を 入力して電話番号を入れてみると、ちゃんと繋がる事がわかった。 部屋はやはりそとから排気用のファンの音が聞こえてはいたが、3階であることもあり、 さっきの程ひどくない。 それどころか、とてもこじゃれたインテリアの部屋で、外観どおりというかなかなか 渋いので気に入った。 夕食のメニューをみるとこれまた外観どおり高いので、町をうろうろしてフィッシュ& チップスを食べる。このフィッシュ&チップスは、ペイントン近辺で食べるのと、そん なに変わらないようだった。 明日はアイルランド最北端から、英国領である「北部アイルランド」に入ることにする。 その前にこのホテルで湯船にでもつかって、ゆっくりしよう! (さて、あと夜は2回。このまま行くと、都会嫌いとしては首都ダブリンは寄るだけに  なりそうな雰囲気になってきました。どうなることやら...)


2004年6月9日


アイルランドの北の端にいった。 英国の正式名称を日本語では「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」と いう。雑学の知識だけでいえば、アイルランドの北の端なら英国領だと思いがちなもの だが、なんとそこはアイルランド領だった。 この話は後に書くとして、今日の行動をつづってみよう。 朝目覚めるとなんと9時30分! 学校に通い始めてから大体7時前後には目が覚めるようになっているので、これは大変な 寝坊である。朝飯が10時までだから、いそいで服を着て出かける。 特に代わり映えのしない朝飯を平らげて部屋に戻り、テレビをつけたら「奥様は魔女」を やっていた。妊娠中のサマンサが妙な病気にかかり、ダーリンがダチョウの羽だのといっ た「秘薬」の素を探しまわって大騒ぎという話だった。 懐かしさから最後まで見てしまい、出発は結局11時になる。 今日は先にも記したとおり、北の端をみてから英国領で一泊する予定だ。 またしても「え〜かげん」地図の緑色の道を探して、北上していくことにする。 もう、正直なところ綺麗な光景もかなり見飽きてきた。 この感じは、アメリカのイエローストーン国立公園を走ったときとよく似ている。 イエローストーンがビフテキの塊を食べ続けてゲップがでたとすれば、アイルランドを 走り回ることは、おいしい和食を食べ過ぎたという感じだろうか。 左下の谷は本当に見事だった。R263というルートにある。 また右の羊の親子はとても微笑ましかった。 初め子羊が一匹でいるところに通りかかった。 車の中からカメラを構えると、高い声で 「Baaa」(英語ではこうなきます) となき始めた。 すると、わたしが行こうとしている道のほうからちょっと低い、 「Baaa」 が、聞えた。 子羊は、まさに「泣きながら」その声の方に飛んでいって、下のように一件落着した のである。親は私をほとんど無視しているが、子羊はこっちを見ているのがなんとも いえない。 さて、なんども書いて恐縮だが、実際に見る光景は写真などではとてもあらわす事が できないほど素晴らしいのである。 人間の眼が一方方向にむけて認知できる空間を遙かに越える角度で、印象的な光景が 広がっているのである。 ただ、たまには下の2枚のような「ビフテキ」に相当するような濃密な絶景にも出会う。 「和食」を食べ過ぎていた私には、とても新鮮でかつ感動的だった。 これらの光景は、R251上でのものであり、ゲップどころかアイルランドを旅した なかで一ニを争う絶景だったと思う。 この一帯は、 Glenveagh 国立公園の一角である。 今回は急ぎの旅なので、ゆっくり見物できなかったが、是非もう一度来て見たいと 思った。 今度来るときは、この美しい光景を誰かと共有したいものである。 さて、いよいよアイルランドの北の端にさしかかる。 北の端 Malin Head は、 Inishowen 半島の先に位置している。 この半島の根元をかすめるように国境線がはしっており、半島のほとんどはアイルラ ンド領なのである。 右下の写真が展望ポイントから撮った北の端のようすである。 さて、案内板にしたがって走っていったのだが、突端がどこなのかわかりにくかった。 左下の写真は、突き出した部分をかなり歩いていって撮影したものにもかかわらず、 実はここではなく、右側のあっさりした部分が突端だった。 最後の部分まで行く事はできなかった。 さぁ、引き返そう! 英国領に入るとき、また入国のスタンプでも押してもらえるのだろうか? 期待?を胸に英国領に向けて車を走らせていた。 すると、突然ルートの表示が、NやRから、AやMに変わった。 ありゃりゃ... 知らない間に英国領に入ってしまったのである。 スタンプどころか記念写真すら撮る事ができなかった。 しょうがないので、気がついた場所の写真(左下)をとり、英国領の首府である Belfast に向かう。 約2時間走って Belfast (右下)にやってきたが、大きな町はどうも苦手だ。 結局、近くの町である Newtownards でホテルをみつけて泊まることにする。 朝食つき49ポンド!つまり1万円強である。 部屋の内容は、またしても外でファンがうなっているが、「安い部屋だ」という 説明を受けていたので問題はない。ベッドが2つあるものの両方極めてちいさい シングルベッドで、ころげ落ちないかどうか心配だ。 それにしても英国の物価高には本当にあきれ返る。 アイルランドでは、ガソリンの値段が1リットル大体95〜104セントだった。 一番多くみかけたのが99.9という価格である。 しかし英国に入ったとたん、80〜85ペンスになる。 ざっと換算すれば、140円だったのが170円くらいになるわけだ。 先も書いたとおり両国国境には何も無いので、ユーロさえ持っていればアイルラ ンドにでかけてガソリンをいれたほうがお得だとおもう。 わたしはペイントンの価格を知っていたし、英国領なら同じようなもんだろうと 読んでいたので、アイルランド領内で満タンにしておいた。 ホテルについては、予算をかなり下回る成績でここまでやってきたので、これは ご褒美のようなものである。 ただし、到着が遅くなりすぎたので、晩御飯はケンタッキーフライドチキンだ。 20ポンド紙幣を出すと、見慣れないポンド紙幣がお釣りで帰ってきた。 なんと、アイルランド銀行発行の10ポンド紙幣である。 わたしは、このややこしい土地を走りながら考えた。 国というのはどういうものなのだろうか? 同じ島に生まれ、ある地域だけ違った国として存在している。 同じ道路が突然違う国のものにかわり、ガソリンの価値がまったく違う。 しかも、ここの英国領の場合は「占領地」の扱いではなく、「本国」なのである。 ここが連合王国の一部でなかったら、もちろんヨーロッパではありがちな話だろう。 この問題を考えるには、両国の関係についてもっと勉強しなければならないようだ。 ただ事実として、第三国の人間が経験したときに、いかにも不思議としかいいよう のない状況だということは間違いないと思う。 明日はついに実質の最終日だ。 金曜の朝早くたつことができるように、港に近い町のホテルを取って泊まろう。 アイルランドの首都ダブリンは、チラッとみて立ち去る事になると思う。 (非常に名残惜しい気分で一杯です。あと2日ほしかった...)


2004年6月10日から6月11日まで


アイルランドは綺麗なところだった。 今、出てきた港、Pembroke Dock で海を見ながら時間をつぶしている。 思えば、この港に1週間前に来たとき、何が起こるやらまったくわからなかった。 デクラン親父、元同僚、そして学校で同じだった元アイルランドに住んでおられた方の お奨めだけが頼りの旅。 「ここに行ってみたい!」 という場所がひとつも無い旅。 こうして帰ってきてみると、自分の知っている事なんて、本当に小さいことだと思う。 「知らない」とか「有名じゃない」とかいった理由で行かなかったのなら、この楽しい 経験は無かった。 アイルランドのことを教えてくださった方々に感謝したい。 自分の今後の行動を考える上でも、大変良い経験になったと思う。 さて、アイルランドの実質最終日であった10日についてである。 9日の晩、ケンタッキーフライドチキンを食べて喉が渇いた。 普段、ペイントンの自分の家の水すら飲まないのだが、どうにも我慢がならずホテルの 水を飲んだのだが... どうもその効果はテキメンだったらしく、朝から腹の具合が悪い。 こんなときは食べないほうが良いと、今までのパターンは示している。 しかし、今日は朝食つきなのである!食べないと損なのだ! まったくいつもと同じ按配の朝食を食べて部屋に戻ると、これまた効果テキメン、腹が シクシクと強めに痛み始めた。 これはまずい事になった。 今日は昨日も書いたとおり、アイルランドの東の端を南へと急降下する必要がある。 体力勝負なのである。 しばらく休んで、ちょっと落ち着いたので出発する事にする。 今日ばかりは一日休憩というわけにはいかないのである。 ホテルを出発して、アイルランドで一番東というポイントに向かう。 そこは半島にあるので、かなり大回りになるのだが、いままでとりあえずだいたいの 南、西、北の端は走破しているらしいので、これを逃すわけには行かない。 国が違って物価が高いといっても綺麗な光景は相変わらずだ。 しかし、西の海岸と違って、荒涼とした美しさは影を潜める。 地図のどこにも東の端の表示がなかったので、大体ここらだろうと走っていると、 看板が出ていた。 さぁ、これでほぼ目的は完了した! あとはアイルランド領に戻り、首都ダブリンをかすめて、南に下るだけである。 途中工事渋滞などがいくつかあり、体の調子がイマイチなのとあいまって、かなり イライラしてくる。 やはり都会にはむかない性質のようである。 腹痛のほうはかなり治まってきたが、なにやら熱っぽくなってきた。 本格的に悪くなる前に、できるだけ南に行く必要がある。 国境の記念写真を今度こそ撮ろうと思っていたのだが、やはりいきなり表示がAxx からNxxに変わった事で気がついた。 アイルランドに戻ってくると、なにか安心している自分がいるのが面白い。 しばらく行くと、初めて有料道路の表示がでた。 あたらしい橋を渡るのに1.6ユーロ支払う必要がある。 写真を撮っておけばよかったと後悔しているのだが、この料金を払うゲートは日本でも たまに見掛けるコインをバスケットに投入する方式である。 ところが良く見ると「お釣りは出ません」と書いてあったように思う。 今となっては自分の英語にも自信がないのだが、財布を一生懸命あさって、丁度払っ た。後ろの車に悪いことをしたが、その辺のプレッシャーを狙った「料金設定」なの だろうか? さて、ダブリンが近づいてきた。 元同僚お奨めの「黄色い花の咲く」 Howth という半島を見に行くことにする。 ところがこれが簡単にいかない。 前にも書いたことだが、アイルランドの道に不満があるとすれば、それは「案内標識」 なのであるが、このたびは選挙があるとやらで、そこ等じゅうにポスターが張ってある のだ。このポスターは地方部ではそんなに気にならず、「だれそれのが良いな」とか のんびり構えていればよかったのだが、ダブリンに近づくと、半端な量じゃなくなる。 柱という柱、信号という信号にポスターが貼りまくられているのだ。 標識を隠すようなポスターはさすがにないと信じたいが、あってもおかしくない。 さらに迷惑なのは、案内標識が緑色でかかれていることが多いのに対し、アイルランド のおもな国の色として「緑」があるので、ポスターの色にも緑が多用されていることが 多いのである。 都会を標識が確認しづらいまま走るほど難しいものは無い。 しかも、地図に出ているRxxxの道がひとつも出てこないのである。 さて、こういうときは、まず大きな目印に行って、そこから引き返すのが得策である。 この場合は、とりあえずダブリンの港にたどり着いた。 だいぶ奥まで行って引き返す。 すると、 案内標識に Howth の文字がやっと見えた。 そこからも、ポスターに邪魔されながら少々苦労したが、無事 Howth にたどり着いた。 Howth はダブリン近くのリゾート地らしく、このヨットハーバーに沢山の車が止まって いる。丁度一台の車が出て行ったので、ありがたくとめさせてもらう。 トイレを済ませ、今日の燃料であるスポーツドリンクを買ってから、元同僚お奨めの 「黄色い花」を探しに車を出発させうろうろしたのだが... 残念な事に見つからなかった。 さすがにリゾート地らしくというか、こちらではたまに見掛ける光景ではあるのだが、 普通の道を、2頭の馬で散歩?している一行に出会ったくらいだった。 時間切れと、自分自身の燃料切れもあり、あきらめる事にする。 ダブリン市内に入ると、どこもかしこも車だらけ。 しかも、先と同じように標識が見えないから道を見つけるのが大変だ。 とりあえず、記念写真でもと思って下の2枚を撮っておく。 恨みは選挙にぶつけるしかない。 さて、なんとかダブリン脱出にも成功し、あとは南に下るだけとなった。 明日の8時には Rosslare港に居る必要がある。 ダブリンから Rosslare までは、大体150km。 明日起きて、この体調がさらに悪化していた事を考えれば、そばまで行っておきたい。 途中「え〜かげん」地図に緑で塗られた遠回りの道もあったのだが、これはあきらめ、 ひたすらN11を南下する。 悪いことは重なるもので、工事区間で大渋滞している。 どうも原因は工事用の迂回路の中で起こった事故らしく、救急車が走っていったあと 車が動き始める。 Rosslare は港の表示でしか地図には表されていない。 だから今日は25kmほど手前の Wexford に泊まることにする。 天の助けのように道沿いに見えてきたホテルに、一瞬はいろうとしたが、「高そう」 だったので、とりあえず町を一回りしてみる。 もう体調はぼろぼろだったが、あいかわらずセコイことをやっている。 結局、先ほど見たホテルで値段を聞けば79ユーロ。 しかも、よくみれば Milton Keynes で、かなり酷い目にあった某ホテルと同じ名前 だったのだが、さすがにここで「燃料」が完全に切れた。 倒れこむようにしてチェックインし、部屋に行ってみると、これはすばらしい部屋だっ た。ファンがそばで轟々という部屋とはえらい違いである。 しかし、残念ながらこのホテルを楽しんでいる余裕は無い。 早速熱めの風呂を作って、思いっきり体を温め、翌日の6時起きのコールをフロントに お願いする電話をして、この文章を書く事どころか荷物をとく事もなく布団に入った。 明日のことを考えれば、これが自分にできる唯一の作戦であると思う。 この日の夢には、なぜか中学の英語と音楽の先生や、昔お世話になった同業他社のSE さん、お客様などが次々と現れた。特に酷い夢ではなく、みなさんと楽しくお話し していたと思う。 モーニングコールがなって起きてみると、昨日に比べてすこぶる調子が良い。 腹の具合については、今までの経験を尊重し、なにも食べないことにする。 チェックアウトを早めに済ませて Rosslare の港に向かう。 途中のガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、1週間世話になったフォード・ フォーカスに水をぶっ掛けて綺麗にする。 よく走ってくれた。車についてはまったく不満は無い。 港のレンタカーの駐車場に到着し、最終のマイレージを確認すると、km換算で 2456km走行していた。もうちょっと走ったかと思っていたが、今回の旅は細かく 止まる事が多かったことを考えればこんなもんだろう。 1時間ごとの走行ログもメモにとってあるので、また整理したい。 さて、ちょっと早くつきすぎたので、レンタカー屋の「え〜かげん」なおっちゃんはまだ 出てきていない様だ。 「居なかったらキーボックスにほりこんどいて!」 といわれてはいたが、やはり直接「サンキュー」とでも言って返したい。 先にフェリーのチェックインを済ませて、ロビーで座っていると、レンタカー屋の店が 開いた。同じおっちゃんだったので、挨拶をしてキーを渡す。 行きがけと同じようにバスに乗ってフェリーに乗り込む。 船はアイルランドを離れていった。 船の上でうつらうつらしていたら、3時間があっという間に過ぎて英国が見えてくる。 Pembroke Dock の港は、昔からの良港だということだが、それは湾が狭く奥まったとこ ろにあるという要素でもある。大型船を操艦するのは車と違って右に曲がれといえばいき なり曲がるものではないらしいから、その航跡とごく近くに見えるブイをみくらべて、 船長の腕の確かさに驚く。 英国への上陸については、パスポートのチェックも何も無かった。 バスはあの夜中に歌を歌っていたターミナルの前に到着し、この旅はほぼ終わったので ある。 帰りの電車であった出来事は、英国の事情編ということでまた元のページに書こうと思う。 さて、今日のお話の冒頭で書いた、「時間をつぶしていた」場所。 そこは乗ってきたフェリーが見える場所だった。 フェリーがもと来た海へと引き返していく。 「あれに乗って戻ったほうが、いまからもおもしろいかもしれないな」 などと考えながら、見送った。 思えば、ギネスの工場にも行っていないし、見所なんてまだまだ沢山あったはずだ。 しかしアイルランドは、わたしにとってもはや遠い国ではなくなった。 かならずまた訪れて見たいと思う。 最後に、この旅についていろいろアドバイスをくださったかたがた、そしてアイルランド でも拙い英語を一生懸命理解してくださった方々に感謝して、この文章の締めとしたい。 ありがとうございました。 (お読みいただきありがとうございました。また、どこか面白いところに出会えれば、  こんな調子で感想を書いていこうと思っています。)
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