Last update on Sep.13th,2005
BBC PROMS 2005
7月16日 PROM2 最初から落ち込むの巻
7月18日 PROM4 もったいないオバケがでるだよ
7月23日 PROM10 ちょっと難しすぎ?
7月30日 PROM21 やっと開幕??
8月19日 PROM47 ほろ苦い英雄
8月21日 PROM50 火の鳥は舞い上がる
8月22日 PROM51 静寂も音楽である
8月24日 PROM53 若さってよいものだ!
8月25日 PROM55 BBC修理工房
8月26日 PROM56 指揮者と楽団
8月27日 PROM57 平和ってすばらしい!
8月29日 PROM59 音楽で元気になる
9月 2日 PROM65 スローなブラームス
9月 7日 PROM71 ウィーンはいつもウィーン
9月 8日 PROM72 感性というものは...
9月 9日 PROM73 世界一の日の出
9月10日 PROM74 インフォーマルな格好で
7月16日 PROM2 最初から落ち込むの巻
19:30 - 22:00
Sullivan
Overture - The Yeomen of the Guard (5 mins)
Sullivan arr. Mackerras
Suite - Pineapple Poll (28 mins)
interval
Gilbert & Sullivan
HMS Pinafore (with narration) (80 mins)
Cast:
Sir Joseph Porter - Richard Suart (baritone)
Captain Corcoran - Neal Davies (bass)
Ralph Rackstraw - Timothy Robinson (tenor)
Josephine - Sally Matthews (soprano)
Little Buttercup - Felicity Palmer (mezzo-soprano)
Dick Deadeye - Peter Sidhom (baritone)
Bill Bobstay (Boatswain's Mate) - Owen Gilhooly(baritone)
Bob Becket (Carpenter's Mate)- Stephen Richardson (bass)
Cousin Hebe - Wendy Dawn Thompson
Narrator - Tim Brooke-Taylor
Narration written by Kit Hesketh-Harvey
Stage Director - Dominic Best
Maida Vale Singers
BBC Concert Orchestra
Sir Charles Mackerras (conductor)
最初から落ち込んでしまった...
こんな文章から始まるつもりは、全くなかったのだが、2005年のBBC PROMSが始まった。
HomePage = http://www.bbc.co.uk/proms/
わたしとPROMSとのお付き合いについては、BBC PROMS2004のページをごらんいただけれ
ばと思う。昨年はラストナイトと呼ばれる大イベントを含む30にのぼるコンサートに、300km以上
はなれたペイントンから参加するという暴挙?をなしとげたというのが自慢だった。
今年は、ロンドンに滞在しているので、市バスを乗り継いで1時間半!かけてロイヤルアルバートホールへ
行くことができる。時間だけなら外国からでも来れそうな話であるが、学校に行くのにも使っているバスパ
ス(定期)を使えば、タダでいけるようなものだというのが嬉しい。もちろん、ラストナイトのことも考え
て、フル・シーズンパスを昨年と同様アリーナで立つ席のものを手に入れた。番号も222番と、ちょっと
ふるっている。
ファーストナイトの日は、学校の2学期の終了日とかさなり、ちょうどその日がかなり大きなレポートの
提出日だったことも重なって、残念ながら行く事ができなかった。さて、それではと、ほかのプログラムに
めぼしいものを探すのだが、去年より自分の好みにあったものを見つける事が難しい。「今年はハズレかも
しれんな」と、独り言を言いつつ、寝転びながらプログラムを見ていると、課題の疲れもあっていつの間に
か眠ってしまった。
翌朝、甲子園でやってる野球をネットでみながら、課題作成のときに散らかしっぱなしにしていた部屋をそ
うじしていた。まったくとんでもない時代になったものである。タイガースは問題なく広島に勝利し、満足
して接続をきると昼をまわっている。いくら夏休みだからといって、まいにちだらだら過ごすわけにもいか
ない。と、そこでふと大事なことを思い出した。去年のページをみてくださっていた方から、もしできれば
ファーストナイトのプログラムを買っておいてほしいというメールが来ていたのである。課題の件もあって、
無理そうだというお返事はしたものの、去年翌日に前の日の分を手に入れたことがあったので、もしかする
と、今日行けば手に入るかもしれないのだ。
プログラムを見直すと、なにやらわけのわからない作曲家の名前と演目が出ていたが、食わず嫌いはあまり
よくない習慣だと思って、今日を初参戦の日とすることにした。去年、喜んで来ていたPROMSのTシャ
ツも、毎年デザインが変わるらしいから、手に入れておこうと思う。それにしても、今年のこの気軽さは、
去年とちがってほんとうに嬉しい。そそくさと用意して、サンダルを履いて出かけた。
ところが、よいことばかりではないのだ。
今年は去年と大きく違うことがある。それは、天気だ。
まったく暑い!
先週ぐらいまでは、寒いくらいの天気だったので、暑くなるといわれた予想が外れつつあることを内心喜ん
ていたのだが、ここ数日、いきなり夏がやってきた。しかも、去年の前半には経験しなかったような暑さで
ある。
ロンドンの主要の交通機関には冷房というものがあまり入っていない。二階バスに揺られ、乗り換えを一回
して一時間半のたびは、去年の冷房が快適だった長距離電車と違って、かなりの暑さを我慢しながらのもの
である。今回もバスにのりこみ、開放感のある2階に上がって席をみつけ、座ったのはよいが、日差しがも
ろに顔にあたる場所になってしまった。しばらく待つと、日の当たらない席があいたので、そこに移ってみ
たら、バスが少し向きをかえたかとおもえば、また日差しがあたる。前にいた場所をみると、なんのことは
ない、もう影になっているのだった。
また移るのは、あまりにも恥ずかしいので、そのままにしておく。
わたしが乗る53番のバスは、ビッグベンを横目にみながら、首相官邸近くのバス停まで連れて行ってくれ
る。そこから、トラファルガー広場前まで歩いて、バスを9番に乗り換えれば、ロイヤルアルバートホール
まで一本でいける。そして、バス停にさしかかろうかというときに、9番とかかれたバスがやってきた。
かなり一生懸命走って乗ろうと試みる。バスは私の前を通り過ぎ、扉を開けたが、わたしはまだ走っていた。
そして、あっという間に扉がしまってしまう。こういうとき、ロンドンのバスは基本的に無情だ。いままで
扉が再び開いた経験はない。しかし、バスまであと5mほどだったから、だらだらと走っていると、なんと
あろうことか、扉が再び開いた。早速飛び乗り、「アリガト」と言ってから、定期を機械に触れさせて通る。
ロンドン中心部は、テロの直後だというのに観光客で一杯だ。9番のバスは、ピカデリーサーカス、グリー
ンパーク、などの観光地やハロッズの近くなどを抜けて、ケンジントンパークの方へゆくルートだが、この
日の込み具合は尋常ではなかったとおもう。次から次へと人がのってくるので、時間がかかってしょうがな
い。余裕で着くつもりのスケジュールが、もしかしたら遅れてしまいそうになってきて少々あせる。
さて、懐かしいたてものが見えてきた。今年もPROMSというのぼりがたっている。一年のたつのは実に
早いものだと思いながらバスをおりて会場に向かう。
並びなれた場所には、何人かの常連さんの顔が見えたが、今日は残念ながら「こんにちは」といえるほどの
知り合いはいなかった。今日はひとまず並ばずに、まず簡単に済ませられる用事であるTシャツを買いにい
く。グッズショップはシーズンチケットが並ぶ場所から、そんなに離れていないのだ。
ショップではTシャツとマグカップ、それに今日のプログラムを買うことにし、手に取りならんでいると、
カードのオンラインの調子が悪いらしく、時間が異常にかかっている。わたしもカードで払いたいので厄介
な話である。やっと順番がきて、Tシャツをさしだしがてらに、「コレ、ふりーさいずアルネ?」と聞くと、
「いいえ、ここに書いてあります。ええっと、XLですね。」などといわれ、さしもの最近5kgほど太っ
たわたしでも、英国のXLサイズというのはちょっと恐怖なので、Tシャツの置いてあったところにもどり、
Lサイズを探して再びレジのところへ行く。小さいショップスペースをうろうろして、総額24.5ポンド!
の買い物が終わった。Tシャツ16ポンド、マグカップ6ポンド、プログラム2.5ポンドである。暇な方
は、ポンドを円になおしていただくと良い。わたしはこれを書きながら、まだその高さにあきれている。
さて、行列のところへいってみると、もう入場が始まっていた。わたしにしてみれば、今日のプログラムは
買ったものの、まだ開いてもいないので、今からどんなものを聞かせてもらえるのかも知らないし、元々
「行ってみたいとおもっていなかった」のは間違いのないところだから、入場さえできれば文句はないのだ。
久しぶりにシーズンチケット用の入場門をくぐり、222番と書いてあるシーズンチケットをスキャンして
もらおうと差し出した。しかし、係りのひとは何ももっていない。チケットを一瞥し、「バッグ検査をお願
いします」といわれただけだった。昨年はほとんどバッグをもっていかなかったから、検査を受けたことは
一度もなかった。今年は、せっかくロンドン中心部にいくのだからと、買い物もかねているのである。
バッグの検査は何事もなく終わり、入場する。ほぼ、一年ぶりにこの大きなドーム式のホールに入った。
帰ってきたような気分になる。
さあ、次は仕事である。
去年前の日のプログラムを手に入れた売り場に向かう。場所は大体覚えていたので、迷いもせずにたどりつ
いた。「キノウノぷろぐらむアルアル?」と聞くと、珍しく聞き返されもせず「ありますよ」と言われ、
無事プログラムを手に入れることができた。今日はこれで帰っても良いような気分になる。
ホールに舞い戻ると、だいたい半分くらいのところまで人が詰めている。できるだけ、背の高そうにない人
の後ろを選んで座り込む。このあたりのコツは、さすがに忘れてはいなかった。最近いろいろ物忘れが激し
くて困るので、心の中で「2年目ともなるとちゃうわいな」と自画自賛する。そして、これまた必須用具の
扇子を取り出して、バタバタとやる。外が暑けりゃ、中はもっと暑い!(ほんまかいな?)おまけに、昨日
のファーストコンサートの余韻かどうかしらないが、空気が汗臭いのにも参った。これもPROMSである。
プログラムを開いて眺めてみると、イギリスの作曲家による英語のオペレッタ(喜歌劇)とある。ありゃま
これは楽しみである。去年の「ジャンニ・スキッキ」の大感激が、よみがえってきた。わくわくしながら、
「携帯電話をお切りください」のメッセージが聞こえてくるのを待つ。そのメッセージは、演奏5分前に流
れるもので、去年は携帯などもっていなかったので無縁であった。「ピリリリ!ピリリリ!」という呼び出
し音とともに警告が流れはじめると、うやうやしく携帯を取り出して電源を切る。うれしがり以外の何者で
もない。しかし、そんな警告のあとでも携帯を取り出してしゃべっている人を見かけると、去年あった酷い
事件、つまり「演奏中に電話をしている奴がいて喧嘩が勃発した」などという話を思い出してしまう。
ふと、横を見ると、男女5人の一団が演奏直前というのに、ジュースを取り出してコップで飲み始めた。
オイオイ、マナーもなにもあったものじゃない。楽団が入場してきて拍手が始まっているというのに、男達
は、まだコップ片手に飲んでいるから、拍手すらしない。さすがに指揮者が入ってきたときにコップを置い
たものの、ピクニックに来ているのではないのだから、ちょっとこれは勘弁して欲しいものだ。
さて、音楽である。
サリバンという作曲家の序曲が始まった。少々舞台から離れたポジションということもあってか、去年後半
に感じ続けた音圧のようなものは感じないものの、久々のコンサートの音が心地よい。聞いたこともない曲
であるが、きらびやかなメロディーがこの後に始まる劇の楽しさを予感させる良い序曲だと思う。19世紀
後半に活躍した作曲家の音楽は、親しみやすくて心温まるものが多いので、こういった飛び込みのコンサー
トにもってこいかもしれない。
曲が終わり指揮者が下がると、今度は見たことのある人が出てきて、舞台に用意されたマイクの前に立った。
プログラムを眺めてみると、その人はピーター・マクスウエル・デービス。去年のPROMSでも何曲かの
曲が演奏された作曲家である。役目は、新設??された Master of Queens's Music という称号が、今回の
指揮者である、チャールズ・マッケラス氏に贈られるということの紹介だった。英語がダメなわたしにも、
大体6割くらいの話は理解できるほど、わかりやすい英語で、マッケラス氏の略歴を紹介してくださったが、
舞台に立っているその指揮者氏が、80ほども歳をとられているということにはびっくりする。さっきの
序曲で、ほんとうにダイナミックな指揮をされたからだ。
なにやらジョークの混じったマッケラス氏の挨拶は、皆大笑いしていたが、わたしには良くわからなかった。
もっと英語を勉強せねばという思いが、ちょっとだけ顔を出す。
デービス氏が姿を消し、マッケラス氏が指揮台に上ると、打楽器セクションの方から歌が始まった。それは
英国で、なにか別れとか喜びごととかがあったときに歌われる歌。ペイントンで歌詞を教えてもらったのに
忘れてしまった。会場はもちろん大合唱になって、指揮者はとてもうれしそうだった。
次に演奏された、Pineapple Poll という組曲は、これまた次々と親しみやすいメロディーが登場する楽し
い曲で、メロディーにのって思わず体をゆすりながら楽しむ。やはりコンサートは楽しい。こういう曲が
せっかくたくさん演奏される機会だというのに、食わず嫌いとかで参加しないのは惜しいことだと思う。
さてさて、今日は久々だからだろうが、つらつらと書いている。ここからが、タイトルの話となる。
20分の休憩中、座って電子辞書についている百科事典を眺めて過ごしていた。あと5分くらいという処で
前方目の前に影ができた。割り込みである。初日からこれを経験するとは思わなかった。
今日は残念なことに、その割り込みを抗議するような人はいないようだ。わたしは勇気を奮って、抗議して
みることにした。
「アノ、ココカクホチテマチタカ?ギョウレツニナラビマシタカ?」
アラブ人らしいその男は、何度か聞き返した後にこういった。
「さっき、君の前にたってたよ」
こうなると私は弱い。記憶力に自信のないわたしにとって、もしかしたら間違って抗議してるのかもという
可能性のほうが高いようなきがしてきたのだ。「ゴメンネ」と謝ると、「今日はあまり混んでないけど、そ
ういうことはよくあるよ」と特に怒るでもなく彼は前を向いた。
喧嘩にならなくて良かったわいと思いながら、立ち上がってみると、やはりおかしい。さっきクリアに見え
ていた打楽器セクションが彼の影になっている。ほぼ、間違いなく彼は嘘をついていたのだろう。やられた
とおもったが、英語が堪能かどうかということ以前に、記憶力に自信がないというのがいかんともしがたい。
それにしても初日から腹が立つことがあるわいなと思いながら、気を取り直して喜歌劇の始まるのを待った。
きっと楽しませてくれるに違いない...
曲が始まる前に、ストーリーに関する説明が、さっきデービス氏の立っていたマイクを使って始まった。
プログラムによると、説明しているのは今回の脚本を担当した方らしい。
喜歌劇らしく、会場はたびたび笑いに包まれる。ところがこれがさっぱりわからない。何を笑っているのだ
ろう?これは困ったことになった。
曲が始まり、歌手の方々が歌を歌い、そして笑いが起こる。プログラムには歌詞が書いてあるから、読める
はずなのだが、これもほとんど理解できないのである。おそらく、スラングや言い回しを用いた笑いが多い
のだろう。少なくともそう信じたい。いや、そういう話より、周りが大笑いしているときに、笑えない悲し
さというのはたいしたものである。まったくもって、面白くなくなってしまった。曲がどうのこうのという
レベルじゃなくなってしまったのである。
かなり良い演奏のようだった。周りの人の反応をみていればわかる。しかし、わたしはいたたまれなくなっ
て、いっせいに出てくる際のバスが混むのを避けようというのもあったが、ニ幕ある芝居の一幕が終わった
時に会場を後にした。出口までの道に、人がぜんぜんおらず、閑散とした玄関から出たとき、
「ロンドンに住んでいて、こんなに英語ができなくてどうするんかいな?」
という思いを新たにした。
初日からちょっとつまずいたようである。
まぁ、音楽以外のことが原因だから、よいとすることにしよう!
(よくないと思うが...)
7月18日 PROM4 もったいないオバケがでるだよ
17:00 - 22:15
Wagner
Die Walk?re (concert performance; sung in German) (3 hrs 52 mins)
Act I (62 mins)
interval (25 mins)
Act II (91 mins)
interval (55 mins)
Act III (67 mins)
Total time 5 hrs 15 mins
Cast includes:
Siegmund Placido Domingo (tenor)
Sieglinde Waltraud Meier (soprano)
Hunding Eric Halfvarson (bass)
Wotan Bryn Terfel (baritone)
Br?nnhilde Lisa Gasteen (soprano)
Fricka Rosalind Plowright (mezzo-soprano)
Gerhilde Geraldine McGreevy
Ortlinde Elaine McKrill
Waltraute Claire Powell
Schwertleite Rebecca de Pont Davies
Helmwige Ir?ne Theorin
Siegrune Sarah Castle
Grimgerde Clare Shearer
Rossweisse Elizabeth Sikora
Orchestra of the Royal Opera House
Antonio Pappano conductor
「もったいないオバケ」をご存知だろうか。
初め「まんが日本むかしばなし」の一話として登場したらしいが、その後公共広告機構のCMキャラクター
として登場し、いしいひさいち氏の漫画にまででてくるオバケである。子供が食事をしていて、大根やにん
じんを嫌いだといって残すと、夜中に「もったいな〜い、もったいな〜い」といいながら現れる。わたしは、
そのCMを見ていらい、心の中にもったいないオバケを恐れる心が根付いてしまい、もったいないことをす
る人をみると、かならず「もったいないオバケがでるぞ」と言うことにしている。
今年は、外国のNPOかなにかの人が、「日本語の「もったいない」という考え方を世界に広めよう」なる
運動をされていたようなので、彼もさぞいそがしいことだろう。
さて、今日はそんな話?である。
わたしが言葉ができないという話は、昨年、前回を含めてこのHPのいろいろなところで書いている。
この傾向はクラシック音楽を聞く上でも大きな影響を及ぼしてきた。
つまり、オペラなど言葉がからむものは、わけがわからんという理由で聞かなかったのである。ワーグナー
といえば、楽劇の神様のような人だ。私も彼の序曲や前奏曲には、好きなものが多い。ところが本来の楽劇
については、ほとんど見たことも、聞いたこともなかったのである。唯一、記憶をたどれば、DVDを買っ
てみたような気がするが、印象にも残っていない。そもそも曲が何だったのかも忘れた。
しかし、今日のプログラムは少々違う。プラシド・ドミンゴ、つまり世界三大テノールの一人が、登場する
のだ。ミーハー気の多いわたしには、もってこいのワーグナーデビューとなりそうだった。
曲目は、ニーベルングの指輪より「ワルキューレ」全曲演奏である。
オペラのことは良くわからないので、妙な薀蓄を書くわけにはいかない。わたしにとって唯一知っている事
は、「地獄の黙示録」という映画でこの音楽の一部が使われていたこと。そして、わたしが企画に参加して
いた高校の体育祭の仮装行列で、出し物の行列のバックにその「ワルキューレの騎行」呼ばれる部分を使い、
わりと効果的だったとおもったことぐらいである。
さて、前回にゲットしてきた今年用のTシャツを早速着込んで、家をでた。プログラムをみると、夕方の
5時から晩の10時15分までとあるから、立ち見の我々には相当きついプログラムである。今日は、別に
バッグをもっていかねばならない訳もないのだが、途中つらくなったときのために飲む水などとつめること
を考えて、学校の参考書などとともにバッグを持っていった。
バスの中は今日も暑い。こりゃホールの中も暑いだろう。しかし、ちょっと雲行きがあやしく、雨が降って
くることも期待できそうだ。なるだけなら、並んでいるときは曇りくらいで、雨は中にはいってからにして
欲しい。
バスは無事ビッグベンの前を通り、終点につく。前回同様、ちょっと歩いてから乗り換える。
バスの中で、お年寄りに声をかけられたが、聞きなおしても何をいっているのかわからない。
「ゴメンナチャイ...ヨクワカリマセン...」と、言うと同時くらいにそのおばあさんは、
「あぁ、プロムスのね」と、言ってそのままバスをおりていった。
Tシャツの背には、今回のPROMSに登場する作曲家の名前が、小さな字でプログラム順に書いてある。
それを後ろの席から眺めていて、変なTシャツだと興味をもったのかもしれない。
またしても英語の壁に弾き飛ばされて、少々憂鬱な気分になりながらホールの前でバスをおりた。
行列は予想通り極めて長いものができていた。いつもプログラムを買う店を覗くと、人で一杯だ。これは
かなわないと思って、プログラムはホールの中で買うことにする。行列の最後尾に並ぶと、今日はチケット
をスキャンする人がやってきた。と、私の前の何人かの人は、シーズンチケットについているバーコードが
うまく読めないらしく、新しいものを貼ってもらってからスキャンしなおしている。わたしの番になったが、
結果は同じで読む事ができない。そこで係員の人が、持っていたシールをはがしてわたしのチケットの上に
貼ってからスキャンするとOKだった。チケットの番号は前回書いたとおり222だが、スキャンされてい
る番号は626になったようだ。昨年、何のためにスキャンしているのか疑問だった。今日のこの出来事か
ら考えると、あと何人分チケットが売れるかなどの参考にしているだけなのだろう。「何回来たか」などの
カウンターに使っているのではと思っていたが、考えが違っていたようだ。
さて、入場が始まった。バッグをセキュリティーチェックに見せると、しばらく検査したあとに、問題なし
として返してくれる。行きなれたドアを開けて、廊下を歩き、またドアを開けて階段を上ると、アリーナに
でる。さすがにシーズンチケットの効果で、まだ人は半分も埋まっていない。ドミンゴの声を、かなり目の
前で聞く事ができるというのは、ファンにとっては信じられない幸せなのだろう。ちなみに、ドミンゴに
とってもPROMSへの参加は、初めてだそうである。
正面のよいところに女性が座っていたので、その後ろに場所をとる。女性は背が低い場合が多いから、前が
見やすいのだ。そこにバッグを置いて、プログラムを買いにでかけた。
事件はそこでおこった。
プログラムを買う列に並んでいると、カップル連れの男がわたしのバッグを後ろに除けて、場所をとったの
である。わたしはプログラムの行列からすぐ現場に飛んでいって、「ソコ、ワタチノバショ!」と抗議する
と、「こんなときに荷物を置きっぱなしにするなんて信じられない」といった内容のことを言う。おいおい、
それは無いだろう!もし、テロのことで心配なのだったら、そんな危ないものを後ろに除けるのじゃなくて、
さわらずに係員に通報するのが筋じゃないか。後ろに除けておいて、そんな馬鹿なことがよく言えたもんだ!
と思って、侮蔑の意味を込めてニヤニヤすると、「何がおかしいんだ。こんなときに可笑しい話じゃない!」
と言う。わたしが一生懸命英語を考えていると、今度は女性の係員がとんできた。
「このバッグは大きすぎますから、クロークに預けに行って下さい」
久しぶりに本当に悲しくなった。もう英語を考えるのも止めた。
「じゃあ、どうやって場所をとればよいのですか?わたしは、一人できてるんです」
ということをなんとかわかってもらうまで言ったら、先の野郎が、「じゃぁ、僕がみておいてあげるよ」と、
言うので、争うのも馬鹿馬鹿しくなって、よろしくといってそこを離れ、バッグをクロークに預ける。
帰ってくると、丁寧に新聞のようなものがひいてあり、わたしの場所をとっていてくれた。
良く見ると、彼の彼女は日本人である。日本語でプリントアウトされたワルキューレに関する資料を読んで
いる。席をとっておいてもらう事を同意した時点で、この話は私の負けだ。冷静になって考えてみると、たし
かに荷物を置いて行ったのは、最近ぴりぴりしている英国人にとってはかなり酷い行為なのかもしれない。
しかし、先も書いたとおり、明らかに彼のやったことは、私を馬鹿にしての行動である。この彼女も彼にとっ
従順な人なのかもしれない。東洋人というのはそういうもんだとでも思っているのかもしれない。
はらわたは煮えくり返ったが、先も書いたとおり決着は「場所とり」を受諾する前につける必要があった。
しばらくして落ち着いてくると、彼らが話しをしているのがきこえる。なんでも12時前から待っていたらし
い。わたしは、ぎりぎりにきて、シーズンチケットの恩恵で彼らより前にいただけで、彼らのほうが、明らか
にこのコンサートを見ることを楽しみにしている。そう思うと、自分が簡単に引き下がったことで、みんな
ハッピーならよいじゃないかと、まだわだかまりは大きく持ちながらもあきらめることにした。彼も、ちょっ
とは悪いとおもったか、わたしが扇子で扇いでいると、「そりゃ良いアイデアだね。風が来るから、ずっと
やっててほしい」などと軽口を叩いたりしてる。
ま、ええわ!彼女とふたり、お楽しみあれ!ただ、彼女さん。この英国人は、性根はあまり良い奴じゃないと
思うから気をつけや!と、心の中でつぶやいた。
そんなことをイジイジと考えていたら、あっという間に時は過ぎて、ドミンゴ氏を含むオーケストラや出演者
の面々が舞台に現れた。ジャンニ・スキッキのときと違い、舞台に大道具はなく、ただ椅子がおいてあるだけ
である。つまり、ほとんど音楽のみの演奏ということになるようだ。プログラムに載っているいろいろなシー
ンは、大道具を駆使した楽劇の要素をたっぷりと写しだしているので、それも見てみたかったから残念だ。
大拍手の中、前奏曲が始まる。おそらく初めて聞く音楽だ。しかし、ワーグナーの序曲とか前奏曲というのは、
ほんとうに良く出来ているとおもう。この暑いホールで待たされていた聴衆を、楽劇の世界に引き込んでいく
力に満ちている。舞台の袖に下がっていたジグムンド役のドミンゴ氏が再び現れて、歌を歌い始めた。
さて、今日のもったいない話その一である。わたしには彼の声や歌唱のよさが良くわからない。骨董品を見せ
られて、「良い仕事をしていますねぇ」とは中島某氏であるが、それと全く同じ気分だ。やはり、対象となる
ものを聞いていてこそ、よいの悪いのというのはわかるのではないかと思う。むしろ一緒に歌っている、バス
のハルフバーソン氏の方が、声に張りも力もあるように思えてならなかった。
しかし、第一幕が終わると聴衆は熱狂し、「まったく素晴らしい!(absolutely marvellous!)」なんて声
があちこちで聞こえる。わたしは去年発音を指摘されたこともあって、「ブラボー!」なる叫び声も出さず、
ただ拍手をしていた。良い演奏だったようにも思う。ただ、ドミンゴ氏の良さはわたしにはわからなかった。
きっともったいないことをしたように思うのである。
25分の休憩を挟んで、第二幕が始まる。有名な「ワルキューレの騎行」が楽しみだとおもっていると、いき
なりそのメロディーが始まった。知ってるメロディーがでてくるとうれしいというのも、素人が聞いている
典型みたいな話である。しかし、どうも「ワルキューレの騎行」の部分ではなかったらしく、あまり展開もせ
ずに終わってしまう。この先いつ出てくるものやらと思う。
さて、本日のもったいない話そのニである。
この第ニ幕、大変長い。プログラムによると91分もある。なじみの無いメロディーを1時間半も立って聴く
のは苦痛以外の何物でもない。プログラムについてくるテキストを眺めながら聞いているのであるが、だいぶ
疲れたとおもい、先がどのくらいあるのかをチェックすると、まだまだまだまだあるといった感じだ。ある程
度、今日は疲れるだろうと思って参戦したが、完全にへばってしまった。第二幕の途中までドミンゴ氏は登場
しない。もう一度ドミンゴ氏の美声といわれるものを聞いたら、帰ろうと思うようになる。やっと、ドミンゴ
氏が登場したものの、そこから先のメロディーは本当にゆっくりで、テキストはなかなか前に進まない。
もうおなか一杯である。いくら高級な料理を安く食べられるといっても、苦痛を伴っては何もうれしくない。
「ワルキューレの騎行」は第三幕のようだ。ドミンゴ氏の歌もなにもみんなほっぽり出して、ここは帰る事に
決めた。あとは、早く終わってくれ!と願うばかり。テキストの最後のページが現れ、オーケストラが音を
止めて、大拍手が起こる。わたしも大拍手。半分は終わってよかった!という気持ち。ここから55分の休憩
を経ての第三幕にはとてもついてゆけない。さっき怒りの対象だった彼に、「もう場所はとらないで良い」と
かなんとか挨拶をしようとおもったが、日本人の彼女?(だとおもう)ともども私より先に場所を離れていっ
てしまった。要らん事を言ってか言われてか、面白くない思いをするよりは、何も言わずに立ち去るほうが
良かったと思う。
PROM2と同じく、最後まで聞かずに会場をあとにする。去年みたく来るだけで大変な出費だったら、意地
でも会場に残っただろうが、帰りのバスが混んでいないほうが、今日の自分の状態であるとすればうれしい。
しかし...ドミンゴ氏の歌を、10mも離れていないところで聞く事ができる機会なんて、もう2度とない
のだろう。豚に真珠という。まさに今日のプログラムは、わたしにとってそんな按配だった。
ところで、こういうときには「もったいないオバケ」は出るものだろうか?わたしは、嫌いなものを残したわ
けではなく、多くの人にとって価値があるとされるものを残しただけだ。
家に帰って夜、今日の出来事を思い出しながら寝転がっていると、電気をつけたまま寝てしまった。
夢の中に「もったいないオバケ」が出て、
「電気を消せ〜〜」
とだけ、言っていたかどうかは、ご想像にお任せする。
7月23日 PROM10 ちょっと難しすぎ?
11.00 - 13.00
Blue Peter Prom - Out of this World
Liz Barker presenter
Zoe Salmon presenter
Gethin Jones presenter
New London Children's Choir
Prince Consort Percussion
BBC Philharmonic
Jason Lai conductor
去年のこの子供向け「ブルーピーターPROM」は大ヒットだった。
もともと行くつもりがなかったのを、せっかくホテルに泊まっており、行けるプログラムだからということで
参加してみたら、子供向けだとはいうものの内容充実。とても楽しんで帰ってきたのである。
そのときは途中まで子供向けとは気がつかず、「みなさん元気??」「イェ〜ィ」などという調子で、馬鹿を
さらけだしていた。そんなん早く気がつけ!といわれそうだが、参戦して間もなかったので、何もかもがめず
らしく、ただパフォーマンスを受け入れていたというのが実情だった。
さて、今年もちょっと期待してでかけたわけである。
うっとおしいテロ騒ぎがあって、行こうと思っていたプログラムを2つほど見送っての参加。11時からだか
ら、早起きしてでかける。土曜の朝のバスは、普通の時間より数段早くロンドン中心部へとつれていってくれ
た。シーズンチケットで並ぶ場所にいってみると、去年からおなじみのハンガリーのファレンツェさんとか、
英国人のケビンさんとかがいたので挨拶をする。シーズンチケットの入り口に、「PROMS」と書き込まれ
たエメラルド色のTシャツを着た子供が一杯やってきた。合唱参加するのか、それともアリーナに優待されて
いるのかわからないが、いつもと違った雰囲気だ。去年同様、シーズンチケットで並んでいる大人は、わずか
5〜6人といったところなのである。日曜日のは午後からなので、好きな人はそちらにいくのだろうし、もし
かすると、まさに「場違い」というのがあるのかもしれない。
入場すると、プログラムを配っていた。無料らしい。通常は2ポンド50を払って買うので、無茶苦茶得をし
た気分である。実はすでにコインを握り締めていたりしたから、特にそう思ったのかもしれない。
会場は予想どおり空いていたが、パフォーマンス用の舞台が用意されていたりして、良い場所がどこなのか
よくわからずうろうろする。壁にもたれかかって座っていると、「この白線より中にはいってください」と、
係員に目の前にひかれた白線を指さされる。もたれる場所もないから、いわゆる体育すわりで開演を待つ。
今年は、スターウォーズのテーマで始まった。BBCフィルの生演奏で聞くと、この曲も一回り壮大に聞こえ
るような気がする。開幕としては申し分ない。目の前にいる小さな女の子数人が、くるくると踊りまわるのが
とても可愛い。BBCのカメラもそれをたくさん写しているようである。
その後は、くるみ割り人形の「こんぺいとうの踊り」などとともに、先に見かけたTシャツの子供による合唱
なども入る。合唱はトラディショナルということだったが、あまりなじみのないメロディーだった。
そして、デュカの「魔法使いの弟子」。これは、目の前に作られた舞台で魔術の実演をしながら演奏され、こ
れはとても楽しめた。なにしろ、「弟子」の女性を小さな箱に閉じ込めてしまうマジックは、目の前でみてい
てもさっぱりわからず、大拍手。あれは本当にどうやってるものだろう??魔術以外のなにものでもない。
前半を終わっての感想は、まずまずだったのであるが、後半はちょっと疑問符をつけたい内容だった。
後半出だしは、打楽器による会場を巻き込んだパフォーマンスである。このパフォーマンスのために、皆を
指揮する人物が前半の最後、休憩直前に登場し、4パターンの手拍子や掛け声についての練習をさせるのだが、
これが結構難しいのである。しかし時間の関係からか、一通りの練習で終わってしまったから不安がのこる。
予想通り後半出だしのパフォーマンスは、会場を巻き込んでのはずが、ほとんど会場は反応できないままに
終わってしまった。指揮者の方は、一生懸命パターンの合図を支持するのだが、どうやってよいのかわからな
いのである。簡単なものには反応できたのだが。こういう指示系のものは、自分が勉強している教授法の課題
とダブってしまって、少々考えさせられてしまう。
その後のプログラムにも、疑問が多く残った。去年は楽しいボレロをやってくれたのだが、今年はそういうも
のはなく、ややマイナーなプロコフィエフのシンデレラとか、ドビュッシーの海とか、たしかにそういう音楽
が好きな私のような奴にはよいのかもしれないが、前半あんなに踊っていた子供は踊るのをやめ、別の子供は
ぐずりはじめてしまった。ちょっと、子供には難しすぎる曲だったように思う。
しかし、次はおもしろかった。「ドクター・フー」といわれるテレビドラマの主人公らしい?(テレビでみか
けたことがあるが、構成などは理解していない)ロボットがアリーナに現れて徘徊するのである。足はなく、
円錐型の入れ物にいろいろな形の手が出現するといったタイプのロボットだ。これが、ゆっくりとではあるが
人のいるほうに進んでくるので、進路の人はあわてて逃げることになる。初めは怖がっていた子供も、ひとま
わりしたころになってくると、みんな近寄って触ったりして大騒ぎ。壊されないかと心配したが、そこまでや
る子はいなかったようである。日本ならどうなってただろうか?
ロボットが姿を消すと、もうプログラム最後の「希望と栄光の国をみんなで歌いましょう」になってしまった。
やはり今年は消化不良気味といえる。去年と同じく、このPROMではあまり大きな声では歌われない。わた
し自身、久々にうたってみたが、練習不足はいかんともしがたく、歌詞は覚えていたもののあまり気分良く歌
うことができなかった。
司会者のお別れの挨拶とともに、楽団が軽快な音楽を演奏し始めると、天井から風船が降ってくる。待ちわび
ていた子供が大歓声を上げるのを横目に会場を後にした。
う〜む。子供向けなのだから、もうちょっとわかりやすい曲にしてほしかったなぁ。というのが素直な感想で
ある。お隣のケンジントン庭園では、ピーターパン100周年祭りが開かれてた。ホームページの解説では、
それについての解説もなされていたから、プログラムにも関連の曲が入ってるのかと期待していたのも、不満
の残るところだったのかもしれない。
しかし、やはりこういった音楽と、楽しく接する機会をあたえている文化の底の深さには憧れを感じざるを得
ない。日本でもおそらくやっているのだろうが、こういった国民的行事の中で行われれば楽しいのになと思う。
たくさんの、小さなピーターパンや海賊であふれるケンジントン庭園を、久しぶりに散策してから帰ることに
しよう。
7月30日 PROM21 やっと開幕??
19:00 - 21:10
Bernstein
Overture - Candide (5 mins)
Fraser Trainer
For the living (Violin Concerto)* (25 mins)
(BBC commission; world premiere)
interval
Britten
The Young Person's Guide to the Orchestra (18 mins)
Invisible Lines (10 mins)
new work created by Between The Notes, musicians from the BBC SO and young musicians from Berkshire,
Cheltenham, Gateshead and Southampton
Respighi
The Pines of Rome (23 mins)
Viktoria Mullova (violin)*
Between The Notes
BBC Symphony Orchestra
Students from:
Berkshire Young Musicians Trust Ensemble
Cheltenham Music Festival Youth Ensemble
Southampton Youth Orchestra
The Sage Gateshead Weekend School
Martyn Brabbins conductor
今年のPROMSは、どうもイマイチな気持ちが強かった。
最後まで聞いたのも、前回の子供向けが初めてであり、行こうと思っていたプログラムをテロのせいで自重し
たり、ちょっと敏感すぎる抗議を受けてみたりと、まず音楽以前の問題で気分を悪くしていたのもある。
この日は土曜日で、部屋の片付けをしたりDVDをみたりしていると時間が思ったよりたってしまい、バスで
行く事ができなくなってしまった。仕方がないので、地下鉄に乗ってでかけることにする。地下鉄まではバス
にのるのだが、バス停までの道で突然夕立のような大雨に降られてしまう。ただでさえ傘を持っていない人々
は、みんな大騒ぎだ。わたしは傘を持っていたので、それでもGパンをぬらしながらだが悠然とあるいた。
バスに揺られて1時間より、やはり地下鉄に乗っていくほうがだんぜん楽だ。一度乗り換えてもよりのサウス・
ケンジントンの駅につく。去年何度も来て勝手を知っているので、電車のどの辺にのったら改札に近いかとか
良くわかっている。なにやら懐かしいところに帰ってきたような気分になった。約1年ぶりに降り立つ。
さっきの雨は降っていない。ホールにつくと、あまり長くない行列に加わる前にプログラムを買う。今日は、
BBC交響楽団の演奏である。昨年来、メールをいただいている方がファンだとおっしゃっているリーダーの
名前がプログラムに示されているので、プログラムを余計に買っておく。去年も何度か聞いているオーケスト
ラであるが、そのリーダー、Stephen Brant 氏を意識してみるのは今日が初めてになる。どんな良い男か興味
津々だ。
さて、今日のプログラムを改めて眺めてみると、現代音楽系であるからとりあえず楽しめそうだ。中でも、
レスピーギの「ローマの松」が楽しみである。この曲は極めて壮大なフィナーレを持っているから、盛り上が
ること間違いない。プログラムの最後にあるのもありがたい。高揚した気分で帰ることができるかもしれない
のである。最近のちょっと鬱々とした気分を吹っ飛ばしてもらいたいものだ。
そんなことを考えながら行列にならんでいると、雲行きが怪しくなってくる。地面にぬれたあとが無いので、
ここまでは降ってないはずだとおもいながら天を眺める。すぐ後ろに並んだ、ちょっと変わったおじさんが、
クッキーかなにかの缶で作った弁当箱を開いて、なかからサンドイッチを取り出し食べ始めた。と、当日券の
列のほうで傘が開き始める。わずか10mほどの距離しかないはずなのに、こちらは降っておらず、ちょっと
不思議な気分を味わっていると1分ほど遅れてポツリときた。それと同じくらいに列が動き始め、入場門の方
へと移動する。おじさんは弁当をしまい始めたものの、ちょっと手間取っているようで列から遅れてしまった。
私たちがちょうと簡単な屋根のあるところまで来たときに、ポツリポツリが土砂降りの雨に変わった。私たち
のあたりの人々は、一歩も走らずに屋根のしたに滑り込むことができたが、哀れちょっと遅れただけのおじさ
んは、ずぶぬれになってやってきた。そんな調子なので、あたりは被害者であふれ、雨の中をどうせ同じとば
かりに行ったりきたりするカップルがいたりするから面白い。
雨が少し小止みになったとき、入場の時間になったらしくまた列が動き始める。
入場してみると、なにやら大きな舞台がアリーナの真ん中にできていた。プログラムによると、アマチュアの
若手音楽家が演奏するらしい。こういうときはポジショニングが難しい。良く見ると、ステージと簡易舞台の
間にある隙間にはまだ余裕がありそうだったので、そこへいってみると指揮者のドン前に場所を確保できた。
去年のラストナイトで立ってた位置とほとんど変わらない場所である。この場合、アマチュアのパフォーマン
スは、後ろから見ることになる。目の前にはマリンバやヴィブラホンが置いてあるから、珍しい位置から演奏
を聞くことになりそうだ。
持ってきた本を読んだりしていると、携帯電話の電源を切れというアナウンスが流れ、楽団員が入ってくる。
リーダーを除いた全員が位置に着くと、Stephen Bryant 氏が現れた。と、大拍手と歓声が起こる。この人は、
日本からでも注目されているくらいだから、英国にもファンがいるらしい。わたしは男であるので、彼の容貌
についてはあまりここに記すほどの感情を持たなかった。しいて言えば知り合いのスウェーデン人に似ている。
もちろん彼の場合音楽家であるから、ファンになる人はその演奏に魅了されているのかもしれない。
さて、音楽である。
楽団は、去年のザンクトペテルブルグ・フィルがやっていた、第一バイオリンと第二バイオリンが両翼に来る
という配置をしていた。チェロが正面にきて、コントラバスはその位置からは見えない。
レナード・バーンスタインの序曲が目の前で始まった。このきらきらとした序曲を、BBC響は見事に演奏し
てくれたと思う。ラストナイト以外でこのオーケストラを聴いたのは、シベリウスの交響曲2番のときが印象
深く、その演奏はわたしにとってあまり好感の持てるものではなかったので、実はそれ程期待していなかった。
しかし、今日の演奏からは去年の、なにかまとまらないような印象は一切感じられず、活発で、きらびやかな
演奏だとおもった。これはこの後のプログラムが楽しみである。
割れんばかりの拍手のあと、バイオリンのソロ奏者が入場し、これまた変わった音楽が始まる。しかし、この
ややこしい音楽が、これまた実にきらきらと輝いて、それでいて引き締まった素晴らしい演奏なのである。
う〜ん、これは参った。とても良い日に来たようである。現代音楽といっても、訳がさっぱりわからない音楽
ではなく、随所に美しいメロディーやハーモニーがちりばめられ30分ほどの楽しい時間は、あっという間に
過ぎていった。これも大拍手!そして作曲家が登場してきたので、これまた大拍手。余程名のある人だろうと
おもってプログラムを改めて眺めてみると、この音楽は始め小品であったものを、今日のバイオリニストが気
に入ってしまい、大きく仕上げるようにリクエストした結果できあがった、彼のオーケストラ初作品だったの
である。なんとまぁ、こんな凄い音楽がそんな按配でできるものなのか?38歳というから、その経緯からか
んがえると作曲で食べているひとではないのかもしれない。いや、この曲は凄かった。
そしてまた、そういうややこしい曲であったから、目の前で演奏している楽団員の姿をみているだけで楽しむ
ことができた事を書いておかねばならない。当たり前の話だろうが、みなさん非常に集中して指揮者をみつめ、
リズムをとっていた。気合がとてもはいっていたのかもしれない。なにしろ、今日は後のプログラムで若手の
演奏家が登場するのだから、良い見本をしめさねばならないからだろうか。
インターバルの25分の間に、舞台の上ではガタガタと大工事のような音が鳴り渡っていた。
次の演奏のために大きく様相を変えようとしているようであるが、素人目にはなにもわからない。
楽団が入ってきてちょっとおどろく。今度は、バイオリンとチェロが向かい会う、見慣れた配置をとっていた
のである。演奏会の中で楽団の配置が変わるということがあるものなのか、わたしは寡聞にして知らない。
ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」が始まった。高校か中学かの音楽の時間に習ったことがある曲だ。
イギリス人が作ったこの曲を、イギリスのオーケストラの演奏で、しかもイギリスで聞くことになるとは、
あの時まったく想像もしていなかった。そういう妙な感激を感じながら聞く。と、クラリネットが大きく鳴っ
たが、これが気に入らなかった。ピッチが変だと感じたのだ。そこでまざまざと去年の演奏が思い出される。
そういえば、去年気になったのもクラリネットの調律だった。わたしの耳の方がまともだとはとても思えない
ので、どうも私の耳が彼の演奏と相性が悪いのに違いない。ちなみにその後はそういうことが一度もなかった
し、「ローマの松」では大活躍され、とてもよい演奏だったと思うから、もしかしたらあの音は、何かが狂っ
ていたのかも...その辺は闇である。
とちゅう、トランペットの部品が落ちて不幸なことにちょっと静かな部分だったので、キラキラコンと鳴り
響いた以外、この演奏も気合充分の演奏だったと思う。良い演奏ばかり。なんて良い夜なのだろう。
さて、アマチュアさんの部である。アリーナの真ん中に用意された舞台の方を向く。オーケストラも演奏に
加わるのかと思って半身に構えていたのだが、それはないらしいことがわかって向きをさらに変える。
この演奏も、今日のオーケストラの気合が乗り移ったかのような凄い演奏だった。さっきの作曲家トレイナー
氏もキーボードで演奏に加わっている。プログラムには彼の曲だとは書いていないが、さっきの曲に良く似た
雰囲気をもっていたので、彼が中心になって構成をしたものだろう。エレキギターからアイリッシュパイプ
まで登場するリズムとハーモニーの音楽が展開され、終わるのがはっきり言って惜しかった。ずっとやって
いて欲しいと思うほど、心地良いリズムが目の間を通り過ぎていったのである。
もう、満腹といった感じになりながら、またステージを向く。今度は若手の演奏家がオーケストラに混じって
演奏をするようだ。イギリス最大といわれるパイプオルガンも使われるみたいで、ふたが開き、演奏者が鍵盤
の前に座っている。「ローマの松」のような壮大な曲は、大編成のほうが楽しい。期待が高まる。
そして...
今日は、本当に音楽で満腹だ。その圧倒的な音量、迫力、そして美しさ。どれをとっても満点の演奏だった。
曲が終わった瞬間の聴衆の熱狂!となりに立っていた知らない人が、「ブリリアント!」と、満面の笑みで話
しかけてくる。わたしも拍手をしながら大きくうなずく。
もう拍手をし疲れた。この後もう一つ夜の部があるから、アンコールは入らないだろう。みんなそれを知って
いてか、まだ拍手が続きそうなときだったのに、拍手がやんでしまった。それを合図に、今日のお目当ての人
であったリーダーのスティーブン・ブライアント氏が立ち上がり、引き上げ始める。と、また拍手がパラパラ
と再開されて、ちょっとの間続いた。今日の演奏会は全体的に拍手を止めるタイミングが難しく、楽団の人も
対応がむつかしかったかもしれない。最後もそんな感じだった。
あぁ、何度も書くが、今日は幸せな夜だった。
去年かかさずやっていた募金20ペンスを、今年初めてチャリンとバケツにいれる。
コンサートの途中から、感じ始めていた。
今日が今年のPROMSの始まりやな。
と。
8月19日 PROM47 ほろ苦い英雄
19:00 - 20:55
Tippett
Symphony No.4 (34 mins)
interval
Beethoven
Symphony No.3 in E-flat major, 'Eroica' (50 mins)
London Symphony Orchestra
Sir Colin Davis conductor
スペインに旅行にいったりしていて、ふと気が付いてみるともうプロムスも後半戦に入っている。
旅行と、コンピュータートラブルの復旧に追われたダブルパンチで、かなり疲れていた午後にプログラムを見
てみると、なんとロンドン交響楽団で英雄とあるではないか。しかも、指揮はコリン・ディビス。昨年書いた
事ではないが、わたしがもっともクラシック音楽を聴いていたころに活躍していた指揮者である。(最近の音
楽界については何も知らないに等しいので、もしかすると今でも現役バリバリなのかもしれない。ごめんなさ
い)
高校生のとき、試験があるといえば気分を奮い立たせるためによくこの曲を聴いたものだ。今回も、パワーを
貰うにはもってこいのタイミングだとばかりに、小雨がぱらつく空の下をバスに乗り込んだ。
ロイヤルアルバートホールに着いたとき、雨は上がっていた。それでも、これだけのポピュラーな演目だとい
うのに、並んでいるひとはまばらだ。金曜の夜であるから、もっと来てもおかしくはない。
今日は何も買い物がないだろうと、昨年愛用したポーチを持ってきた。新書が数冊入るだろうというような大
きさのものである。ところが、入場時の荷物検査のところで「中を見せてください」といわれた。昨年では、
一度もなかったことである。ロンドンのテロへの警戒もここまできているのかと改めて痛感する。
7月のPROMは暑さとの戦いでもあった。しかし、今年は暑いといわれたはずの予想は、いっこうにあたる
気配はなく、暑さは6月と7月に訪れて以来、どこかにいってしまったようである。今日も快適なホールの底
に座り込んで、最近ロンドンで流行している「数独(SUDOKU)」というパズルをやって時間をつぶす。
これは、もともとはオイラーというスイスの数学者が考案したパズルらしいが、日本のニコリというパズル雑
誌や、夕刊フジの読者欄などに載っていた「数独」をタイムズ紙が紹介したところ大ヒットしたらしい。わた
しも夕刊フジの読者だったので、毎週一度載る数独を楽しみにしていた。会社の帰りに買って、家に帰り着く
までに解こうと一生懸命になったものである。たまに、難しいのがあって翌日に持ち越したりしていた。
このパズルの良いところは、実際時間を簡単につぶせることだ。いつもは長いと感じる待ち時間も、このパズ
ルのおかげであっという間に過ぎていった。
となりでおじさんが話しはじめた。「どこから来たの?」「日本です。」
え?日本の人がいるのか。
と、パズルをする手を止めて右側をみると、女性が座っておじさんと話をしていた。
こんなことは何度かあるので、いつもはそのままに音楽に向かうのだが、この日はちょっと気分が違ったもの
か、パズルがひとつちゃんと完成したので声をかけてみた。
「プロムスは良くこられるのですか?」
突然の日本語におどろいたらしいが、「いいえ、初めてです」と答えが返ってきた。
初めてということは、シーズンチケットは持っていないはずだから、このような前のポジションに来れるとい
うのは、ベートーベンの英雄をやる日には珍しいことである。あの行列の小ささを考えるとさもありなんとい
うところだったので、「このあたりで見れるのはラッキーですよ」なんて話をしはじめたら、彼女が手にもっ
ていたカメラを取り落としてしまった。彼女が拾い上げたものをみると、角のプラスチックが割れている。
電池が転がり落ちていたのでそれを元通りに入れてみたが、電源が入らない。壊れてしまったのである。
わたしが声をかけたからそうなったのかどうか、よくはわからないが、ちょっとがっくりしてしまう。
しばし、こねくり回してみるものの、カメラばかりはフィルムが入っているので分解するわけにもいかず、な
んとか電源がちゃんと入らないものかと、電池を入れなおしたりもしたが駄目のようだ。
ふと前を向き直ると、もう楽団が入ってきていた。
「気を取り直して、音楽を聴きましょうや」
と、声をかけてカメラを返した。
サー・コリン・ディビスが入ってきた。もうかなりの歳のはずである。
はじめのティペットという人の交響曲4番。交響曲というわりには楽章の区別が付かず、ずっと演奏をしてい
ると言う感じの曲だった。ちょっと今日のロンドン響はアンサンブルに問題があるようで、格パートが早すぎ
たり遅すぎたりしているように感じる。よくわからない曲であるから、それでよいのかもしれないが。
休憩に入って、今度はさっき話しかけてきたおじさんがカメラを触り始めた。彼はスイスの万能ナイフを持っ
ていてそれでスイッチをなんとかしようとしているようだ。しかし、魔法はおこらず、カメラは復活しない。
なんでも彼女は半年の滞在で、あと2月残っているらしい。そんなときにカメラを失うのは、かわいそうな話
である。しかし、ここでしゃしゃり出て分解し、何枚か撮っているであろうフィルムを無駄にするわけにもい
かず、「このままにして修理に出すか、日本に持って帰って修理に出すかしないと、フィルムを痛めては元も
こもないよ」とだけ助言する。この国は「写るんです」が異常に高いことも、悪い情報として付け加えて。
そんなことをしていると、やはりすぐに時間がたって、指揮者が入ってきた。こちらを向いて挨拶をしたまで
はよかったが、なんと指揮棒が見当たらないようだ。「どこだろうな?」という調子で指揮台のあたりを見て
いたようだが、ヴィオラの女性が見つけて手渡した。「ありました!」というようなおどけた動作をして、笑
いをとってから、曲が始まる。
う〜む、やはりちょっとアンサンブルが悪いようだ。めちゃくちゃな演奏だとは言わないが、優良可といえば
可の演奏といったところだろう。はじめの現代音楽とおなじで、やはりそれぞれの音の合図がうまくいってい
ないように思う。
そういう事情が絡んでくることかも知れない出来事が起こった。
曲が始まってあまりたたないところで、さっき見つけたばかりの指揮棒を、おじいちゃんは曲の途中で右前方
に落としてしまう。どうなることやらと見ていると、大柄なチェロの男性が拾い上げて、手渡した。
こちらはカメラを落とし、あちらは指揮棒。どちらも大事なものだが、あちらの演奏はそのまま何事もなかっ
たように続行する。
50分の演奏が終わりに近づき、あと数十秒で終わるというときに、観客席から単独と思われる拍手がおこっ
た。おそらく感激のあまりの拍手ととりたいところだが、フライングにしてはちょっと早すぎる。これには、
まわりにいた人々と顔を見回していると、今度は本当のフィナーレとなった。
わたしは大熱演のおじいちゃんに感謝の大拍手を送った。周りも、「ブラボー」の大絶叫が続く。足をふみな
らしてのアンコールも起こる。しかし、今日はこのあと夜のプログラムがあるから、おそらくアンコールはや
らないだろうなと思っていたら、案の定、おしゃれな髭のコンサートマスター氏と手をとりあって、退場され
てしまった。
わたしにとって、今日の演奏は可であった。不快な気分になったわけでもないが、これは凄い!!と言えるよ
うな演奏でもなかった。英雄という曲がもつパワーによって、ちょっと気分は良くなっていたが、その分をと
なりの彼女が失ったカメラのことに持っていかれてしまったようにも思う。
「残りのロンドンを楽しんでくださいね」
といって彼女と別れる。
なにやら、ほろ苦い英雄を聞いて帰ることになったようである。
8月21日 PROM50 火の鳥は舞い上がる
18:30 - 20:30
Novak
Eternal Longing (20 mins)
Schumann
Piano Concerto in A minor (32 mins)
interval
Stravinsky
The Firebird (1945 Suite) (30 mins)
Llyr Williams (piano)
BBC Symphony Orchestra
Jiri Belohlavek conductor
ことしはBBC響と相性が良いようだ。
この日は大好きなストラヴィンスキーの火の鳥があるので、どんなオーケストラであろうと聞きには来ていた
だろう。しかしながら、前回「ローマの松」でのキラキラと輝くような演奏は、火の鳥にはもってこいの響き
だと思い、今日もBBC響の演奏を楽しみにしていたのである。
バスでちんたらと出かけたら、思いのほか時間がかかってしまい、信号で止まるたびに悪態をついたりしてい
た。妙な日本人がぶつくさいっているので、テロ警戒の人がいたら目をつけられていたことだろう。やっとこ
さでアリーナのシーズンチケットの入口にたどり着いたとき列はもうなく、一人チケットを差し出す。
アリーナに入ってみると、まだまだ右側前方の良いところがあいていたので、そこに腰をかける。数独をして
いるとあっという間に時間がたち、楽団員が入ってくる。と、そこにアラブ人っぽい二人連れが右側に割りこ
んできた。誰かに文句を言われるかなと見てはいたが、特に問題ないようだ。昨年来、このような場合には、
自分にとって問題ある行為を、自分で注意するというのがルールのようなのでなにもしないでおく。
コンサートマスターが入場してくる。おなじみのスティーブン・ブライアント氏だ。拍手に迎えられて、ちょ
っと小柄な彼が席に着き、めがねを取り出してかけると準備完了である。指揮者が入場してきてノヴァークの
曲が始まった。
この曲はわたしにとって初めて聞くものだ。そもそもノヴァークの曲を聴くことも、自発的にはなかった。
今日、目の前を過ぎていく音楽は、とても心地よいものだ。これはCDを手に入れたいなと思う。
ところどころに楽器の独奏がちりばめられていて、それがまたとても綺麗に響く。BBC響は、好調を維持し
ているみたいである。アンサンブルに乱れもなく、安心して聞くことができる。ただ、ひとつの不安を除いて
は、である。それはクラリネット。昨年から相性が悪いのか、私の耳がわるいのか、顔も覚えてしまった彼の
音が強く響くときにかぎり、「あれっ!」と感じることがおおいのだ。音が違うように感じてしまう。小さい
音の時はあまり感じない。強く吹き込むときに、なにか割れたような感じになってピッチまで違うように聞こ
えてしまう。プロを相手に毎回変なことを書いているが、本当はどんなものなのか知りたいものである。
ただ、今日を限って言えば、「あれっ!」と思うことはあまりなかったので、慣れてしまった?のかもしれな
い。あまり変なことは書かないようにしよう。
曲があまりに良かったからかもしれない。わたしよりもっと前の右前方で、人が倒れるような音がした。曲は
もちろん続いているが、まわりの人たちは何が起こったのかと、きょろきょろし始める。係員がやってきて、
なにかしていたが、特に問題はなかったようで、別に退場したようでもなかったから安心した。
そんなちょっとしたハプニングはあったが、なかなかの演奏であったと思う。
さて、ピアノがばたばたと搬入されて、シューマンのピアノ協奏曲となる。右前方は鍵盤が見えないし、反響
板と正対するからか、ピアノの音が目立ちすぎて困る。なるほど空いていた理由は、そんなところにもあるの
かもしれない。さっき割り込んできたアラブ人は、「彼らしく」舞台の左側、鍵盤の見えるところに移動して
いったようだ。そこでも文句を言われていないようだから、結果的にはうまくやったことになる。悪いやつが
のさばる世の中は面白くないけれど、周りが許しているのならそれでよいのかもしれない。
ピアノのウイリアムス氏が入場してきた。なんとも大げさな動きをする人である。あんな動きでピアノを弾い
たらどうなるものやらと思っていたが、本職のほうは大げさではなく、どちらかといえば叙情的な演奏ではな
かったか。演奏が終わって大拍手。また、大げさな彼にもどって、舞台を行き来している。
演奏そのものについては、これは「まあまあ」といったところである。現代音楽を聴きに来ている日なので、
シューマンはちょっと遠いところにあるような感じがしたのかもしれない。
20分の休憩を経て、さて火の鳥である。
去年、この曲をプロムスで聴いて、できるだけ多くのプログラムを聞きに来ようと決めた曲だ。今回は初演か
ら35年後の1945年に改訂されたものが演奏される。1910年の初演時、彼はわずか28歳であった。
しかもこの曲は、当初依頼されていた作曲家の遅筆によって、若いストラヴィンスキーにお鉢がまわってきた
といういわくつきの作品なのである。もし、リャードフという元々依頼された作曲家が普通に曲を作っていた
ら、今この感激を味わうことができたかどうか微妙なのだ。人生も、文化も、不安定な砂の上にたっているの
だと改めて思う。20世紀ロシアの作曲家らしく、住む国を何度か変えた大作曲家がこの曲を改訂したとき、
住まいはアメリカだった。1945年といえば、アメリカは日本との戦争の真っ只中。ナチスによく思われて
いなかったストラヴィンスキーが、どのような気持ちでこの曲を改訂していたのかはわからない。彼は、19
59年に来日しNHK響と火の鳥を演奏しているから、特に深い思いはなかったのだとは思うが。
演奏は、深いチェロとバスの響きで始まった。
BBC響はこの演奏でもすばらしいパフォーマンスを見せてくれたのである。この演奏に関しては、申し訳け
ないがあまり書くことがない。終章の大団円といわれるところに向かって音楽が流れていく中、まろやかな
ファゴットの音がなくなり、かすかな弦楽の響きのなかからホルンが姿を現した時、ゆるくなった涙腺は、も
う辛抱することができなかった。ずっと続いていてほしいような、すばらしい時間。至福のときだった。
火の鳥は間違いなく飛び立っていったのである。
大拍手の中、今日は時間も早いことだし、アンコールがあるかなと期待したのだが、あろうことか拍手のほう
が先に止んでしまった。演奏は掛け値なしにすばらしいものだったし、楽団は小さなスコアを用意していたよ
うにみえていたのだが...このあたりの機微はよくわからない。この大感激のままで、かえるほうが良いと
いうことだろうか。
拍手がやみ、コンサートマスターのブライアント氏がとなりのバイオリニストの足をポンと叩いて立ち上がっ
た。楽団はいっせいに袖のほうへ移動してゆく。今日の演奏会はこれで終わりだ。
まだ明るい空の下、足取りも軽くバス停へと向かって歩いた。
8月22日 PROM51 静寂も音楽である
19:30 - 21:45
Ravel
Alborada del gracioso (9 mins)
Ravel
Piano Concerto in G major (22 mins)
interval
Shostakovich
Symphony No.8 (65 mins)
H?l?ne Grimaud (piano)
London Symphony Orchestra
Bernard Haitink conductor
昨日の演奏会でBBC響が好調であると書いた。そして、前回「英雄」を聴いたロンドン響は、アンサンブル
が今ひとつだったと書いた。今日またそのロンドン響を聴きにやってきた。
前回の指揮者がコリン・デービス。そして今日は、これまた大指揮者ベルナルト・ハイティンクである。
ハイティンク氏は昨年、ドレスデン国立歌劇場管をつれてやってこられ、大変すばらしい演奏をされた記憶が
ある。今日、昨日の火の鳥に続き、これまたわたしの大好きな曲であるラヴェルのピアノ協奏曲を、どのよう
に演奏してくれるのか、とても楽しみである。
この日は、朝から雨が降り続き、夕方バス停に向かうときにもまださめざめと降り続いていた。昨日、時間的
にちょっと失敗したので、ちょっと早めに会場へと向かいたいところなのだが、雨が降っているなか行列に並
ぶ時間をできるだけ短くしたいということもあって、タイミングが難しい。
会場についてみると、行列は屋根のあるところにできており、わたしが並ぶことになったあたりは、まだ屋根
があるところだったので、ありがたいことに傘をささずに済んだ。まだ、雨はじとじとと降っている。
入場して、昨日の教訓どおり舞台向かって左側の良いポジションを確保した。シーズンチケットの特典である
10分前に入場できるということは、こういうときに本当にありがたく感じる。今日は学校の課題を持って、
宿題でもやろうかと思ってきたのであるが、結局待ち時間は数独をして過ごした。狭いところに座っているの
で、あぐらはかいているものの痺れが切れてしまい困った。楽団が入ってきたので立ち上がったあと、足をゆ
すっていたらバランスを崩しそうになる。前の人が振り返って微笑む。痺れはみんな切れますよね。
前回と同じ、髭のおしゃれなコンサートマスターが入場したあと、ハイティンク翁が登場した。1929年生
まれの76歳。今日のプログラムは、ややこしいラヴェルの曲が2曲に、長いショスタコービッチの曲。たっ
ている体力だけでも相当なものだと思う。この姿を目にするだけでも、価値があるのではないだろうか。
1曲目はラヴェルの「道化師の朝の歌」である。プログラムにややこしいフランス語が書いてあったので、は
たして何かいなと思っていたが、曲が始まって了解した。ラヴェルは佳作な作曲家であるから、このような曲
目の知り方ができる場合がある。
さてさてロンドン響である。今日も今ひとつノリが悪い。どうも練習不足のような感じがしてしょうがないの
だ。英雄の日のプログラムと同様に、ジャンとでるべきところが、妙にずれた印象になったりしている。昨日
のBBC響よりも、問題が多いように思った。
続いての楽しみにしていたラヴェルのピアノ協奏曲においても、これは批評してよいものかどうなのかわから
ないところなのだが、曲始まりを告げるバチのようなものの音がどうも変であり、もう一度?曲のなかで鳴ら
されたときもやはりバチがい(場違い?)に感じた。ああいう「楽器」には調律というものが無いのであろう
か?打楽器の調律といえば、とちゅうで鳴らされる銅鑼の音も、なにか曲に合っていなかったように思う。
ピアノを弾かれた Grimaudさんは、プログラムによるとかなり注目されている女流ピアニストらしい。最近、
PROMSと朝の置きがけに鳴らしているラジオ以外、クラシックの話題を仕入れていないから、ありがたみ
がまるでわかないが、演奏後の観客の熱狂振りはなかなかのものだった。
演奏そのものとしては、これまたところどころで、楽団との噛み合いが悪かったりしたので、この曲にとても
思い入れを持っている身としては、「優」をつけることはできないなといったところである。
さて、休憩の最中にまたしても男女連れが隣に割り込んできた。実はわたしは数独に夢中だったから、それが
割り込みなのか元いた人なのか、まったく気が付かなかった。しかし、今日の場合は昨日と違って、「被害者」
にあたる人が抗議を始めた。
「君たち最初からここにいたの?いなかった?じゃあ、もとの場所にもどりなさい」
やはり当たり前の話ではあるが、割り込んではいけないというのがルールなのである。
と、そこに一人の紳士といった感じの男性が、わたしの右側にやってきた。この人も休憩前にいた記憶がない。
この場合は後ろのひとが抗議をしているようすもないので、そのままになっていたが、面白かったのはこの人
の行動である。この人、観客席のほうを気にしてばかりいる。どうも、観客席のほうから、興味半分でアリー
ナに降りてきたらしい。これはマナー違反というより区分違反であり、ほんとうはやってはいけないことであ
る。高い券をもっているから、低いところに座ってよいはずはないのと同じ按配だ。おそらく、自分の座って
いるところより、みんなが立っているこの場所のほうが、よく聞こえるとでも思ってやってきたのだろう。
曲が始まるまで、ずっと観客席の方を向いて笑顔でサインを送ったりしていたのであるが...
結論から書くと、この人、第二楽章とのつなぎ目で座り込んでしまった。かわいそうに、ちゃんと席をもって
いたのに、となりの芝生を緑に感じたばかりにえらい目にあってしまう。座り込んだ瞬間、女の人の笑い声が
響いたが、それが彼の連れ合いだったかどうかは定かではない。彼は65分の曲が終わるまで、ずっと地べた
にすわりこんだままだった。気の毒のような気がした。しかし、プロマーの大変さも、ちょっとはわかっても
らえたことだろう。気合の入り方が違うのである。
私自身にしてみても座り込みたくなるような長い時間であったことは間違いない。なにしろ長い曲であった。
しかし、それだけではなかった。この曲は疲れているはずなのに、あとになればなるほど味わいを増していっ
たように思うのだ。ロンドン響のアンサンブルも、この曲に来て始めて本来のものをとりもどしたかにみえ、
まるで長年のソビエト政府からのプレッシャーに対して、ショスタコービッチはとうとう分裂病にでもかかっ
たのかと思わせるようなこの交響曲を、ハイティンク翁を中心に見事に演奏されたように思う。
観客もまた最高だった。いつもより余計な咳や雑音も少なく、楽章間のわけのわからない拍手も一切なし。
この難しい音楽にみなが集中しているのがよくわかる。
そして、フィナーレを向かえ、チャイコフスキーの悲愴の何倍も深く、重く、長い曲の終わりにたいし、会場
はまるで雪の日の朝のように静まり返っていた。楽団の奏でる小さな小さな音を、みなが聞き漏らすまいとし
ているかのよう。そして、その音が無くなった後も、ただの静寂というより、なにか現実にはありえないよう
な、暗い闇の中にいるような静けさが会場を包む。もちろん咳も雑音も無い。ハイティンク翁のバトンがまだ
動いている。その空気を切るかすかな音までが聞こえるかのようだった。
指揮棒はやがておろされ、静かに始まった拍手はあっという間に割れんばかりの大拍手となる。ハイティンク
翁は一礼後、すぐに指揮台を降りて袖へと向かったが、途中でよろめいておられたように見えた。この65分
の大曲を立って指揮されるには、もうかなりつらいお歳なのだと思う。
ハイティンク翁は、しかしすぐに指揮台に戻ってこられて、大歓声の中をなんども登場された。今日の拍手は
アンコールを求めるものではなく、あのショスタコービッチの交響曲をはじめとするすばらしいパフォーマン
スに対する感謝の気持ちだったように思う。
驚くほどの静寂の中に、音楽を感じることができた。
安く音楽を楽しめるプロムスでは、特に観客席がざわつくことが多く、こういう場面にめぐり合えたことは、
珍しい出来事なのではないかと思う。少なくとも、過去は逆であり、静かにしてほしいところで、咳されたり
して憤慨することのほうが多かったからである。
ハイティンク氏は、去年見かけたインタビューの中で、プロムスの観客は最高であると言われていた。今日、
ロイヤルアルバートホールに詰め掛けた何割の人が、それを知っていたか知らない。しかし、ハイティンク氏
の信頼に、観衆が間違いなく応えた夜だったということだけは間違いないだろう。
大拍手の中ハイティンク氏は、感極まったような表情をされつつ最後の挨拶をされて、会場を去っていかれた。
あの静寂。ちょっと忘れることができない思い出になりそうである。
音がないのだから、忘れるほうが難しいのかも知れないが。
8月24日 PROM53 若さって良いものだ!
19:00 - 20:50
Ravel
Rapsodie espagnole (15 mins)
Ravel
Sh?h?razade * (16 mins)
interval
Walton
Symphony No.1 (43 mins)
Bernarda Fink (mezzo-soprano)*
European Union Youth Orchestra
Sir John Eliot Gardiner conductor
雨風の強い中、若いオーケストラを聴きにやってきた。
ラヴェルのスペイン狂詩曲とシェーラザードが入ってるというので、無理をしてでもやってきたという気分で
ある。名門ロンドン響が奏でたラヴェルには、かなりの疑問符が付いた。今日のオーケストラは、ヨーロピア
ン・ユニオン。ユース・オーケストラというわけであるから、EUの若手を集めたオーケストラなのだろう。
名門の向こうを張って、若い人たちがどんな演奏を聞かせてくれるのか、楽しみでもある。
舞台に登場してきた楽団の中の女性陣は、みなEUのマークのついた長い布を肩からかけている。
よく見ると譜面の表紙にもEUのマークがあり、このオーケストラの成り立ちを示しているかのようだ。おそ
らく、EU各国から選りすぐりの若手を集めているのだろう。
さて、指揮者が入ってきて演奏がはじまる。
スペイン狂詩曲。ラヴェル32歳の時の傑作である。曲の始まりにあたる「夜への前奏曲」と呼ばれる部分の、
ラヴェル独特ともいえるキラキラと輝くような音が見事に演奏され、楽団の錬度の高さを感じることができた。
また、若いオーケストラ独特ともいえる「演奏しているのが楽しくてたまらない」といった表情を、満面に浮
かべながら演奏している人が何人かいるのを見ていると、聴いているこちらのほうも楽しくなってしまう。
始まりに感じた期待どおりに演奏は進み、「祭り」とよばれる終曲での盛り上がりに突入していった。ここは、
この曲の中でもっとも盛り上がる部分なのではあるが、ちょっと若さがほとばしりすぎたように思う。
行け行けどんどん!と攻めすぎな感じがして、ちょっとヤケクソ気味な演奏にすら思えた。
若さ、はじけすぎといった感じだ。
続いてのシェーラザード。これは楽団は伴奏者であり、メゾソプラノの歌を楽しむ曲だ。歌曲の演奏は、ドミ
ンゴの時にも書いたように思うが、プロマーの大きな楽しみの一つなのである。なにしろ、ほんとうに目の前
で歌っている一流の歌手の声を聴くことができるのだから。
この演奏での若手のパフォーマンスはすばらしかった。さっきの祭りで爆発させすぎた力を、今度はうまくお
さえて、歌手の声を邪魔せず、しかし音楽そのものを大変引き立てている。ロンドン響ですら手を焼いていた
ラヴェルの繊細な編曲を、見事にこのオーケストラは歌手と一緒に歌い上げてくれた。大拍手である。
休憩をはさんで、プログラムによると「初演時の熱狂はたいしたものだったらしい」Waltonの交響曲1番がは
じまった。スペイン狂詩曲ではやりすぎと思えた熱演が、この曲ではおそらく求められているものだったのだ
ろうと思うほどぴったりとはまり、最後まですばらしいパワーと緊張感を保った演奏だったと思う。
曲そのものは、ブルックナーみたいな曲だと感じた。でも、ブルックナーほど「あれこれ言いたい」わけでも
ないから、わたしには聞きやすかったのだが、最後の最後、「はよおわらんかい!」と叫びたくなるような、
終わりそうで終わらないフィナーレをもっていたのが減点1といったところである。スパッとおわっていれば、
もうちょっと気分も良かったようにおもう。
わたしにとって、今年のPROMで初めてのアンコールを演奏してもらい、これまた何の曲かいつものとおり
わからぬまま演奏会は終わった。良い演奏会だった。オーケストラも聴衆も、双方とても楽しめたのではない
だろうか。
若く、力強く、そして切れのある音楽を聴くことができて満足だ。
帰りのバス、スペイン狂詩曲のメロディーが後ろのほうから聞こえてきた。
8月25日 PROM55 BBC修理工房
19:30 - 21:25
Morgan Hayes
Strip (12 mins)
world premiere: BBC commission
Berg
Violin Concerto (27 mins)
interval
Beethoven
Symphony No.7 (40 mins)
Leonidas Kavakos (violin)
BBC Symphony Orchestra
Joseph Swensen conductor
今日はベートーベンの7番を、絶好調だと私が勝手に判断しているBBC響で聞きにきたのである。
だから、はじめの妙な現代音楽は、作曲者まで壇に上がられたというのに、なんの感想もない。まったく忘れ
てしまった。特にCDがほしいとも思わなかったので、そのくらいの音楽だったのだと思う。
今ならインターネットで聞くことができるはずだが、そんな気もおこらない。
今晩のコンサートマスターは、このページではおなじみになったとも言えるブライアント氏ではなく、女性が
座っている。プログラムによるとゲスト・リーダーの Stephanie Gonley さんとある。また、ふと気が付くと、
BBC響におけるわたしの天敵ともいえる、クラリネットのおじさんが座っていない。プログラムを確認して
みると、主席奏者の名前が入っていない。おっと、彼は主席だったのか...ともかく、クラリネットの響き
に悩む必要はなさそうである。チェロには主席の Monksさんの姿が見える。
一曲目はそんな按配で、おなじみさんを確認しているくらいで終わってしまった。
が、そのつぎのベルグのバイオリン協奏曲はすばらしかった。
バイオリンは去年も登場したカバコス氏。前回もすばらしい演奏を披露してくださったので、期待が持てる。
ところが、バイオリンを手に入場してこられたのはよいが、その後楽器とアゴとの間に挟む布を丁寧にセット
するのに時間がかかり、悠長なもんだとばかりに、会場から失笑とともとれるさざなみのようなため息が起こ
る。Promerは立ちつづけなので、待つのが嫌いなのだ。
しかし、演奏が始まると、その緊張感に満ちた演奏に息を呑んでしまった。
ベルグの色彩にあふれた音楽が、一本のバイオリンと、BBC響によって見事につむぎだされていく。
時にきらびやかに、時に強靭に、目の前に現れる音楽が花火のように咲き誇っていた。と、そのとき...
ピン!という音がして、カバコスさんの大切なバイオリンの弦が切れてしまったのだ。
さて、こういうときにはどうするか?
その昔、「題名のない音楽会」だったか、「オーケストラがやってきた」だったか、もう無くなってしまった
クラシック音楽をメインにした番組の中で、「コンサートマスターのバイオリンが壊れたら、どうするか?」
という問題がクイズ形式で出題されていた。その時の答えは、すぐ後ろの奏者のバイオリンを借りて、順番に
後ろにわたして行き、最後の人つまり格下の奏者が舞台の袖に壊れたバイオリンを持ち去るというものだった
ように思う。今回は、コンサートマスターどころか、バイオリン独奏者の楽器が壊れてしまったのだ。
カバコスさんは、数秒そのまま引き続け、ちょっとした隙間を見つけたのかコンサートマスターの Gonley さ
んのところに行って楽器を借りた。そこまでは予想が付く。なにしろ、独奏用の楽器であるから、良いもので
なければならない。おそらくバイオリン群で一番良い楽器は、コンサートマスターが持っている楽器だろう。
さてカバコスさん、その楽器を受け取ると、さっきの丁寧さはどこへやら。さっと楽器をあごに挟んで、また
演奏を続行した。他人の楽器は勝手が違うとおもうのだが、見事な音はあまりかわらないようだ。
さて、壊れたバイオリンを持っているのは、コンサートマスターである。バイオリン協奏曲といっても、彼女
のパートには曲の重要な部分がちりばめられているに違いない。そんなことを考えていると、通常ナンバー2
にあたる彼女の左隣の奏者と楽器を交換した。やはり良いバイオリンを持っていたのかもしれない。しかし、
テレビのクイズの答えとは違った動きである。Gonleyさんがゲストだと知ったのは、コンサートが終わってか
らである。ということは、バイオリン独奏者、コンサートマスターともにゲストであり、ともに自分のバイオ
リンを持たずに演奏するという珍状態がそこに現れていたわけだ。
さて、ちょうどあまり第一バイオリンがでてこない部分だったらしいことが幸いして、彼らには時間があった。
壊れたバイオリンを受け取った奏者は、後ろの席の別の奏者から予備の弦を受け取り、修理を始めたのだ。
これにはびっくりした。もし、修理が完了したとしても、カバコスさんには返せないだろう。なぜなら、調律
ができていないに違いない。
あほなことをやっとるわい!
と、思っていたら、弦を張り替え終わったその奏者は、耳を弦に近づけてちょこっとはじくなどして、なんと
演奏中に調律までやろうとしているようだった。「さすがプロのやることは違うわい!」と、感心した次の瞬
間...弦がまた切れてしまったのである。修理していた奏者は、お手上げといった表情をしている。
そうなったら、テレビでやってたルールの登場かと思いきや、あきらめないBBC修理工房は、修理者をお手
上げサインを出した人から、また別のおそらく第2バイオリンの女性奏者に移した。
この女性がまた小さく調律をしおわったころ、カバコスさんの演奏も終わった。
事件が起こるまでも、起こってからも、この演奏はすばらしかったのだが、私にとって事件後は、壊れたバイ
オリンのその後が気になって、かなりの神経がそちらに言ってしまったことは間違いない。
修理が完了???したバイオリンは、観客の熱狂にこたえるカバコスさんに手渡され、また大事そうに抱かれ
て会場から消えていった。カバコスさんにしてみれば、あれだけ大事にしているバイオリンが、演奏中の舞台
の上で修理されていたというのは、かなり気になる状態だったのではないだろうか。
それにしても一番の災難は、Gonleyさんである。ゲストとして来たコンサートで、こんなハプニングにあうな
んて。演奏中に修理をするというのが、どのくらい普通のことなのか、わたしは知らないのであるが。
ベルグのバイオリン協奏曲は、そんなハプニングの中、しかし当初のきらめきは失うことなく終わった。
大拍手である。バイオリンが壊れたカバコス氏は、代わりのバイオリン持って舞台に何度も登場し、最後に
Gonleyさんから自分のバイオリンを受け取って、引き上げていった。もちろん、アンコールはない。
さて、20分のインターバルのあとは、お楽しみの第七交響曲である。
わたしは、この曲を聴くと学校の試験を思い出すのだ。「英雄」とともに自分の気を鼓舞するための曲として、
よく選んだものなのである。そして、感動のあまり疲れて眠ってしまうのであった。
その悪い?思い出からか、この曲を満足にコンサートで聴けたことがない。ゲオルグ・ショルティーがウィー
ンフィルを連れてきた時の名古屋の演奏会でもこの曲が入っていたのだが、「トリスタンとイゾルデの前奏曲
と愛の死」、「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」というすばらしい曲が続き、そのあとだった
こともあって、なんとうたたねをしてしまったという「もったいないお化け」な話すらある。そんなわけであ
るから、多少は気合を入れておかないと、アリーナで寝ると大音響を発して倒れてしまうことになるので要注
意というわけだ。
しかし、やはりBBC響は好調だった。最近の現代風路線が、このオーケストラの持っている響きに合ってい
るのかなと思い、少々このベートーベンについては懐疑的でもあったのだが、第七交響曲の持つ力強さを見事
に再現してくれた。アンサンブル、音のパワーも十分である。若い人たちのスペイン狂詩曲では、「やけくそ」
と表現したこのパワーの要素も、大人らしく抑制の効いたなかでの圧倒的な迫力を持っていた。
最後までこの聞きなれた曲を、緊張感をもって聴くことができた。感謝である。
今年のプロムスでは、いわゆる超メジャーなオーケストラをまだ聴いていない。
このあとコンセルトヘボウとかウィーンとかがやってくる。
昨年経験したあのメジャーの感覚を忘れているから、今日のコンサートで大満足できるのかもしれない。実は、
「これは良い演奏だな」と思いながら、そのこともちょっと考えていた。
しかし、わたしは今日大満足して帰る。
それ以上望むというのでは、今日の晩に「もったいないお化け」ならぬ「強欲お化け」がでて、苦しめられる
ことになってしまうだろう。いやはや、すばらしい演奏だった。
それにしても、今日のBBC修理工房。珍プレーをも楽しませてもらった。
家路への足元も軽い。
8月26日 PROM56 指揮者と楽団
19:30 - 21:40
Brahms
Violin Concerto (38 mins)
interval
Liszt
A Faust Symphony (62 mins)
original version
Nikolaj Znaider (violin)
BBC Philharmonic Orchestra
Gianandrea Noseda conductor
偉そうなタイトルをつけたが、内容はあまりない。いつものことだが。
今日の指揮者、ノセーダ氏とは去年のPROMSで、「火の鳥」を指揮されたときからのお付き合い?である。
長身を一杯に使った指揮から繰り出される演奏は、ひとつひとつの音をできるだけ長く扱うという技とあいまっ
て、迫力の有る曲がうまくはまったときには、とてつもなく感動的な演奏となるのだが、はまらないと悲惨で
楽団がついてくるのが精一杯となる。昨年の話でいえば、「火の鳥」はもうこの世のものとも思えぬほどの大
名演だったが、その後に聞いたショスタコービッチの「革命」は、いつオーケストラが止まるかとひやひやす
るような怪演であった。今日、ノセーダ氏が指揮台に立つとプログラムにあり、かつ演目がファウスト交響曲
となると、爆発してくれればまた大感激で帰ることができるのである。ただ、怪演の場合は、その長い時間の
なか、ひやひやする気分をどう処理すればよいのか、考えただけでもゾッとする。
はじめの演目である、ブラームスのバイオリン協奏曲では、さすがにバイオリニストとの息を合わせるために
か、あまり極端な指揮ぶりでもなく、この名曲を普通に楽しむことができた。「あまり」とはいえ、独奏者よ
り汗をかいておられたようにおもう。ノセーダ氏の指揮とはそういうものなのだ。指揮中にカメラがアップに
なれば、おそらく画面から体が何度もはみ出してしまうだろう。
休憩を経てファウスト交響曲が始まる。やはりノセーダ氏は大熱演。去年と同じく、音は指定されている限界
まで長く扱っている感じがして、そのためにメリハリは欠きがちになるものの、音の迫力は圧巻である。
第一楽章が終わったとき、インターバルが長いなと感じていると、客席から多くの人が帰っていくのがみえた。
もちろん、今夜の演奏が不満なのではなく、団体様の退場みたいだったが、演奏家としてはこんなに気分のわ
るいものはないのではないか。ただ、ノセーダ氏は、指揮台の周りに設けられた手すりにもたれかかるように
して休憩をされていたので、彼にとっては良いお休みだったのかもしれない。
第二楽章が始まってしばらくしてから、考え始めた。去年とはオーケストラの反応がまるで違うように思った
のである。BBCフィルは、この指揮者とどのくらいの付き合いなのかは知らない。この曲に限ったことなの
かもしれない。しかし、先にも書いた去年の「革命」のとき明らかに「笛吹けど踊らず」だった楽団が、今日
はその笛によく反応しているように思ったのである。もちろん、これまた先述した昨年の「火の鳥」のように
今日は息があっているだけなのかもしれない。でも、なにか違うように思う。
常任指揮者ということだから、きっと楽団が、この人の熱烈指揮と音の扱いかたに慣れたのではと考えた。
クラシックの世界では、このような現象は極あたりまえなのかもしれない。わたしは、音楽についてはずぶの
素人であるし、クラシック音楽も正直なところプロムスだけに通っているようなもの。この日記は、他の旅行
記と同じく雰囲気をお伝えしようとおもって書いている。しかし、たった1年の変遷ではあるが、ある作業の
結果のようなものを感じたのは、間違った感覚だったのだろうか。
ごちゃごちゃとわけのわからないことを考えながら、この壮大な交響曲に聞き入った。
やがて終章を迎え、ノセーダ氏は、最後まで大きな身振りを崩さず、楽団も最後までこの指揮に反応しきった
感じである。去年の火の鳥ほどの感激は無かったにしろ、大拍手に値する演奏であったことは間違いない。
最近のPROM、充実している。
8月27日 PROM57 平和ってすばらしい!
19:30 - 21:45
Rossini
Overture, William Tell (12 mins)
Debussy
Pr?lude ? L'apr?s-midi d'un faune (10 mins)
Esa-Pekka Salonen
Helix (7 mins)
BBC commission; world premiere
Wagner
Prelude Act I, Die Meistersinger von N?rnberg (10 mins)
interval
Rimsky-Korsakov
Sheherazade (45 mins)
World Orchestra for Peace
Valery Gergiev conductor
誤解されることを恐れず書いてみたい。と、いうか他のページには書いてきたことである。
わたしは、「人権」とか「平和」とか「平等」とか言う言葉に、まったく良いイメージを持っていない。
なんて酷いことを書くのだと思われる方も多いと思う。
もちろん、その言葉の持つ意味を嫌っているのではない。
「人権」「平和」とも、自分の生活にとって毎日意識するようなものではないが、社会の機能あるいは状態と
して重要なものであるということはよくわかっている。わたしは憲法9条絶対護憲論者であるし、自分の人権
を無視されるような国では生活したいとは思わない。「平等」だって、無いと感じれば悲しいことだろう。
では、どうして良いイメージが無いなどということを書くのだろうか。
それは、人権団体とか平和団体とか言われるものがこの世にあって、明らかにやりすぎな行動をやっているか
らに過ぎない。政治的圧力団体に成り下がっているであるとか、わけのわからない頭でっかちな理論をぶつと
かいったイメージのみを持っている。人にはいろいろな考えや感じ方、幸福不幸の捕らえ方がある。その中の、
ごくごく極端な話を持ち出して文句三昧では、それは賛成しろというほうが難しくなる。平和の考え方だって
そうだ。平和は絶対だという意見もあるかもしれない。戦争をしなければ良いというのかもしれない。しかし、
それを言っている平和団体は、人を不快にするような「抗議行動」という戦闘をやってるではないか。戦争と
いうのは、それが国家間の争いになっただけである。結局人間が闘争心を持つ限り、戦争という状態はありえ
るのである。戦争の元をたつような単純な発想をもちつづけたとて、結局不毛な、そして極端な議論となる。
極端で強い論調は、結局ほかの戦いを生むか、国が無駄な力を使わなければならないといった状況を生む。
たどり着くところは、お金とか何かの権利とかいうことではないだろうか。
本当に良い考え方をもって活動されている方も、「もしかしたら」あるのだろう。しかし、残念ながらわたし
にとっては、このようにかぎかっこ付きでしかそれを記すことができないほど、疑いの目でしかみていない。
特に、弁護士といわれる頭の良くなければなれない職業の人々が、徒党を組んで人権を主張しているのをみる
と反吐がでそうになる。戦争という言葉にのみ反応して、旧日本軍といえばなんでも悪だと言いたがる手合い
の先祖は、いったい何をしていたのだと疑いたくなる。
人権にしても、平和にしても、他人事だからこそ極端な主張ができるようにしか、わたしは思っていない。
では、どうすればよいのか。
わたしは今日、その答えのようなものを見たような気がするのだ。
ゲルキエフ指揮の、「平和の為の世界オーケストラ」。
元々は、大指揮者、故ゲオルグ・ショルティの提唱によって始まったらしい。ショルティは、ユダヤ人であっ
たことから、いろいろな差別に遭ったという話をどこかで読んだことがある。そういう経験が、音楽という世
界共通言語を使って、みなが仲良くしようという試みを誕生させたのだろうか。
プログラムを見れば、世界のたくさんの国からオーケストラの団員が集まって演奏をしてくださっているとの
ことである。ウィーンからも、シカゴからも、そして大阪からも。
ステージの上では、どの位置が主席であるとかの序列があるのだが、それも一曲ごとに席替えをして演奏する
念のいりよう。しかし、多くのバイオリンソロパートがあるリムスキー・コルサコフのシェーラザードでは、
一番活躍すべきコンサートマスター席に、ウィーンの方を持ってくるという妥当性。もちろん、ウィーンだか
らというのではなく、技術的に妥当であるということだと思う。
過激な平等主義を主張する人に、みてもらいたいようなシーンである。
そして、曲目。外敵と戦った「ウイリアム・テル」。その外敵であるドイツの音楽、ワーグナーの「ニュルン
ベルグのマイスタージンガー前奏曲」。ショルティがユダヤ人としての意識を持っていたならば、ワーグナー
は過激なユダヤ排斥論者で有名であり、最近までイスラエルでは一切演奏されなかったぐらいであるから、こ
の曲を演奏するなどもってのほかといえそうだ。しかし、そんな過去は振り払って、ショルティはワーグナー
奏者としてすばらしい業績を残した人なのである。
人の国の国旗のことを、ほかの国の人がなんと考えるかなどというわけのわからない議論を持ち出す教育者。
このショルティの心意気を、少しでも感じてみては如何だろうか。
そして、天国からやってきたような音楽「牧神の午後への前奏曲」。これこそ、平和を象徴するような音楽。
目をつぶり、その美しいハーモニーを全身で感じながら、その音楽を奏でてくださっている方々が、世界のあ
ちこちからやってきていることを思い出し、平和のありがたさを強く強く感じたのである。
平和は、守らなければならない。
人権が、侵されてはならない。
社会は、平等でなければならない。
それらを知るのに、過激な行動は必要でない。極端な意見もいらない。
そんなのは、みんな他人事だからやってるだけのことだ。自分に酔ってるだけのことだ。
本当に庶民が平和を感じる瞬間。
世界の人があつまって、なにかひとつのことを行うということ。
それを静かに続けていれば、良いと思うのである。
アンコールの最後、個人的には「ラデッキー行進曲」をやって欲しかった。
会場のみんなで盛り上がりたいと思ったのだが、残念ながらそれはかなわなかった。
8月29日 PROM59 音楽で元気になる
19:30 - 21:35
Wagner
Overture - The Flying Dutchman (10 mins)
Beethoven
Piano Concerto No.3 in C minor (36 mins)
interval
R.Strauss
Also sprach Zarathustra (34 mins)
Emanuel Ax (piano)
Tonhalle Orchestra Zurich
David Zinman conductor
ちょっと疑いの気持ちを抱きながらやってきた。
それは、チューリッヒのオーケストラというのはどういう演奏をするのだろうか?というものである。
会場に入ると、ちょっと変わった光景が目に入ってくる。まるでオペラのオーケストラピットのような照明が、
各譜面台についているのだ。最近よく話しをしている中国人のおじさんに、「今日は序曲だけですよね?」と
話かけて確認してみるが、彼が持っていたプログラムにもオペラ本体の演目はない。彼いわく「TV中継があ
るから、光が足らないんだろ?」そりゃ英国が如何に後れた国といっても、そこまではいかないと思う。
確かに去年、この国らしくといってよいものかどうかわからないが、ステージの照明がいきなり切れて薄暗く
なるといった事件もあったから、それを避けようという試みなのかもしれないのではあるが。
少々いつもと雰囲気の違うステージで、ワーグナーの序曲が始まった。
「さまよえるオランダ人」
フライング・ダッチマンといえば、幽霊船のことであったり、往年のサッカーの名選手クライフの事であった
りするのだが、ワーグナーのオペラは「さまよえる」と訳がついている。
この勇壮な序曲を聴いて、このオーケストラに対する疑念が、まったく失礼なものであったことに気が付く。
すばらしい演奏だ。しかも、PROMSへの出演を楽しんでいるのが良くわかる。すくなからずの演奏者が微
笑みを浮かべながら、演奏しているのである。こういうときの演奏には、入っていき易いものが多くなる。
楽しさは観客に伝染するのである。
続いてベートーベンのピアノ協奏曲3番。
調律の時、今かいまかとラの音がなるのを待ち構えていると、「チーン」。
PROMERから大拍手。もちろん、わたしも大拍手。これはPROMの常連だけが知ってるイベントであり、
初めて聞く人々は、それを見て大笑いしている。楽団も大笑い。ちなみに、BBC響などがやるときは、こち
らを意識しているように、ちらちらと目線を送りながら「チーン」とやる。そして、大拍手がおこる。
話がそれた。
この大拍手は、もちろん一回だけで終わって、あとはまじめに調律をしてもらって準備完了。
ピアノ協奏曲が始まった。
指揮者のツィンマン氏とピアノのアックス氏は、まるで友達かのようににこやかに目を合わせながらの演奏だ。
今日は楽団といい、独奏者といい、とても気持ちよくやっておられるように思う。こっちも気分が良い。
演奏も良かった。大拍手。もちろん、調律のときよりも大きく、一生懸命送る。
休憩のあとの、「ツラトゥストラはかく語りき」。
私にとってリヒャルト・シュトラウスの曲の中でこの曲と「アルプス交響曲」は、良さがよくわからない曲だ。
曲の始まりがあまりにも有名であることから、聞く機会は多い曲である。しかし、有名な導入部以外は、どう
もごちゃごちゃとしているような気がするのである。「英雄の生涯」が、彼自身の作ったメロディーの寄せ集
めと言われているが、しかし、非常にまとまっていると感じるのに対して、この曲はどちらかといえば、わた
しの鬼門であるブルックナーのような匂いがしてしまうのである。
ただ、今日のオーケストラは、リヒャルト・シュトラウスの魅力である多彩なオーケストレーションを見事に
演奏し、一つ一つのフレーズの美しさを表現してくれた。いつもなら、途中で聞くのがつらくなるこの曲を、
今日は最後まで緊張し、しかも楽しみながら聞く事ができたのである。これは脱帽だ。
アンコールもすばらしかった。
「ツラトゥストラはかく語りき」では、パイプオルガンが重要な役割をするので、ロイヤルアルバートホール
のパイプオルガンが大活躍した。そのセットアップを生かし、初めて聞く曲だと思うがエルガーの威風堂々の
ような壮大・勇壮な曲のフィナーレで、パイプオルガンがホール一杯に響き渡った。なんと言う音だろう!
鳥肌の立つようなオルガンとオーケストラのハーモニーの中で曲が終わると、割れんばかりの大拍手が会場を
つつんだ。おそらく、今年一番の大歓声だったと思う。疲れも、課題の心配も、みんな吹っ飛んでしまった!
オーケストラにただただ感謝。
この元気を持ち帰って、課題の仕上げをするとしよう。
9月 2日 PROM65 スローなブラームス
19:30 - 21:25
Lutoslawski
Concerto for Orchestra (30 mins)
Interval
Brahms
Symphony No.1 (46 mins)
Royal Concertgebouw Orchestra
Mariss Jansons conductor
昨年はバーバリアン・ラジオ響を連れてきたヤンソンスが、今年はコンセルトヘボウとやってきた。
去年は、「英雄の生涯」「悲愴」と、私の好きな曲を続けざまに演奏してくれたことや、野蛮人?の割り込み
騒ぎ、会場の照明のダウン、まったく酷い咳の話など、読み返さなくても思い出される話題を提供してくれた
彼であるから、今年は何があるのだろうと少なからずの期待をしていく。もちろん、騒ぎの方には彼の責任な
ど一切無いわけであるが。
会場に着くと、さすがにシーズンチケットの行列も少々長く伸びていた。人気はまずまずのようである。
ホールに入ってみると、真ん中付近はもう一杯になっている。こういった場合、左右どちらかをとるか、真ん
中の後方を選択するかを考えるのだが、今日は重厚なバスの音を楽しみたかったので、やや右のポジションを
確保することにした。舞台までは10列といったところか。やや出遅れたが、まずまずのポジションだ。
しかし、座席を見回わしてみると空席が目立つ。この演目としては、かなり意外である。
楽団入場のあと、ヤンソンス氏が登場した。
今日はここまでこれといった騒ぎはない。割り込みがあるわけでもなく、はたまた照明も落ちない。
問題なく滑り出しそうである。
ルトスタブスキー?の曲が、ティンパニーのゆっくりとした連打で始まった。
「あれ?これって?」と思う。
この日のメイン?は、ブラームスの交響曲1番。つまり、ティンパニーの印象的な連打で始まる曲だからだ。
しかし、曲の印象は「次の曲との対比を考えてるのかな?」という、はじめに感じた一瞬のもの以外には特に
なく、ただ音楽が目の前を通り過ぎていったという感じである。
休みに入っても特に問題は出ない。今日はなにもなさそうだ。また、楽団と指揮者が登場して、さて、メイン
プログラムの演奏だ。印象的な出だしを堪能するために、一瞬の静寂が欲しい。
ブラームスはこの交響曲を仕上げるのに、20年にも及ぶ年月をかけたといわれている。ベートーベンを超え
たいという想い一心だったとも伝えられる。そしてその執念を無駄にせず、曲は稀代の名曲として完成した。
ヤンソンス氏はこの曲を、非常に遅いテンポで扱っている。コンセルトヘボウは、ともすれば「ゆっくり」と
も思えるそのテンポに、アンサンブルを崩さず見事についていってる。これが名門の妙技ともいうべきだろう
か。
ただ、わたしには、もう少し音量が欲しいという気がした。ゆっくりと重厚なブラームスを描こうとしている
ようには感じる。しかし、重厚さを出すにはなにか音が薄いように感じたのだ。最後のフィナーレも、問題な
くまとまっていたのだが、もうちょっとだけがんばって欲しかったように思う。
ちょっとネガティブなことを先に書いてはみたものの、演奏にはとても満足した。余裕で「優」を進呈できる
だろう。聴衆も大満足といった反応。アンコールも2曲。さすが名門オーケストラの演奏であった。
さて、今日は何事も無かったか?
帰ろうとしてアリーナの半ばまで歩いてきたところ、男同士がつかみ合いの喧嘩を始めた。やはり、ヤンソン
スは嵐を呼ぶ。しかし、こんな良い演奏を聴いてなにを喧嘩することがあるんかいな?
喧嘩をみていた男性がつぶやいた。
「ブラームスが遅すぎたんだよ。」
よくわからないが、うまくまとまっているようなので、これを原因ということにしておこう。
しかし、人間ってほんと変だ...
9月 7日 PROM71 ウィーンはいつもウィーン
19:30 - 21:35
Haydn
Symphony No.103 in E-flat major ("Drumroll") (30 mins)
Berg
Three Fragments from 'Wozzeck' * (20 mins)
interval
Stravinsky
The Rite of Spring (33 mins)
Katarina Dalayman (soprano)*
Vienna Philharmonic Orchestra
Zubin Mehta conductor
ウィーンフィルがやってきた!
ミーハーといわれようが、なんといわれようが、このオーケストラは別格である。
実は休みの最後を利用してイタリアに数日でかけており、この日の朝ローマを発って昼過ぎに一度帰宅。それ
からまたこのPROMに並びに行ったという強行軍である。というか、このプログラムがあるから帰国したと
いうのが偽らざる事実だ。
ところが、である。
自宅でゆっくり休みすぎて、ロイヤルアルバートホールに着いたのが午後5時45分ごろ。シーズンチケット
の入場開始が通常6時30分過ぎだから、並ぶ時間は一時間を切っていた。名門が来る場合、行列はホールを
出て一般道に流れていくのが通常であり、そんなところに並んだ場合は、前の良いところに立つことを期待し
てはいけないのだ。
先に一度言ってしまったことをもう一度言おう。
ところが、である。
行列はホールの広場の半分ほどしか行っていなかった。
これは何なんだ!!
水曜の夕方だからといっても、ウィーンである。
去年、たびたびこの日記に登場した「口笛のおっさん」が近くに並んでいたので、「こりゃおかしいね」と話
しかけると、彼は「まだ早いんじゃない?もうすぐ来るよ。」などと、非常にわかりにくい英語で言う。そん
な話を聞きつけてか、中国系と見える男性も「こりゃおかしい」などといっている。
結局行列はホールの広場を出たか出ないかくらいのところで終結し、入場が始まった。
ウィーンがなめられているのか、プログラムがイマイチなのか、なにか重要なイベントがあるのかわからない。
しかし、この行列は不可解極まりなかった。
一般チケットのほうは、もちろん一般道に出てならんでいたから、シーズンチケットのほうだけに限った話な
のであるが。
会場に入ると、普通に真ん中の3列目あたりに場所を確保できた。なんという幸運!ウィーンフィルをかぶり
つきで聴けるのである。床のあいている小さな空間にプログラムをおいたりして、割り込み者の侵入をさける。
楽団が入ってきた。もうはじめから拍手が続いている。気が付いてみると会場は満杯になっている。コンセル
トヘボウの時とは、さすがにちょっと違った。行列の件は不可解だったが、それでこんな良いポジションを確
保できたのだから、昨日サンピエトロ寺院でちゃんと賽銭をあげてお祈りをしたのが効いたのかもしれない。
ズビン・メータ氏が入場する。
うわっ!この人も老けた...写真でしかみたことがなかったが、わたしの知る「モテ男」ズビン・メータは
こんなお爺ちゃんじゃなかったはずだ。プログラムを見ると69歳。さもありなんといったところか。
ハイドンの交響曲「太鼓連打」が始まった。
こういうのを「贔屓目」いや「贔屓耳」というのか知らないが、もう弦楽のなんともいえない響きに圧倒され
る。特に、たまに聞こえてくるビオラの主席奏者の方の音は、この世のものとは思えない美しさだ。チェロも
すばらしい。あと、トロンボーン。なんという綺麗な音だろうか。
ちょっと気になったのは、コンサートマスターを務められた方のバイオリン。なにか指が引っかかるようで、
小さなミスが目立つ上に、音があまり出ていないように思う。なにかあったのかもしれない。
ウィーンの偉大な作曲家が続く。続いてはベルグのオペラから3つの部分が演奏される。
この演奏では、ウィーンフィルを聴きにきているはずではあったが、歌手のダレーマンさんの声におどろいた。
いままでもかぶりつきで何度かソプラノを聴いたが、この人の声量は圧倒的だ。近すぎて、耳に堪えるほどだ。
もちろん、ただ大きい声というのではなく、しっかりした歌を聞かせていただいた。凄かった。
そして、休憩の後は「春の祭典」である。
ストラヴィンスキーといえば、「春の祭典」という名前が出てくることが多い。そして初めて聴く人は、その
ややここしい音楽に恐れをなして、それっきり「ストラヴィンスキーの音楽は、そういうもんだ」と決め付る
傾向があるように思う。モンロー=ワイルダーの「七年目の浮気」の一シーン。モンロー扮するモデルが二階
に引っ越してきた中年男。彼女を「クーラーのある自宅」に誘い、レコードを手に取りながら選ぶシーン。
「ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキー...ストラヴィンスキーは怖すぎる...」とつぶやく。
おそらくこのとき手にとったレコードも「春の祭典」だったのだろう。
たしかに、モンローと聴くにはちょっと疑問符がつく音楽だろうと思う。ちなみに彼は、ラフマニノフのピア
ノ協奏曲2番を選び、妄想のなか情熱的なシーンを想像するが、実際にやってきたモンローは「クラシックね」
としか認識しないというありがちな展開である。
ただ、映画の妄想男のように、ストラヴィンスキーの音楽を「春の祭典」だけで代表してしまっては、音楽の
視野を狭めてしまう。このページに何度も出てきた「火の鳥」のほか、「ぺトルーシュカ」「ミューズの神を
率いるアポロ」など、彩りにあふれたオーケストレーションと、聴き易い構成を持つ曲も少なくないのである。
「春の祭典」は、たしかにメロディアスな曲ではなく、リズムとオーケストレーションの曲であるように思う
から、とっつき易い曲とはとても言えないだろう。しかし、「火の鳥」からストラヴィンスキーに触れたとす
れば、この「祭典」は、もっと受け入れやすくなるに違いない。
さて「春の祭典」が始まった。
始まりに聞こえる、ファゴットのやさしいメロディーが流れたとき、1913年の聴衆は、まさかその後に展
開される祭典がこのようなものだとは思わなかっただろう。オーケストラからほとばしってくるような、色を
感じる音が、魂をゆすぶるリズムとともに体をかけぬける。
複雑難解な曲がリズムを中心に構成されているから、合奏の乱れは致命的だ。ウィーンフィルは、当たり前の
ように、不安をまったく感じさせない進行で曲をつむいでいった。体を小さくゆすりながら、リズムの洪水に
身をゆだね続ける。
すばらしい。まったくすばらしい。プロムスに感謝!万歳!
至福の時はあっと今に過ぎ、気が付くと楽団とメータ氏に大拍手を送っていた。
もちろん、大地を踏みしめてのアンコールも、いつもより高く飛び上がって感謝の意をあらわにする。
メータ氏が指揮棒を持って現れた。何かアンコールをやってくれるようだ。これはありがたい!
「ウィーンに戻りました」
と、聴衆に向けて言うと、曲が始まった。
ヨハン・シュトラウス二世作曲ワルツ「ウィーン気質」
私はもう泣き出しそうだった。ワルツ王の曲の中で、おそらくもっとも美しいメロディーを持つこの曲を、ス
テレオの前に座って何度聴いたことだろう。演奏はいつもボスコフスキー指揮のウィーンフィルだった。今、
本物が目の前で演奏しているのである。ウィーンフィルにとって、この手の曲の指揮者は関係ないだろう。
なんという幸福!ローマの祈りの効果を本気で信じた瞬間だった。
最初のバイオリンの掛け合いで、ちょっとだけ音がずれたのにびっくりする。
おそらくこの手のウインナワルツを演奏するウィーンフィルが、そういうミスをするのは珍しいのではないだ
ろうか。楽団員の少なくない人が、代々このオーケストラとかかわっているといわれているこの楽団で、ワル
ツ王の曲の中でもメジャーな曲は、子供の頃から染み付きすぎているほど染み付いているだろうからだ。
しかし、もちろんそんな小さいエラーなんて、全然関係ない。またしても、「終わって欲しくない!!」とい
う空間が出現したのである。ずっと聴いていたかった。言葉にはとても言い表せないすばらしさ。
ステレオのようにリピートができるわけでもなく曲は終わり、心からの拍手を送る。床を踏みしめる。
メータ氏がまた指揮棒を持って現れた。もう一曲やってくれるらしい。
ヨハン・シュトラウス二世作曲ポルカ「雷鳴と電光」
もう、完全にローマの祈りの力を信じた。
この勇ましいポルカも、わたしの大好きな曲。何度も何度も聴いた曲だった。
しょうも無い言葉で、この感動を書く必要もあるまい。
今回のPROMSでは今日限りの指揮となるメータ氏が楽団員となんども握手し、鳴り止まぬ拍手の中、
コンサートマスター氏と手を取り合って会場を去っていく。わたしは、楽団員が半分ほども退場するまで、
感謝の拍手を送り続けた。
今日の演奏、そして演奏会。
感謝の一言である。
明日は、ブルックナーの「長唄?」だ。
当初は行かないでおこうと思っていたのだが、これは行かないわけにはいかなくなった。
実はアンコールを期待している自分がいる。
9月 8日 PROM72 感性というものは...
19:30 - 21:05
Bruckner
Symphony No.8 in C minor (ed. Novak) (85 mins)
Vienna Philharmonic Orchestra
Christoph Eschenbach conductor
わたしには、どうしてもわからない人種がいる。
それは、ブルックナーが好きという人たち。
何度聴いても、脳みそをかき乱され、時間を浪費しているだけにしか思えない音楽なのである。
だから、ブルックナーが好きという方には、この日の記録は読まれないほうが良いと思う。
多分、気分を害されるだけである。
昨年、ドレスデン国立歌劇場が演じてくれたブルックナーの交響曲7番は、そのオーケストラの音が良かった
ことや、67分という「まだ耐えられる」演奏時間によって、まだまだ楽しむことができた。
しかし、今日の演奏は、わたしにとっては何も残らなかった。ウィーンの美しい響きも、長い長い立ちんぼの
時間が忘れさせていってしまった。途中から時計ばかり見ていたし、ただただアンコールを期待していた。
それだけが、今日来た目的だったのである。
ところが、である。
演奏が終わって、他のひとはどういう気持ちかしらないが、私はタダひたすらアンコールを期待して大拍手を
おくっていた。エッシェンバッハといえば、ちゃんと昔は髪のあったピアニストだったが、今見る彼はまった
くのはげ頭で、一体なにか心境の変化でもあったかと思うような容貌である。その彼が、何度か現れたあと、
楽団員は我々にちょこっと会釈をして、会場を後にし始めてしまった。
これにはがっくりを通り越して、ヤリどころのない怒りがこみ上げてきた。何に八つ当たりすればよいものか?
そう、この場合、矛先はブルックナーとアンコールをやらなかった指揮者にしか向けようが無い。
大体、長すぎるのである。
綺麗なメロディーやオーケストレーションができるのだから、それを完結にまとめたらよいのだ。
ラヴェルを聴いてみなさい!と、言いたくなる。
指揮者も指揮者だ。大体ピアノ弾きだったのに、なぜ指揮者なんてやってるんだ。あんなに皆、大拍手をして
いるのに、しかも1曲だけ演奏しただけなのに、アンコールをなぜやらないんだ。
「どんくさい音楽だ!」「エッシェンバッハは高慢だ」などとぶつぶつ言いながら、駅への地下通路を歩いて
いたから、目撃した人にはかなり異様な光景だったに違いない。
後日、音楽のちゃんとわかる人に聞けば、この日の演奏はすばらしかったそうである。春の祭典よりもかなり
良かったという評価らしい。きっと、それが本当のところなのだろう。
しかも、アンコールについては、「ブルックナーの後には、アンコールをやらない」のだそうだ。なんでも、
高尚な音楽の余韻を楽しむためだそうで、簡単なアンコールなどをやると気分を害する人がいるのだそうであ
る。そういえば、昨年もドレスデンはアンコールをやってない。
ブルックナーって何者なのだ!
ともかく、わたしがアンコールの件については、わたしの勉強不足だったようであるから、エッシェンバッハ
氏を高慢ちき扱いにしたのは反省せねばならない。
しかし、ブルックナーについては、もう決めた。
「コンサートには絶対行かない。それがタダでウィーンフィルが聴けるというときでも(ただし立ち見で)」
ということである。
人の感性というものは、なんなのだろうか?
払った銭金の問題や、音の美しさなどという問題なら、今日のこの演奏に勝るものはめずらしいだろう。
しかし、わたしは勉強不足はあるものの、気分を害することしかなかった。
実は目を閉じるなどして、曲に集中しようとなんども試みた。綺麗なメロディーもあった。しかし、駄目だっ
た。こうなると好みの問題以外のなにものでもないだろう。生理的に受け付けないという奴である。
と、なると一刻も早く、この話題をやめたほうが良さそうだ。
ブルックナーをお好きな方々、失礼いたしました。
9月 9日 PROM73 世界一の日の出
19:30 - 21:35
Debussy
La Mer (24 mins)
Mark-Anthony Turnage
From the wreckage (20 mins)
BBC co-commission with Helsinki Philharmonic and Gothenburg Symphony orchestras: UK premiere
interval
Sibelius
Luonnotar (9 mins)
Ravel
Daphnis and Chlo? - Suites I and II (28 mins)
Solveig Kringelborn (soprano)
H?kan Hardenberger (trumpet)
Crouch End Festival Chorus
Helsinki Philharmonic Orchestra
Esa-Pekka Salonen conductor
明日で2005年のPROMSは終わりである。
そして、最終日といえば「ラストナイト」が行われる。
このラストナイトに「良い場所」で参加するためには、ラストナイトの数日前から配布される1枚の紙に記さ
れた案内に従う必要がある。今年の場合、前日の決まった時間に行列に参加していることが第一条件だった。
それから、いくつかの関門をクリアしていく必要がある。詳細については、誤解を生むといけないのでここに
は記さないことにしたい。
このルールによる行列は、ルールが無かった当時、ラストナイトに参加するために、何日も前から徹夜で並ぶ
人が多く出たためだそうである。現在、徹夜は基本的に禁止されている。
そんな按配で、ラストナイトの件もあって、この日は早くからロイヤルアルバートホールで行列していた。
快晴の中待っていると、後ろにならんだドイツ人だという人が「今日は雨が来るって天気予報で言ってた」と
いう言葉のとおり、夕方にさしかかると土砂降りの雨が降ってきた。こういうときには、行列は仲良く屋根の
ある場所に移動することになる。雨が止んでも屋根の下にいると、係員が「雨が止んだので、元の場所に戻っ
てください!」などと言いにくるのもまた面白いところである。
長い間並んでいると、日本の人をはじめとするいろいろな人と話ができるのが面白い。昨日のブルックナーに
関する話もそんなところから教えてもらったりした。行列は元々大嫌いで、ラーメンを食べるのに行列してい
る人を見ると、ブルックナーが好きな人を見るのと同じ好奇心を持ってしまう(もう、この話やめますね)。
ところがPROMSでは毎日並んでいるわけだし、その効用を言ったりしているわけだから、勝手なものだ。
この日の行列は、ラストナイト用と当日の演奏会用を兼ねている。つまり、この日の演奏会では、ラストナイ
トと大体同じポジションを確保できるわけである。
前置きが長くなったがこの日の演奏会は、ラストナイトの件が無くても早めにならんでおきたいような内容で
ある。ラヴェルの「ダフニスとクロエ第一第二組曲」が合唱付きで演奏されるからだ。
特に第二組曲の「日の出」と言われる部分は、わたしはあらゆる日の出表現の中で最高のものと確信して疑わ
ない。朝焼けがかすかにはじまり、来るべき一日への期待が膨らむ中、太陽が地平線の彼方から劇的に現れる
といった風景が描かれているように思う。
ラヴェルはこの曲を合唱付きで作曲している。しかし、なぜかレコード(CDですね)録音では、合唱パート
を除いた演奏が多い。わたしは、合唱が入っていてこそこの曲だと思うので、今日の演奏が楽しみなのだ。
ホールに入り、指揮者正面の3列目が確保できた。同じ場所に日本から来たというかなりの音楽愛好家と見え
る青年がおり、「ラストナイトはいつから並べば良いか?」という質問をされる。彼によると、「よく知って
る」風の人に聞いたところ、「良い場所をとる場合は、夜通し並ばねばならないが、それでなければ当日でも
入れるよ」と、聞いたとのこと。「夜通しならぶ」というのは、情報によるともう10年近く前に禁止されて
いる。彼以外にも、同じような「情報」を耳にしたことがあるので、いまだにまことしやかにうわさされてい
るのだろう。彼がわたしと同じポジションにこれたということは、ラストナイト用の行列にも参加できたはず
だから、ホールの人などに尋ねていれば問題なく参加できたであろうにと残念に思う。ただ、「当日でも入れ
る」という部分は、おそらく正しいと思うので、ラストナイトはホールのどこかで楽しむことができるだろう。
やがて楽団員が入場のあと、若く見える指揮者が登場し、ドビュッシーの「海」が始まった。
去年はこの曲を、ベルリンフィルで楽しんだ。ここ2日ほど、ウィーンフィルの音を聞いている。
そういう環境の中でのヘルシンキ・フィルの音は、やはりちょっときらめきに欠けているように思えてならな
い。「フィンランディア」をやるなら丁度よいのではといった少々くすみ加減の音のように思うのは、先入観
からだろうか。ちょっと、最後のラヴェルが不安になる。
次の曲は現代音楽である。去年も登場したホーカンさんなるスウェーデンのトランペッターが、3つもトラン
ペットをもって入場してきた。どんな風に音が変わるのだろうか。椅子の上に残りの2本を並べて置いてから、
こちらを向いて演奏が始まった。
う〜〜む、これはまったく意味不明の音楽である。ところどころジャズっぽい感じがするが、それならばジャ
ズを聴いたほうが何倍も良いような気がする。トランペットを変える意味もわからない。というか、わたしに
は、そんなに音の違いを感じることができなかった。あまり面白い曲ではないように思う。
休憩後は、お得意のシベリウス。これはソプラノ独唱がついており、いつものようにかぶりつき効果を楽しむ
ことができた。やっと、楽団にも調子が出てきたように思う。
そして、ダフニスとクロエが始まった。
昨日の長い音楽、そして今日の長い行列に疲れ果てていた体も、気分も、どこかへ飛んでゆく。
はじめに演奏された「海」は、北のかなり寒さに淀んだ暗い海だった。しかし「ダフニスとクロエ」に現れた
太陽によって大地は明るく照らされたのだ。実に美しく、そして雄大な演奏だった。
アンコールは2曲。後のほうは、指揮者が舞台から「シベリウスをやります」といったので、会場から「その
曲は知ってるぞ!」という声がかかった。おそらくフィンランディアを想像したのだと思うし、わたしもそれ
を期待したのだがそれは違って、シベリウスにしては明るめの音楽をやって楽団は去っていった。
長い一日だったが、最後にとても癒されて終わった。良いコンサートだった。
さて、明日はラストナイトである。
9月10日 PROM74 インフォーマルな格好で
19:30 - 22:35
Walton
Overture - Portsmouth Point (6 mins)
Handel
Xerxes - 'Ombra mai fu'
Rodelinda - 'Dove sei'
Giustino - 'Se parla nel mio cor' (12 mins)
Rodrigo
Concierto de Aranjuez (22 mins)
Lambert
The Rio Grande (15 mins)
interval
Korngold
Suite from music for "Sea Hawk" (6 mins)
Simon Bainbridge
Scherzi (6 mins)
Trad. arr. Crawford Young
Down by the Salley Gardens (4 mins)
Purcell
King Arthur - 'Fairest Isle' (4 mins)
Elgar
Pomp and Circumstance March No.1 (8 mins)
Henry Wood, with additional numbers arr. Bob Chilcott
Fantasia on British Sea Songs (23 mins)
Parry, orch. Elgar
Jerusalem (2 mins)
Traditional (arr. Wood)
The National Anthem (2 mins)
Traditional
Auld Lang Syne (2 min)
Andreas Scholl (counter-tenor)
John Williams (guitar)
Paul Lewis (piano)
Karen Cargill (mezzo-soprano)
BBC Singers
BBC Symphony Chorus
BBC Symphony Orchestra
Paul Daniel conductor
ラストナイト。わたしにとって、2回目になった。
去年は、かなりみずぼらしい格好にサングラス姿で、扇子を振ってテレビに映っていた。
PROMSはインフォーマルなコンサートということだから、それでももちろん良いのだ。去年も他に一杯妙
な格好をした人々がいた。しかし、前のほうにはタキシードやドレスが目立つ。その辺の兼ね合いを考えると、
どんな格好をしていくかが難しい。そんなことを気にするようなタマでは無いとは思いつつ、気になるのだ。
そこで背広というアイデアもあったが、平凡すぎて面白くない。トラの描かれているタイガースのハッピも考
えたが、これは過激すぎだろう。
結局、甚平羽織にワシが描かれているものを着ていくことにした。下は膝までのものだから、靴をはくのも変
なので畳地のぞうりをはいていった。小道具は去年と同じ扇子である。絵柄は北斎の浮世絵だ。
行列に並んでいるとき、何人かの人から「綺麗ね」と言われたので、足元を指差して「これはフォーマルじゃ
なくて、夏のインフォーマルな日本のむかしの装いです」などと説明する。はっきり言って寝巻きのようなも
のだから、ちょいと失礼かもしれないと思いつつ最後のコンサートに入っていくことにする。
今回の行列の途中、ちょっとした騒ぎが起こった。爆弾騒ぎである。
突然、荷物の移動を命じられると、テープが張り巡らされ、そこから先にホールの方へは近づけなくなった。
それだけだとあまり問題は無いのだが、雨が降ってきたからたまらない。前も書いたとおり、雨の時はホール
のしたの屋根のある部分へと避難するのである。ところが、そこに行きたくてもテープより前には行けないの
だ。困ったことになるのである。皆、傘を出してとりあえずしのぐが、雷鳴が鳴り響いている。昨日はおなじ
ような按配で土砂降りになった。しかも、多くの人が正装をしている。
警備員との間でやり取りが始まった。
わたしはイギリス国民の行動として、どういうことをするのか楽しみに見学?していたが、警備員に詰め寄る
人が何人かいるものの、それほど大きな騒ぎにはならなかった。雨は雷鳴だけが盛大で、そんなに土砂降りと
いうほどにはならなかったのも大きな理由だろう。
さわぎそのものは噂によると、爆弾を仕掛けたという電話があったらしい。まったく迷惑な話である。
予定の5時30分の入場から1時間15分も遅れた6時45分ごろに、やっと入場が始まる。去年は押しても
らったシーズンチケットへのパンチも、なぜか押されないままにホールに入った。前から3列目の中央。去年
とまったく同じ場所である。
入場時間が遅くなったので、アリーナと観客席の間で行われる「そこの旗、しょうもない!」などといったや
りとりも、あまり盛り上がらないままに楽団が入場し、指揮者を迎えることになった。
去年よりも、曲目はわかり易いものが多くて、時間を過ごしやすかったと思う。ジョン・ウイリアムスのギター
を目の前で聴けたのも良かった。ギターの音は、後ろのほうまで伝わっていたのだろうか?
後半に入り、いよいよ威風堂々第一番が演奏される。この曲では「希望と栄光の国」の部分に行くまで、膝で
リズムを取るおかしな踊りをやるのだが、これが疲れた足にはなかなかつらい。早く歌になってくれと思いな
がら一生懸命踊る。テンポの合わない頭があちこちで突き出している。ハミングの後で、「希望と栄光の国」
の大合唱。去年よりみんなの元気が良いように思う。曲が終わって、指揮者が「今までで一番大きな声だった」
などと言って、これでやめようという話を持ちかけるという「いつもの」一幕のあとでまた演奏。その時の歌
の声は本当に大きく会場に響き渡った。私自身も負けないように、パブで歌ってきたどの歌よりも思いっきり
大きな声で歌ったのである。この一瞬だけは、本当に英国人になったような気分だった。
そして、ここからは、PROMSの育ての親であるヘンリー・ウッド編になる「海の歌」たちが始まる。
勇壮な金管楽器の演奏の後に、海にでる人々との別れをしのぶ、悲しいチェロのメロディーが奏でられはじめ
ると、前の2列にヒモで結ばれた沢山のハンカチが登場し、みんな主席チェロのモンクスさんの美しい独奏に
あわせて泣く。わたしも、めがねをはずして目をつぶっていた。
悲しいメロディーの後は、軽快な楽しいメロディーがどんどん速くなっていく曲だ。ここで聴衆は、おもちゃ
のラッパを吹き鳴らしたり、手拍子をしたりして大騒ぎとなる。バイオリン独奏の、このページではおなじみ
となったスティーブン・ブライアント氏が、そのまだまだ遅い部分でわざとかどうか妙にアレンジして演奏し、
観客が大笑いする一幕もあった。ブラント氏も微笑みを浮かべていたので、それが間違いだったのか変奏なの
かよくわからない。大忙しの曲が終わって、指揮者が一言「今日はとてもよかったから、伝統を破って今日は
やめにしようよ」みたいなことを言うと、聴衆はまたブーイング。また大忙しの演奏。みんな大騒ぎである。
(後記:ブライアント氏の変奏は、わざとであるとご指摘をいただきました。ありがとうございます。)
さてここからは締めくくりだ。各地の古謡としてロンドンデリーの歌などが歌われた後、「ブリテンは決して
隷属しない」という「ルール・ブリタニア」を大合唱。そして、「ジェルサレム」。この曲はエルガーの編曲
による、実に美しく勇壮なオーケストラの伴奏が聞こえる中、「希望と栄光の国」とはまた一味違った合唱が
会場を覆う。このあたりは、みな国をたたえる曲だ。最後に国歌の演奏。今年はわたしもはじめから歌った。
去年は国歌を歌える立場じゃないとおもっていたから、初め黙想していたのを、まわりの様子にひかれるよう
な感じで2番だけ歌った。今年は、問題を感じなかった。税金を払っているからかもしれない。
前を向くと、BBC交響楽団も全員起立しての演奏だった。今年は、このオーケストラにとても楽しませても
らった。皆さんに感謝したい。
あぁ、もう今年のPROMSも終わりだ。
今年が初登場の指揮者、ポール・ダニエル氏が去っていく。初めてだから気負いすぎるのではないかと思って
いたが、楽団と聴衆の手綱さばきは見事だった。素晴らしい指揮に大感謝である。
横の人と手をつなぎあって、蛍の光を合唱する。私は今年も日本語で歌って、プロムスそして聴衆のみなさん
とお別れをした。
わたしは日ごろ、英国のことをあまりよい国だとは思っていない。物価も高いし、いろいろ不便だ。
しかし、こういったイベントに参加して、みんなの盛り上がりを全身で感じていると、良い国だなぁと思う。
このプロムスを私に教えてくれた今は亡き義伯父が、このホールで「希望と栄光の国」を歌う人々のテレビ映
像を見ながらつぶやいた一言が忘れられない。
「イギリスには、こんな曲があってエエなぁ。」
義伯父は、その美しいメロディーが自分たちのためにあるという英国人を、うらやましがっていたのである。
そして今、こうして2年参加してみて私が思うことは、
「イギリスには、こんなイベントがあってエエなぁ。」
である。
日本でも、真似をしろとは断じていわないが、同じようなイベントがあっても良いのではと感じる。
自分の国を想い、文化を継承してゆく。日本の各地に方言やお祭りが残っているように、それぞれの国には
それぞれの特徴があってこそ、世界は面白いと思う。そして、その文化は、他の人が見てどうこう言う前に、
自分たちが誇りを持てるものでなければならないだろう。
今日のラストナイトからは、イギリス人の自分の国に対する文化への誇りを存分に感じることができた。
日本でも、自分たちが自分たちの国に誇りを持てるような、そういったイベントができないものだろうか。
今年からは、「もったいない」という言葉が、世界にひろまりつつあるという。銀閣寺の落ち着きを持った
美しさ。人のためにサービスをする気持ち。ばらばらに書いてはみたが、日本の文化にはいろいろなすばら
しい面があるのだ。もっと日本も、自分たちの良いところに自信と誇りを持つようになりたいものだ。
そういう意味で、こういった大イベントを毎年やっている英国の懐の深さに、憧れのような想いも感じる。
普段は自国のことをあまりよく言わない英国の人。ちゃんとガス抜きを心得ているのである。
2度目だから、それほど感激しないのではと思って出かけた今年のラストナイト。
おそらく、去年よりも多くの感動を持って会場を後にした。
来年も、もし、もし機会があれば、この大イベントに参加してみたい。
そうしないと、何かむなしくなるような気がしてきた。
2005年版 了
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