Last update on Dec.10th,2004



シャモニー・チューリッヒ紀行




霧のロンドンからスイス、そしてモンブラン

太陽の暖かさ、人の温かさ

スイスの鉄道を行く

シャガールのステンドグラス

ちょっと考えさせられましたというシメ







2004年12月3日


シャモニー・モンブランに来ている。 前の職場の同僚が滞在していて前から誘いを受けていたのだが、どうしても都合がつかないうちに今度 は彼女のほうがシャモニーを離れる事になってしまった。フランスを旅するのに、現地に詳しいひとが いるほど心強いものはなく、こちらも引越しとビザの騒動が一区切りついたので、彼女が滞在している うちにと出かけることにしたわけある。知り合いといえば中学の同級生がチューリッヒに住んでおり、 彼もまた来春には現地を離れる事になっているから、これまた異国の再会も良いもんだとばかりに連絡 したら、わたしの日程なら問題ないということだったので、スイスを横断して会いに行く事にした。 シャモニーは、スイスとフランスの国境付近にあり、氷河とモンブランの眺めで有名なところらしい。 日程は、水曜日のパブの合間をぬった木曜日から火曜日まで。シャモニーの最寄の空港は、ジュネーブ ということであるから、ロンドン−ジュネーブ間の飛行機を探し、ジュネーブとシャモニー間の約90 kmほどの道は元同僚のアドバイスどおり乗り合いタクシーを40ユーロで予約する。シャモニーから チューリッヒ間は列車を利用することにして、スイス国内3日有効の鉄道パスを手に入れた。つまり、 チューリッヒからジュネーブに戻ってくるもの列車というわけだ。鉄道パスには、列車のほかに湖の 船などにも乗れるスイスパスというのと、列車に制約の多いユーロドミノパス・スイス版というのが 使用できそうだった。価格を比較したところ、英国の販売価格で30ポンドつまり6000円近くの 差があり、ユーロドミノパスの発売元に今回のルートにて使用可能かと照会したところ、問題なしだっ たので、今回はユーロドミノパスをしようすることにした。3日間で販売手数料込み85ポンドである。 シャモニーのホテルは元同僚に予約してもらい、チューリッヒ、ジュネーブはそれぞれネットで予約 する。チューリッヒの予定が非常に流動的だったので、友達の手を煩わせたくなかったからだ。 ロンドンとジュネーブ(スイス)間の往復航空券は、いま英国でもっとも人気のある航空会社といって もよい Easy Jet を使用した。手数料など込みこみで往復約95ポンドだった。 これらにロンドンに行く費用がいつものように41ポンド、あとホテル代などがかかることになる。 12月2日の朝、ペイントンを出発しロンドンに向かう。飛行機は3日の朝であるから、ロンドンで 一泊するわけだ。いつも利用しているホテルが木曜日にもかかわらず予約一杯だったので、そのホテル を発見する前によく利用したホテルに予約を入れておいた。 ユーロドミノパスがちゃんと使えるという連絡を受けたのが1日の夕方。パスはロンドンのピカデリー サーカス付近の旅行業者で手に入れることになっていたので、ロンドンに午後到着してすぐに出かける。 パスはパスポートを示すだけで、簡単に手に入れることができた。なお、正式なルールでは、ヨーロッ パに最低6ヶ月在住しているものが購入可能となっている。しかし、パスポート以外なにもチェックし た様子はなかった。 ピカデリーから歩いて少しのところに、以前とても感動したと書いたことのある美術館、ナショナル・ ギャラリーがある。来年の1月中旬まで、これまた私がこっちに住んでから大ファンになった「ラファ エロ」展が開催されているのだ。しかし、常設展示と違って入場料を取る。しかも一般9ポンドと高い! ただ価格表を良く見ると、学生4ポンド学生通期パス10ポンドと書いてあるのを見つける。 実は不動産を探しにきた日に、いつものように語学学校の貧相な学生証を見せて通期パスを手に入れよ うとトライしたのだが、めずらしく通用せず、それならばと見ずに引き上げたことがあった。その日は 9ポンド払ってじっくり見るほど時間がなかったのである。 今回は時間もあるので、通常料金を払ってみるつもりだったが、格式の高い次の学校の入学許可証の コピーをたまたま持っていたから、とりあえずとばかりに示してみたら、なんと学生料金で問題ないと のこと。それならばと10ポンド出して通期パスを買う。これで期間内なら時間のあるときにゆっくり 見れることになった。 多くの人が入場している中、ざっと見て帰る。やはりよいものは良い。 話がずれた。 無事ユーロドミノパスを手に入れ、ラファエロにも満足したのでホテルにかえり早めに寝る事にする。 ところがなかなか寝付けない。暖房が効きすぎて暑いのである。そこで少々窓を開け、暖房を緩めて しばらく様子を見ていると、丁度良い按配になった。私は以前から書くように大変な暑がりなのだ。 もちろん窓を閉め、フロントに電話しても誰も出ないのでわざわざ出かけ、翌日6時30分に起こして もらう様に頼んで寝た。 それでもまだ少々暑く寝苦しい中、うとうとしていたら突然電話がなった。モーニングコールである。 気がついてみると無茶苦茶寒い。暑苦しいので掛け布団も上半身ははねたまま寝ていたようだ。 この日のロンドンの朝の冷え込みはかなりのもので、昨夜にセットしなおした暖房のレベルでは全然 対応できなかったようなのである。最近収まっていた鼻水まで出はじめていた。 と、そこで気がついたのだが、なんとまだ4時30分だった。どうもホテルの人が間違えてセットした らしい。しかし、そのまま寝ていたら、完全に風邪をぶりかえしていただろうから、これもまた助けて もらったと感謝する。ちょっと着こんで、そのまま次のモーニングコールがなかったら困るので、テレ ビをみながら起きていることにした。寝具にくるまりながら、朝には似合いそうに無い大変難しいパズ ル形式のクイズ番組などをみていると、やがて6時30分になったが、やはり電話は鳴らなかった。 体調の方は、鼻水は出ているが行動に支障はないようだ。良かった! さて、朝飯の時間よりも早くでかけることになる。Easy Jet は、チェックインしたあとも座席指定が ないと聞いていた。チェックインした順番に整理番号がわたされ、その順番に飛行機に乗り込み、勝手 に思い思いの席に腰をかけるというわけだ。それならばと、11時15分の飛行機だったが早めにいっ て良い整理番号をもらい、大好きな翼の少し後ろの窓側に座って、翼のスポイラーやフラップなどの 仕組みが動作するのを眺めようと思ったのである。チェックインは2時間前からなので、9時15分に 行けば良い整理番号をもらえるだろう。インターネットで所要時間を検索すると1時間強と出たが、 なにしろ初めて行く場所なので早めに出かけることにする。 7時30分からの朝食のところ15分にチェックアウト。小さな食堂では朝食の準備が始まっていて、 オレンジジュースが目に付いたので、「飲んでよいか?」と尋ねてから2杯飲み干した。 町に出てみると、少し霧がかかっていた。「霧のロンドン」である。 このあと地下鉄にのって、近距離鉄道の駅まで行き、空港のある Luton Airport Park までの切符を 買おうとしたら、なんと10ポンド40!往復は?と聞いたら割引はないということだったので、片道 を買ってでかけた。わずか30分ほどの距離なのに、なんという値段だろうか?ロンドン恐るべしだ。 値段に見合わない普通の電車に乗って外を眺めていると、霧は市内より郊外の方が深いようだった。 きっと霧のなかはかなりの風情だろうなと思いながら、早起き?もあってうとうとしていると、駅に ついてしまった。 駅は空港に隣接しておらず、空港までの無料シャトルバスが出ている。 霧は空港まで影響していないようだった。しかし到着後周りのひとの話では、どこかから飛来した機の パイロットが霧に慣れていなくて着陸が難航し、遅れが出ているなんて話が出ていたから、早朝はもっ と酷かったのかもしれない。 上記の行き先に、ブダペストのグダニスクのと興味のある名前が並ぶ中、ジュネーブも見えた。 今回は移動が車ではないので、ややこしくないようにリュックサック1個の荷物しか持っていない。 だから私より先にきていた少々の人々の後ろに並んだチェックインでは、荷物を預ける必要もなく、 ネットで予約した際に取得した予約番号とパスポートを示し、係員の質問に良くわからないながらも 適当に!答えていたら先に書いた整理番号9番をゲットした。セキュリティーチェックも問題なく過ぎ、 出国だからかパスポートにスタンプを押す審査もなく、軽い朝食を食べたりしていたら搭乗案内が始まっ た。整理券番号の1番から30番の人が最初に乗り込むことができる。整理券とパスポートを係り員に 示し、ゲートを通ったら、地面を歩いて飛行機に向かう。飛行機はボーイング737。ちょっと古いが まともな飛行機を使っているので安心した。というか、見る飛行機見る飛行機、Easy Jet が使っている のはこの型だったと思う。London Luton空港でも、ジュネーブ空港でも、このオレンジ色の機体を本当に 沢山見かけた。噂には聞いていたが、かなり繁盛しているようだ。 上の写真で下側に見えている雲は、英国南部にかかっている霧である。上昇の時、とてもはっきり霧の 切れ目が見えていたので、もう少しわかり易い写真が取りたかったのだが、上昇中は電子機器の使用は 禁止されている。残念ながらベルト着用サインが消えたときにはタダの雲になっていた。 また翼の前方にはいくつもの飛行機雲が見える。この時確認できるだけで3つの雲ができていた。 噂に聴く限りロンドン上空は、世界でも有数の飛行機過密地帯らしい。 さて、先の写真でもおわかりのとおり、目論見どおりの翼が見える席に座れたので、離陸時の翼の動きを 楽しんだあともしばらく外を見ていると、ブリテン島を離れていくのが雲間に見えた。これまたよくわか らないパイロットの挨拶によると、この空路はまずフランスに入るようなことを言っていたように思った ので、まさに昔の映画「素晴らしきヒコーキ野郎」が飛んだ空を進んでいることになる。しかしながら、 海峡横断が大冒険だった時代と違い、ほんとうにあっといって良い時間で大陸の海岸が見えてきた。 人類の進歩は素晴らしい! それから程なくしてうとうとし始め、ガクンという減速ショックを感じて目覚めてみると、翼にはフラ イト・スポイラーといわれる衝立が軽く作動していた。1時間半の旅、もう到着のようである。 アルプスかモンブランかわからないが、曇り空上を突き破るように山並みが見える。幸い町並みもちら ちらと見えているから、そんな酷い天気というわけではなさそうだ。飛行機はフラップを一杯に下げた かと思うと、地面が少しずつ近づいてきて、軽いショックとともに空港に滑り込んだ。 「ジュネーブの朝はコーヒーで始まる!」 なんてネスカフェのコマーシャルを聞いて以来、ただ名前を知っているだけの場所だったジュネーブに やってくることになるとは、ほんの数日前までおもってもみなかった。元同僚に「どこの空港が最寄な のか?」と聞いた時に、初めて出てきた「おなじみ」の名前だったのである。 空港に入ると、さすがスイス。ロレックスの壁掛け時計がお出迎えである。 時差はロンドンと1時間。くるりと一周腕時計を進める。 かなり長い動く歩道を、何度も乗り換えながら歩き続けると、最後の一台は故障していてつまずきそうに なったが、入国審査にやってきた。何語で聞かれるかと緊張しながらパスポートを差し出す。 ところが、ササッとパスポートをみただけで、スタンプも押さずに返ってきた。 スイス入国のスタンプを記念につけて欲しかったのだが、ややこしい事をいってややこしい事になるのも 大変であるから、ここはあきらめることにする。何事も弱気なのである。 トイレを済ませてから出口をくぐると、タクシーのドライバーが私の名前を書いた紙を持って待っていて くれた。早速握手をして一緒にタクシーまで行く。 「トイレとタバコは今のうちに済ませておいてください」と英語で言うから、「ダイジョウブ」と答えた。 外国人らしい感じのしない非常に流暢な英語をしゃべるので、「エイゴジョウズネ!」といったら、笑って 「わたしはイギリス人なんです」と、これまた本当にわかり易い発音で言った。なんでも、この日記で前に 書いた事もあるかと思うが、古代の風呂が発掘され浴場という言葉の語源かとかなんとかいわれる Bath の 出身だという。Bath はデクランのカルチャーコースに入っているほどペイントンから遠くないところにある のだ。 さて、相乗りのはずだが客はわたししかおらず、すぐにシャモニーへと出発する。 運転手氏は英国陸軍に9年いて、ペイントン近くのダートムア国立公園で訓練したこともあるし、アフガニ スタンに従軍したこともあるという。いとこは日本で英語の先生をしていたらしい。 来年からは警官として赴任がきまっているというから、かなり真面目な人物のようだ。 ごちゃごちゃと訳のわからない話をしていると、フランス国境にやってきた。どうすればよいか尋ねると、 彼は「管理官の機嫌次第だ。普通は何も検査されないよ。」という。ただ、このあたりの人は英国人をみる と嫌う人がいるそうで、伝票を挟んでいるファイルに大書されている英国国旗を隠したりしていた。 「アメリカ人ならわかるが、どうして?」と聞いたら、最近このあたりには英国人が一杯いるのがあまり 評判良くないのと、フーリガンみたいな人がいたりするのが問題らしい。 わたしは、自分のパスポートをかざしていると、係官はそのまま通れと指示する。これまたなんの問題も なくフランスに入国できたわけだ。 ジュネーブでは曇っていたが、フランスに入ると雲が切れ始め、目の前に雄大な山々が晴れた空の中に 広がり始めた。彼が言う。「あれがモンブランだよ」 モンブランか...富士山よりも高いヨーロッパ最高峰。しかし、まわりを高い山で囲まれているからか、 それほど高い山に見えない。しかし、雪を全身にかぶった姿はとても美しかった。車の中からだったので 写真は残念ながらとっていない。 「ほう!あそこでインクが取れるんですね?」 と、冗談を言ったが、かれは一度聞き返し、そしてニヤリとしただけで、「そうだよ」と言った。 あまりウケなかったらしい。 そんな按配で軍人の運転手氏と色々な話をしていると、シャモニー・モンブラン村に入ってしまった。 これまた1時間ちょっとの快適な車旅だった。この手の予約タクシーにはチップ不要ということだったが、 大変気分よく送ってもらったのでわずかながら渡しておく。元同僚指定の宿のフロントまで案内してくれ、 フランスらしく「メルシー」ではなく「サンキュー」といって彼は行ってしまった。 チェックインを済ませたところに、計ったように元同僚が登場。そのまま部屋にいって重い荷物を置く と、なんでも近所の日本人とカフェで喋っていたということなので、そこに連れて行ってもらう。 外に出て村を見渡せば、空はどんどん快晴に向かっているのがわかった。 カフェで出会った奥様たちはみな関西人であり、食い倒れやキダタローといった非常に限られた人にしか わからない話題で盛り上がったあと、サヨナラをして村を散歩にでかける。 村から見えるモンブランは、まわりの山との遠近法の関係か、やはりあまり高く見えない。 下の写真のまんなかに見える小さい三角の峰がモンブランである。 夕陽に光る山々には神々しさすら感じた。 少しだけ積もった雪のなかを歩いていると、やはりというべきか滑って転んでしまった。今回の準備は リュックサック1個なのだが、コーンウォールの海岸を歩いてもよく滑って転ぶので、ズボンの替えは もっておかねばと思って持ってきている。年齢を感じてしまう話である。 幸いにして今回の転倒は、ズボンを駄目にしたりはせずただ転んだだけだったが。 夜に入って、クリスマス用に飾られた町を鼻水をたらしながら歩き、一人ならマクドナルドしか考えられ ないなか、ありがたいことに現地料理というチーズをあぶってジャガイモとハムやベーコンで食べるもの を、まさに腹一杯食べた。語学、しかもフランス語ができるなんて、本当に尊敬してしまう。 直径30cm厚さ5cmほどのチーズを半分に切ったものが、専用の調理器具に取り付けた状態で運ばれ てきた。切り取られた断面を電熱で温め、とろけて焦げ目がついたところを少し回転させ、へらで削げお として、皿に盛ったジャガイモやベーコンの上にかけて食べるという按配だ。しかもそれを運んできた のは日本人のウエイトレスさん。説明をわかりやすく聞いたので、なお安心してありつくことができた。 日本人はどこでも活躍しているなと思う。なんでもここシャモニーは、日本人にはかなり人気の場所との 事。わたしが小さい頃、海外旅行といえばロンドンやパリといった首都や主要都市しか思い浮かばなかっ たものだ。それが、いまやシャモニーなる小さな、しかし絶景の村が人気という。 もっともこの季節は、スキーには早いのでただ寒いだけとなり、一番の閑散期とのことではあるが。 料理はとても美味しかった。しかし、おかわり自由というポテトをおかわりしたところで、突然満腹に なってしまった。ちょっと悪いことをしたように思う。デザートに、これまた美味しいバニラアイスを 頼んでもらい、食後のコーヒーとともに食べる。マクドナルドとのどえらい違いに感激した。 「ちょっとだけ霧のロンドン」を出発した今日、今どきの旅行者に人気の村を快晴のもとで訪れる。 なにかいつもより数段以上贅沢をした気分になって、ホテルへと戻ってきたのである。 明日も天気が良いとうれしいのだが。 しかし悪かったら悪かったで、なにかおもしろそうな事が待っているに違いないと思う。 旅行実質初日、ひとまず楽しく終えることができたようだ。 (後記:食べた郷土料理は Raclette と呼ばれるものでした)


2004年12月4日


昨晩、早速あまり面白くないことが起こった。 今滞在しているホテルは、なんと21時にフロントが閉まってしまう。翌朝7時30分までフロントの シャッターは下ろされたままだ。 わたしが昨夜、たらふく食べてふうふう言いながら帰って来たとき、教えてもらった暗証番号を押して ホテルの玄関を開け、フロントのシャッターの前を通りかかると一人の男が立っていた。 何事か語りかけられたが、フランス語だったので「わかりません」と答えると、それっきり黙ってしまっ たから、さしたる用事でも無いのだろうと思い、2階にある自分の部屋へ向かった。 少ししたら、フロントあたりから「どんどん!」という何かを叩く音が響き渡り始めた。どうも彼はフロ ントに用があるらしい。初めは「あんな事をしても居ないものはどうしようもないやん!」と思って、 「あほやなぁ」とばかりに馬鹿にしていたが、あまりにもドンドンやっているので怖くなってきた。 ホテルの説明書を読んでいると、「部屋の鍵は外出の際お持ちください。フロントに預けられても結構 ですが、夜フロントは閉まります」という、ビックリするような文言にでくわした。 どうも彼はそのパターンにはまったらしい。 それではかわいそうだと、階段を下りてフロントに行くことにした。緊急の用事がある場合の電話番号が 説明書に書かれていたからである。ところが、フロントに下りてみると彼はいなかった。 誰かに助けてもらったのだろうと考えて、部屋に戻りしばらくすると、またドンドンが始まる。 もう一度行ってみようかと思ったが、さっき一度いなくなったことが不審だったので、そのままにして おくことにした。外で複数の声が聞えたりしていたし、ドンドンはその後しばらくしてなくなったから、 誰かに助けてもらったのだとおもう。しかし、なにかしっくり来ない事件だった。もし、助けに行った わたしがフロントで彼と会っていたら、どんなことになっていたか判らないだけでなく、自分が彼の話を 聞くより先に緊急の電話をかけて英語のできる人を呼び出し、かつわけのわからない英語で状況を説明し て、事態は改善できたものなのかも不明だ。 翌朝、この日だけとった別売の朝食を食べにフロントの方に行ったが、特に破壊されたあとがあったわけ でもないので、円満解決となったことを願いたいものである。 さて、今日は山の展望台に案内してもらう。 なんでも一番有名な断崖の上の展望台は、シーズンの合間ということでクローズしているとの事で、別の 展望台に向かう。その展望台も、ロープウエイを乗り換えて、谷を越え一番高い部分に行く部分は、これ また停止中とのことで行けなかった。 ここまで書くと、「いつものよう」にアンラッキーな話のように思われるだろうが、実際は大変な好天に 恵まれて、シャモニーの谷を形成する、モンブランの連峰を心行くまで楽しむ事ができた。 たしかに高いところにいけていれば、もっともっと楽しかったかもしれないが、それは贅沢というもので ある。 朝起きてみると、薄明かりのなか部屋からモンブランが見えた。朝食をとって、町にでる。 2000mの Planpraz展望台に到着しても、まだ日光は自分たちの周りには降り注いではいなかった。 刺すような寒さを顔に感じる中、21ポンドの暖かいジャケットに感謝しつつ、これまたペイントンで 手に入れた防寒帽を被り、日本から持ってきていて、夏に「持って帰り忘れた」手袋をつける。 と、おひさまが山の上から顔を出す。まさにご来光といった気分である。 シャモニーは谷底の村である。冬場に日が注ぐ時間は、とても短いそうだ。 山の陰になる場所では、まったく日の注がない場所もあるという。 村に下りてくると、山肌を少しずつお日様が降りてきていた。 今日は土曜の朝市が開かれており、食料品から雑貨、衣料品、つぼなどにいたるまで、興味津々なものが 売られている。あと少しで、この市場にもあたたかい太陽が注ぐ事だろう。 そして、モンブランの方からお天道様が顔を出した。 日の光のありがたさを感じる瞬間でもある。 このあと、大阪出身の奥さんと、大阪弁の大変上手なフランス人のご主人夫婦のお宅にうかがって、たこ 焼き焼いていただき沢山ご馳走になった。2歳になるとても可愛い娘さんと、ブロック遊びをしたりして 過ごしていると長居をしてしまい、これまた大変美味しいカルボナーラまで作っていただく。 昼のたこ焼きが、まだまだおなかに詰まっているはずなのに、なんとおかわりまでしてしまった。 その上、美味しい赤ワインを頂くうちに本当に遅くなってしまい、最後は車でホテルまで送っていただい た。 ちょっとお言葉に甘えすぎたと思いつつ、本当に楽しいひと時だった。 またいつの日か、どういった形かでお礼ができればと思う。 今日は、太陽の暖かさ、人の温かさに触れることができた。 なにやら最近感じたことが無いほど、とても幸せな気分でこの文章を書いている。 もちろん、感謝の気持ちで一杯だ。 明日朝、シャモニーを離れなければいけないのがとても残念である。 わたしは「シーズンオフ」に訪れて、こんなに満足した。 現地の方々がおっしゃる「もっと良い季節」に訪れることができたなら、どんなに素晴らしい経験が待っ ている事だろう。 日本人観光客に人気のある場所というだけで、天邪鬼のわたしはしり込みをしてしまう事が多いのである が、ここシャモニーに関しては、「また訪れてみたい場所」となってしまったようである。


2004年12月5日


朝、トントンとドアをノックする音で目が覚めた。 寝ぼけ眼で時計を見ると、その日朝食を別の店で食べるために待ち合わせた時間を過ぎている。 あわてて起き出してドアを開け、ホテルに来てくれていた元同僚に30分ほど待ってもらうように言って からドアを閉めた。 何たる大失敗!しかし、この日記をアップしているくらいだから、前の晩ワインを飲みすぎて爆睡した訳 でもなく、ちゃんとモーニングコールはセットしたはずだった。全然鳴った記憶がない。昨日は1時間早く 鳴り、今日はならなかったのだと思いたいものであるが、遅刻は時計のせいにはできないものだ。 あわててシャワーを浴びて髭をそり、部屋を片付けてから部屋を出た。彼女は食堂で待っていた。「コー ヒーでも飲んでいたら?とホテルの人に言われた」そうである。なんとも親切な話ではないか! チェックアウトを済ませて、ちょっと時間は遅くなってしまったが、朝食を食べにでかける。 その店は、ケーキとパンを売っていて、かつ紅茶なども出すということで選ばれた店だった。レーズン パンを頼み、彼女お奨めのケーキを試しに頼み、そして飲み物といわれておもわず「ホットチョコレート」 といった。 甘いものばかりである。しかし、シャモニーに到着した日、日本人の奥様たちと飲んだホットチョコレート が大変濃厚で美味だったもので、それを思い出して頼んでしまった。 だされたパンやケーキはとても美味しかった。そして今回のホットチョコレートも、ほとんどドロドロして いると言って良いほど濃密で、寒い朝にはもってこいといったおいしさである。 遅刻したせいで、そそくさと朝食を切り上げ駅に向かう。小さな村であるから、駅もすぐそこと言った按配 である。9時39分発 Martigny 行きに乗る。このあたりの予定は、すべてネットで調査済みだった。 ユーロドミノパスはスイスで有効のものを買っているので、国境の駅である Le Chatelard-Frontiere まで の切符を買ってもらう...まったく何でも頼りになる人がいれば頼りになりっぱなしだ。 何からなにまで大変お世話になった彼女と別れ、列車に乗り込む。彼女もあと数日でシャモニーを離れる。 良いたびになるよう祈りたい。また、何かでお返しをせねば!! さて、乗り込んだ電車は登山電車だった。同じ車両にはわたしともう一人の老人男性だけだったのが、なん と次の駅で彼は降りてしまい。わたし専用車両になってしまった。 左側の写真はへんな鉄線に邪魔されているが、モンブランと霧に沈むシャモニーの谷が写っている。右側の は道中に見えた綺麗な山である。こういう山をあちこちに眺めながら電車は山をぬうようにして走る。 やがて、国境の駅 Le Chatelard-Frontiere に到着した。 インターネットの情報では、乗り換えが必要とのことだったが、今回はわたしの乗っている列車がそのまま 幹線への乗換駅である Martigny まで行くようだ。 特に通関などはなく、パスポートを見せることもなかった。車掌さんがかわり、スイスの人になったようだ。 切符拝見ときたので、ユーロドミノパスを見せる。 「もうしわけありませんが、このパスでは50%割引しかできませんので、お支払いいただけますか?」 これは実は覚悟していた。ネットで問い合わせたのは Martigny(マルティニ)から Zurich(チューリッヒ) までについてであり、登山電車の中は有効かどうか微妙だったのだ。そこで、提示された6ユーロを払い、 領収書をもらった。シャモニーでマルティニまで払っていたら、いくらになっていたか興味のあるところで はあった。しかし、ルールから考えれば、これが一番安くつくパターンだったと思う。 国境の駅を出発してしばらくすると、列車は減速をし、レールのほうからガチャガチャという音が聞えてき た。勾配が激しくなってきたので、おそらく通常のレールに加えて、歯車状のレールを使うなどして勾配を 降りているのだろうとおもう。右側の写真にレールが写っているので、ご判断いただきたい。 マルティニに到着後、わずか乗り換え時間10分で、Lausanne(ローザンヌ)行きに乗り換える。ピタリと 時間どおりに列車がやってきた。乗ろうとしている人に、一応「これはローザンヌに行きます?」と聞いて、 「そうですよ」という返事をもらってから乗り込む。 列車はこれまたガラガラだった。停まる駅名を眺めていると、モントルーなど有名な名前も出てくる。 列車はローザンヌに到着した。今度は右側の列車に乗るらしい。ネットによる出発時間12時27分発とい うのも同じであり、掲示板にはチューリッヒHB(中央)という名前もでているが今ひとつ自信がない。 そこでまた乗客の一人に声をかけて、「チューリッヒ行きます?」と聞くと「ハイ!」ということだったの で乗り込む。乗り換えには6分しか時間がなかった。 これまたあまり乗客のいない列車だったが、チューリッヒまでの2時間半の間には、すこしずつ人が増えて いった。曇り空で、絶景とまではいかないものの、スイスらしいといってよいような風景が続いている。 右側のがユーロドミノパスである。1,2,3という枠が下のほうにご覧いただけると思うが、そこに日付 を書き込むことで、有効期限を減らしていくといった按配である。 さて、今回の列車旅、たんたんと進んでいたが実は内心ヒヤヒヤしながら進んでいた。それは、地図を持っ ていなかったので、本当に正しい列車に乗っているのか不安だったのだ。日本なら「ひかり123号〜行き」 等と、列車番号などが表示されるが、スイスのプラットホームの掲示板には出ていない。詳しい表示は別の 所にあるかもしれないが、わざわざ降りて確認するわけにもいかない。 しかもアナウンスが録音を流す方式で、かつ音量が小さく、また内容も「次の停車駅はどこそこ」という 程度の簡素なものばかりだった。このサービスなら、イギリスや日本の方にブがあるとおもう。どこの駅に とまって何時にどこに終着しますなどというアナウンスがなされるのだから。 無論、初めての国の汽車旅に地図を持ってきていないなどというのが、論外といえば論外なのだが。 駅にかかっている掲示板を窓越しに眺めていたところ、到着予定時刻に近づいてきて初めて、チューリッヒ の名前が出始めた。まずは一安心である。 列車はいままでののどかな風景から一変し、都会の中を走り始めた。チューリッヒ保険の看板などが見える 中、チューリッヒ中央駅に到着したのである。 駅のコンコースに同級生が迎えに来てくれていた。同級生といえばどう聞えるものやらわからないが、彼は チューリッヒ大学の客員教授。同じように学校に通っていたのだから、どうしてここまで格が違うように なったものか? しかし、その格の違いの片鱗はすぐに見え、わたしがホテルを予約していたホルゲンとよばれる郊外の駅か らの明日朝の時刻表などを、手書きで作っておいてくれたのである。やっぱり人物のできが違うようだ。 先にホテルにチェックインしてからチューリッヒに戻ってくる事にした。彼は、ホルゲンの駅前にあるホテ ルにまで一緒に来てくれ、チェックインもドイツ語ですらすらと通訳をしてくれる。まったく問題がない。 チューリッヒ中央駅に戻り、室内としては欧州最大級というクリスマスセールを覗き、露店で売っている 温めたワインに甘い味付けをしたおいしい飲み物をご馳走になったあと、彼の家にでかけた。 彼は奥さんと、小学2年生と4年生の娘さん息子さんとチューリッヒに滞在している。私たちと同じ中学に 行きたいという息子さんに、当時のおかしな出来事を話してあげながら、夕食に欧風鍋をご馳走になった。 昨日同様、家庭の温かさに触れて、幸せのおすそ分けをしていただいたような気分になる。 鍋、モンブランのケーキ、ワイン、コーヒーと、美味しいものをいただいていたら、これまた昨日同様遅く なってしまった。皆さんにサヨナラをして、彼にチューリッヒ中央駅まで送ってもらう。 明日は寝坊などしたくない。フロントにモーニングコールの時間を告げ、アラームの鳴る時計もセットした。 これで大丈夫だろうと思う。


2004年12月6日


朝、トントンとドアをノックする音で目が覚めた...のではない。 ホテルのモーニングコールが、なんとこの旅行の中で初めてセットした時間に作動し、外はまだ薄暗い6時 30分に起き出す。テレビをつけるとトムとジェリーをやっていた。あまり解説や言葉を必要としない、古 い仕様のトムとジェリーだったので、字幕もほとんどでず、もちろん吹き替えもなく放送している。この 漫画は、トムとジェリーが好敵手であったこの時代が一番面白い。後にはトムとジェリーは仲間になってし まい、共に悪とたたかったりしてしまう。大人向けから子供向けに変ったと言って良いだろう。ちなみに この時代のトムとジェリーでは、人間は黒人女中さんの足しか登場しないのも一つの特徴である。 何を書いていることやら... この後、朝6時からオープンしているという朝食を食べにでかける。スイス北部の朝食はどんなものかと 期待しながら、ホテルの5階にあるレストランに向かう。ホテルの一番上階で朝食というのは、なにやら 高級感たっぷりで良いではないか! ロンドンで泊まったホテルなら、ほとんどベースメントが食堂だったのだから。 実際、Golden Tulip Seehotel Meierhof の5階食堂は、チューリッヒ湖を一望できる素晴らしいものだっ た。朝食はいわゆるバイキング形式で、ベーコンやスクランブルエッグのほかに、ドイツ語圏らしく?ジャ ガイモの炒めたものみたいな料理なども出ていて目移りがする。各種パンのほかに、ケーキなどもあり、 フルーツ・ポンチやヨーグルト、チーズなども並んでいた。なかなか豪華である。 料理そのものもなかなか美味しかったが、欲を言えばクロワッサンは明らかにシャモニーのホテルのものが おいしかったように思う。「舌が無い」と豪語している私にしてそう思うのだから、普通の人々?はもっと そのように感じるのではないだろうか?シャモニーのクロワッサンは、口に含むと蕩けるような感じだった。 ヨーグルトも何種類か味わい、フルーツ・ポンチにケーキまで平らげて、大満足で部屋に戻る。 チューリッヒまでは約電車で20分。中央駅で8時50分くらいの待ち合わせだった。この時点でまだ7時 30分ぐらいである。私はホルゲンの駅や湖近辺を散歩してから電車にのりたかったので、こんなに早起き をしたわけだ。電車の時間は昨日書いた通り、チューリッヒの「格上」の彼がわざわざ用意してくれたもの である。 しかしこの時、悪魔のささやきか、インターネットをつないで株価をチェックしがてら、日本の知り合いと チャットでも楽しんでみるかと思いついた。ネットにつなぐには無線LANを使用して30分9スイスフラ ン、つまり800円ほどだ。決して安くは無いが、「いまチューリッヒからでっせ!」と言えば、「なんか カッコエエではないか!!」と思ったのも事実だと告白しておこう。 株価を見ると、わたしの命運を握っている株が6円も下がっていた。日の動きを見れば一時20円も下がっ てたようで、良くぞ持ち直してくれたものだと思う。次にチャットの確認画面を見ると、不純な動機に神様 の怒りを買ったか、いつもお話する人はほとんど接続しておらず、つなぐ事ができた人も忙しいようで、 暇な奴の相手などしてもらえない。ちょっとガッカリしながら切断しようとしたが、無線LANは30分 使い切りなので、使い切らないと損だとばかりに、散歩のことなど忘れてニュースなどを見ていた。 あまり遅くなるといけないので、少々時間を残して切断し、シャワーを浴びて、荷造りをし、散歩がどのく らいできるものか見るために、昨日友達に書いてもらった、ありがたい時刻表を確認する。 愕然...待ち合わせの時間に間に合う電車が出る時間を間違っていた!! チェックアウトの時間を考えると、もう間に合わない。すぐに彼の家に電話をしたが、誰もでてはくれない。 既に出かけてしまったようである。 二日続けてなんとも情け無いことをやってしまった。しかも本日は、どうしようもないほど酷い話である。 漫画をみたり、見ないでよいニュースを見たりしていたのだから。はじめに時刻表を確認さえしていれば、 何の問題もない話だったのだから。実際暗い時から起きだして、いろんなことをしていたのだから... 仕方が無いので、ひとまず荷物を詰めて、部屋を片付けて出発する。不本意に時間ができてしまったわけだ が、予定通りといえばそのとおりで、ホルゲンの湖岸で写真を撮ったりした。もちろん、気分は最悪だ。 次の電車は30分後である。つまり、寒いチューリッヒ中央駅で30分も追加で待ってもらうことになるの だ。 もう、なんとも申し訳なく、せめて電車の一番前に乗って、駆け足で待ち合わせ場所に向かう事くらいしか できない自分が情けなく、電車に乗った後も自嘲的に薄ら笑いを浮かべていたと思う。近くで見ている人が いたなら、きっと不気味だったことだろう。なにしろ世話になっている人に二日続けて迷惑をかけているの だから、どうしようもない奴である。 じりじりするような電車の約30分が過ぎ、チューリッヒ中央駅に到着する。ドアが開くと同時に飛び出し て、小走りを含めた早足で運行予定掲示板の下へと向かっていると、彼の姿が見えた。スピードアップして 駆けつけ、情けない事情を説明して詫びる。それにしても情けない理由だ。一度でも時間をチェックしてい たら、こんな事にはならなかったのだから。最近覚えが悪いとかそういうことを言っているので、「卑屈度 が増してません?」などというメールをもらっているくらいだが、覚えが悪いと思うなら、もっと確認を 何度もしないといけないだろう!まだまだ人間の出来がなっとらんようだ。 さて、彼の「そんなこともあるわいな」という言葉に救われ、荷物を預けるためにコインロッカーに連れて 行ってもらう。荷物満載のリュックは、小さい5スイスフランのロッカーには少々太すぎたが、中身を出し て分割して入れれば、問題なく入った。デジカメではないカナダの時から愛用している35mmカメラを持っ て一緒にでかける。ところがこの時フィルムの替えをロッカーにおいたままにしてしまう。さっき気分は 最悪といいながら、ホルゲン湖畔の写真をとったので、カメラにはあと4枚しか残っていない状態だったのに である。 9月にロンドンで両親を案内した時、父が同じような事をやったのを見て、歳がいったものだと思ったが、 何の事は無い今度は自分がやっている。またしても暗澹たる気持ちになるが、この件は友達には黙っていた。 とりあえずデジカメはもっているので、記録を残すことはできる。ただ、重たいカメラを持ち歩いても、現場 でフィルムを買わない限りなんの意味もないというだけである。 気分を変えていこう! ここまでの朝のひと時、友達はおそらく当然のこと自分も最悪だったが、ここからはうって変わって楽しく 過ごさせていただいた。彼は宗教学の教授なので、特にキリスト教関連の場所では、お金を払っても聞きた いような解説をしてもらった。何事も専門家の話は興味深く、面白いのである。 チューリッヒはプロテスタントへの宗教改革にとって重要な町だそうだ。 町のところどころに残る古い教会や聖堂は、カトリック教会の荘厳さを外観に残しながら、一歩中に入ると プロテスタントの質素さを兼ね備えてる。しかも、たとえば修道女聖堂のステンドグラスなどは、わたしで も知っている美術家シャガールがデザインしたそうで、よく見かける中世のステンドグラスとはまるで違い、 現代らしさと美しさを兼ね備えた素晴らしいものだった。カトリック教会と違い、最深部にレディース・ チャペルなどが無いため、ステンドグラスは自由に撮影できるのであるが、以前のパリ編で書いたとおり ステンドグラスの撮影は大変難しく、ここでも良いものをお見せする事ができないのが残念である。 下の上方に写っているものは、入ってすぐに見える小さいがとても美しい作品だ。 この聖ペテロ聖堂の時計は、聖堂ではヨーロッパで一番大きなものだそうである。 グロースミンスター(大聖堂)もその名のとおり大聖堂なのだが、これまたプロテスタントの聖堂なので 質素さが目立つ。この聖堂のステンドグラスは、下に見えるとおり濃い赤色が基調で、とても印象深いもの である。 また右の像はカール大帝のものだそうで、本当かどうかは定かでないものの、この聖堂はカール大帝の力に よって建てられたことを記念しているそうだ。日本で言う弘法大師のようなものなのだろう。 グロースミンスターには塔があり、有料で登らせてもらえる。専門家の案内付きというのに、その専門家に 入場料を払ってもらった。なんとありがたい話だろうか。 高校の時、アメリカンフットボールの名ラインプレイヤーだった彼と、タダの豚であったわたしが20年の 時を超えて同じ塔の階段を登る。彼も自分のブログの中で書いているが、なかなか運動になる階段ではあっ た。登りきってみれば下の通り、チューリッヒの旧市街が一望できる。現代の景観を乱すような建築は、 この一帯では許可されないそうだ。左の写真の遠くに、高層ビルが小さく見えている。 塔から降り、聖堂で一服しするつもりが長話になってしまう。またいろいろ教えてもらった。 昨日の話ではないが、どこでどう間違うと同級生がこのようになってしまうものだろうか? 他にも会社社長や大学教授がいるそうだ。 ただ、前からこのページにも書いている通り、間違いなくわたしは成績の悪い生徒だったわけで、そんな 意味では結果はまっとうなものなのかもしれないが... こんなことを書くと、また「卑屈」と言われそうなのでやめよう。 足がしびれるほど聖堂に座って過ごしたあと、スイスの料理を出すという店で、白身魚のフライをご馳走に なる。これもなかなかイケた。英国にきてもらった時は、何を出せば良いものか?得意技のフィッシュ& チップスか、週末ならヨークシャー・プディングとローストビーフ!それなら大丈夫だろうか? さて、名残惜しいチューリッヒの一日も終わりが近づいてきた。 今日は、カトリックに伝えられている「日替わり聖者の日」が、聖ニコラスつまり、サンタクロースの日と のこと。つまり、本来のサンタクロースは、この日に来るはずのものだったらしい。 プロテスタントが主流の町チューリッヒでも、サンタクロースが町にでて贈り物を渡している。 わたしも一ついただいてしまった。 サンタさんに貰ったのは、左のパンのようなお菓子である。他にも花電車ならぬサンタクロースが運転して いるサンタ電車が街を走っていた。こういうのを見ていると、クリスマスの前に帰国することを決めたのを 後悔しはじめる。今年は、何人かの人から「クリスマスに居るならおいで」と言われているから、去年の ような寂しい思いをすることもなく、楽しい経験になると思うのだが。 鬼が大笑いしそうだが、来年は西洋でクリスマスを過ごしたいものだ。 さて、せっかくだから先生をご紹介しておこう。 「ホームページにのせるんか?」といわれながら撮ったものだ。 そのときはあまり考えていなかったが、なかなか良く撮れていると思うので使わせていただく。 彼が買っているのは、左側が甘栗!実はこの後別れ際に渡してくれたので、今日の重要な夕食の一つとなっ た。右は、これはあからさまに「おねだり」してしまった。昨日も書いた「甘いホットワイン」をもう一杯 飲みたいといったら、早速買ってくれたものだ。グリューヴァインというそうである。 彼のチューリッヒ生活をつづった楽しいBLOGもあるので、是非ごらんいただければと思う。 チューリヒ日記2004/5 二人で暖かいワインをススッていると、ジュネーブ行き列車の出発時間が近づいた。 お世話になりっぱなしだった彼に、是非英国にもご家族で来てもらうように頼み、握手をしてお別れをす る。 ありがたい!本当に良い経験をさせてもらった。今から西洋で冬を過ごす彼と彼の家族の健康を祈りなが ら、2階建て車両の2階へと上がり、席を見つけて座り込む。 シャモニーから電車で下った時も、親切にしていただいた事を思い浮かべて心がとても温かだった。 今日も、朝の事件など落ち込みそうな話を思い出しながらも、落ち着いた気分で外の景色を眺める。 さっきのワインのせいもあってか、温かな気持ちは心地よい眠気へとかわり、首都ベルン駅に到着という アナウンスがあるまで眠ってしまった。外はもう眺めを楽しむような明るさではない反面、駅を飾る照明が 整然と並ぶ様子が美しい。ベルンでは沢山の人が乗ってきて、やや混雑しはじめる。その状態はローザンヌ まで続いた。 ジュネーブに無事到着し、ホテルにチェックインしてから街に繰り出し、パン屋でアップルパイとおいしそ うなパンを買って帰る。さっきいただいた栗と一緒に部屋で食べた。頼る人がいなくなると、あっという 間にいつものモードに戻るというわけだ。 明日昼に、ジュネーブ空港からロンドンに戻り、そのままペイントンに深夜帰着の予定である。 ほぼ日程は終了。シメはペイントンで書くことになるだろう。


2004年12月7日


「ジュネーブの朝はコーヒーで始まる!」 1日目に書いたことをまた書いてしまった。 朝起きて朝食を食べにでかける。E階という1階の下つまり日本で言う2階の下にある食堂に行く。チェッ クインの時に、「朝食はE階の食堂で」と言われて、悪い悪いと思っていた耳もついに破壊されたかと思っ たが、エレベーターのボタンをみると、まごうことなき「E」の文字があった。少々ほっとする。 さて、食堂ではチューリッヒと違ってコーンフレークやパンと牛乳といった、英国でいうところのコンチ ネンタル・ブレクファストであった。給仕の女性が「コーヒーですか?」と聞いたよう?だったので、 「コーヒー!」と答える。 その話で思い出すのが、スイスの超有名企業「ネスレ」だ。先の「コーヒーで始まる」というCMも、たし かネスレの広告だったとおもう。ところでこのネスレという名前だが、そのCMをやっていたころは「ネッ スル日本」と言っていた。それがある時を境に「ネスレと呼んでください」というような宣伝がでて、変っ たように思う。わたしはそれを、日本語に音を変化させる時の微妙な差をなおしたのだと思っていた。 故レーガン・アメリカ大統領も、大統領になるまでは、俳優の頃の呼び方である「ロナルド・リーガン」 だったのだ。これもたしか同じような按配で、レーガンに変ったように覚えている。 ところがである。 「キットカット」というウエハースをチョコレートでコーティングした美味しいお菓子がある。この御菓子 も、わたしたちの前にお目見えしたときは、「マッキントッシュのキットカット」というコマーシャルだっ た。今、マッキントッシュといえば、アップルコンピュータの「マック」...と、書こうとして愕然とし た。今は、「マック」であって、マッキントッシュじゃないではないか。これまた、発売された時は「マッ キントッシュ」と呼ばれて... もう古い話をするのは止めよう。こんがらがるだけである。 話をもどせば、お菓子のマッキントッシュ社はネスレに買収されてしまい、今のキットカットはネスレ製 なのである。その話を英国人としていたとき、「そういえば昔はネッスルだったな。今のネスレ。」と言っ たのだ。 どうも以前は英語圏でも「ネッスル」と言っていたみたいである。言葉の表記や発音というのは、国際的に なればなるほどややこしいものだ。 また脱線が過ぎたようだ。 コーンフレークに牛乳を注いで、テーブルに持ってくる。そしてもちろん、フランス語圏であるジュネーブ では味わう必要があるクロワッサンも取って来た。給仕の女性がコーヒーを持ってきてくれる。熱い牛乳も ついてきた。 ジュネーブの朝をコーヒーで始めようか一瞬悩んだあと、コーンフレークを口に運ぶ。 私は猫舌なので、いきなりコーヒーを飲むことを躊躇したという按配である。 なにを一生懸命かいていることやら...これが連載のエッセイか何かなら、金返せといわれるところだろ う。 さて、一緒に持ってきたクロワッサンは、シャモニーのものよりイマイチで、チューリッヒのものより美味 だった。はじめから味わうつもりで一口やっているのではあるが、ふと贅沢になったもんだと少々考えさせ られる。 そういえば、日本で回転寿司を始めて食べた時、なんて美味いものだと思ったものだが、しばらく色々な店 にいって見ると、知らぬ間にアソコのが美味いのどうのと評論するようになっていた。所詮回転寿司レベル の話であるから、偉そうにいえたものではないのだが、エンゲル係数が上がること=破産への道である私に とっては重要なことなのである。 何か今日はいつもにまして脱線が多いようだ。 ジュネーブの朝をコーンフレークで始めた私は、シャモニーで世話になった元同僚が、日本に帰るために ジュネーブ空港駅へ、わたしも乗ったタクシーでやってくるというので、ひとつ迎えに行く事にした。彼女 はジュネーブから飛行機に乗るのではなく、わたしが昨日来たのと逆にチューリッヒの空港から飛び立つこ とになっているのである。 ジュネーブとジュネーブ空港間はわずか数分の距離。車掌さんが自慢のパスをチェックする事もなく、空港 駅についてしまった。彼女が何時の電車に乗るかというのを聞いていたので、掲示板を眺めるとチューリッ ヒ方面へ行く列車として、既に表示されており、2番線発と書いてある。ここでうろうろしていてもおそら く会えるのだろうが、小銭もあまっていることだしと、電話をかけてみることにする。小銭をいれてから、 彼女の携帯電話がフランスのものである事に気がつき、日本で言う001みたいな番号を電話の周りで探し てから、電話番号を入れてみた。なにやらあやしげな合成らしい言葉が聞えてきたと思うと、2スイスフラ ン(180円くらいでしょうか)を表示していたカウンターが、ドンドンさがりはじめる。合成音の後は、 何も聞えてこないまま、それでもカウンターはさがっていく。1スイスフランが近づいたので、あきらめて 電話を戻す。しかし、お金は出てこない...そりゃそうだ、日本でもこの手のものにお釣りはでない。 見事2スイスフランを失って、またしても自嘲的笑みを浮かべたあと電話はあきらめ、道路からホームに やってくる為には必ずとおらねばならないだろうエスカレータのあたりに行って探す事にする。ジュネーブ 空港駅といってもそんな調子なので、全然無謀なことをしているわけではない。程なくして、大荷物を抱え た日本人が両替所と思われる場所で話しをしているのを見つけた。 ジュネーブ空港発の列車は、すべてジュネーブを通る。つまり、彼女が乗る列車に同行して、ジュネーブで さよならと言うわけである。シャモニーでは大変お世話になったので、ジュネーブ空港駅でのポーターの 役目をしたというわけだ。 と、いうわけで、意外にもジュネーブ駅で旅立つ人を見送ることになった。なにかこちらが原住民のような 気分になるから面白い。 実は今になって気がついたのだが、スイスやフランスの鉄道に普通の切符で乗る時は、下の写真の左側の 機械に切符を通して検札することになっていると聞いていた。シャモニーでもそれをやったが、彼女はジュ ネーブ空港の駅でそれをやっていただろうか...しょうもないポーターが出現したばっかりに、道中へん なことになってなければ良いが... (右はジュネーブ駅です。わたしの泊まったホテルは、この目の前にありました。) (後記: スイスの先生から早速メールが来て、フランスではたしかにそうだがスイスの場合は回数券とか  一日乗車券 の刻印用に使ってるとの事でした。ありがとうございました。) ホテルに帰ってきてもまだまだ時間があった。昨日のネット接続用に使ったテレホンカードが少しあまって いたので、また繋いで日本とチャットをする。あまり残量は無いから途中で切れると予告したとおり、中途 半端な話のまま切断されてしまった。仕方が無いので、シャワーを浴びて、昨日の栗をまたほお張る。さめ てもなかなかいける。 ところで、スイスの電源に使われているソケットの形状はフランスとも英国とも違うものだった。わたしは その形状のものを持っていなかったので、チューリッヒのホテルではフロントに行って頼み、アダプターを 貸してくれた。ここのホテルでは貸してくれたのではあるが、なんとデポジットとして20スイスフランを 要求された。預かり金とは言え、こんなチャチなアダプターに20スイスフランは無いやろと思いつつ、 もちろん支払う。レシートを要求すると、今度はフロントの女性があわてて、メモ用紙にサイン付きで書い てくれたのはよいが、金額が記されてなかったりで、またしても「だまそうとしてんのとちゃうか?」と、 最近特に強くなっている「疑いモード」になってしまった。 このホテルの支払いは既にネットで済ませていたので、帰りに請求でもされたらいかんと、わざわざ「領収 書」を印刷して持ってきていたが、チェックアウトの時にはそれをポケットに入れた。 さて、なんやかんや心配しても、チェックアウトの時ちゃんと20スイスフランは戻ってきたし、領収書を 見せなくても、「ありがとうございました」とサヨナラされてOKだった。 疑心暗鬼モードは、あまり体に良くない。 ホテルに預かってもらっても良かったのだが、リュックを担いでレマン湖見物に出かける。歩いてほんの 少しのところであるように、ホテルにあった観光案内に出ていたからである。確かにほんの数分歩いただけ で湖岸が見えてくる。 レマン湖で、お友達であるカモメを撮影したりしながら湖岸をあるいていたら、白鳥が一杯いる一角にたど りついた。人を見ると餌をねだってよってくる。それにしても下の写真の奴は、白鳥の尊厳を忘れている ようだ、鉄柵の下から顔を突き出してくるのには笑った。ちょうど昨日貰った栗があったので、少しずつ 割りながら投げてやると、実に上手に顔を出して食べる。そのうちカモメやハトが気がついてしまいやっ てくると、大柄な彼らはブが悪く、栗が空中を飛んでいる間に、カモメにさらわれてしまうようになった。 そこにふと気がつくと、なんとさっきのとは別の白鳥が、この遊歩道に上がってきていた。白鳥というもの は、陸を歩かせると非常に迫力がある。なにしろデカイ。そしてこいつがえさを明らかにねだって、わたし の所につかつかと寄ってきたのである。少々ビビリながら栗を投げてやると、やはりデカイせいでドンくさ く、カモメにさらわれてしまうのだ。だから、できるだけ近くに近寄って栗をあげる。頭をなでてやろうと したら、やはり逃げる。 そうして遊んでいると、前から中国人と見られるカップルがやってきた。興味深そうにしているから、栗を 分けてあげると、とても喜んで白鳥と遊んでいた。そして、彼が栗を白鳥に与える時に、ちょっと白鳥の 羽に触ることができた。 (右の写真で白鳥の大きさがおわかりいただけると思います) 彼らと別れて遊歩道を歩いていると、歩道の影に一羽のハトがうずくまっていた。とても弱っているように 見えたので、栗を小さく砕いて投げてやると、ついばみはするのだが、普通なら軽々食べる大きさでも飲み 込むことができないようだった。そこで、ほとんどパン粉ほどの大きさになるまで粉々にして投げると、 今度は食べ始めた。 なんどかそのようにして栗を投げてやると、さっきは食べられなかった物も拾って食べたりするようになっ た。どちらにしてもあの弱りようならあまり長くないだろうが、ちょっとだけでもひもじさがしのげたの ではと思う。 ハトとわかれて歩きはじめ、ふと湖を見るとよく写真で見かける噴水が上がっていた。世界の名所に来て いる気分になる。街をあるいて看板をみていたら、「シャモニーこっち」みたいなものもある。おそらく 何かの町名とか地区名なのだろう。 つい最近まで全然知らなかった場所だが、妙に親近感があるのがなにやら変な気分だ。 看板の下をふと見るとさっきの中国人?男性がいて、私を見つけて笑顔で手を振っていた。わたしも手を 振りながら、何かとても気分が良くなった。 さすが牧師さんに貰った栗は、いろんな効果が満点である。 ジュネーブの街はクリスマスの装飾に彩られ、昼間でも美しさを楽しむことができる。 英国のそれが、ちょっと野暮ったさを感じるのは、ただの思い込みだけではないような気がしてきた。 そして、ついに大陸を離れる時が来た。今度は整理番号が41番だったが、問題なくわたしの一等席である 翼の脇の窓側に座って、動きを堪能することができた。行きがけより早く眠ってしまい。ロンドン上空までの 記憶はほとんど無い。 ただ着陸は圧巻で、深い曇り空の中、フラップが全開状態、つまり翼の面積を最大にして、速度が低くなっ ても揚力を得ることができる着陸寸前の状態になっても、まだ地面が見えないという状況のなか、見事に ロンドン・ルートン空港に着陸した。雲とフラップを見比べながら、いつになったら地面が見えるのかと、 半分心配半分好奇心一杯で着陸の様子を眺め続けたのである。 ロンドンに帰ってきてまず行った事といえば、そう通関である。 アイルランド、フランスなどと最近出国することが多かったが、飛行機で帰って来たのは日本から来た時 以来だ。飛行機で来た際は、指定の用紙に住所などを書き込んで提出しなければならない。そんなことは すっかり忘れているから、いつものように「学生アル!」とビザを見せてOKかと思っていたら、紙を出せ といわれた。 英語を母国語としない人の国にいっていたので、英語で喋る立場が同等であったからか、この数日英語が 非常に上達したような気分になっていた。ところが、入国審査官の言っている質問にわからないのが出て きた。なんども「失礼?」と聞き返すもわからないが、ふと、いつから英国にいるのかと聞かれたと推察し 「1年」なんて答えたところ、やっと「ジュネーブからきたんでしょ。いつからいたの?」と言ってくれた ので、「5,6日」と答えたら許してくれた。 「ジュネーブからきたんでしょ?」と、その前のおそらく簡単な英語の質問と、どれほど難易度に差がある かわからない。しかし、入国審査官の英語がわからないようでは、これはまったくどうしようもないなと、 またしても落ち込む。 ルートンの空港から電車の駅まで運行されている無料シャトルバスに乗ろうとして待っていると、NCP とだけ表示板に記してあるバスが、所定の場所にとまった。待っていた人はみんな何事かわからずにいた が、中の一人が運転手に聞いて、それがシャトルバスであることを知る。後から乗ってきた人も、一々 運転手に質問してから乗っている。 前にアイルランドから帰って来たとき、「どうしてこんな国に住んでいるのか?」と帰ってきて直後にのっ た列車での乗車マナーの悪さをみて思ったものだ。今回も、このシャトルバスの一件に出くわして、 「なんで来年もここに住む事にしたのだろう」と感じる。通関の英語がわからなかったことも大きな原因 だろう。 でもその後に、乗りなれた、しかしもうあまり乗ることは無いだろうグレートウエスタン鉄道のプリマス 行きに乗って、アナウンスですべての停車駅を言ってくれたり、到着時刻をいってくれたりするのを聞け ば、便利なところもあるなぁとは感じる。 ペイントンに向かうローカル線で切符を見せたら、「これならロンドンに行かないと!」と、言われた のでよく見ると行きがけの切符だった。こういう指摘のされ方も面白くてよい。 要するに慣れているものが良いように見えるということなのだろうか? 英国にしばらくいて、英語がちょっとだけできるようになったら、英語以外の国にでかけても英語を ちょっと喋れば、だいたいの用は足りるということが良くわかった。ただ、なさけないことにいまだに 英語の国の中では初級者もいいところだ。 あと何年いたら、フランスの元同僚やドイツの先生のようになれるものか?いや、それは年数だけでは なくて、ちゃんと勉強をするという努力が必要だろうが、なにやら果てしない満ちのようにも思う。 こまったものである。 (後記:またしてもスイスの先生からご指摘。そう、「ドイツ」ではなくて「スイス」です。  ごめんなさい!  どうしても、 チューリッヒはドイツだと行った時も、そして今も思い込んでいるようです。) さて、旅行を終えるにあたって今回一番感じたこと。それは人の温かさだ。旅行そのものでお世話になっ た方々をはじめ、私にダウンジャケットを用意するように忠告してくれた人々。商売といえばそれまで だが、電車の検札などで丁寧に受け答えしてくれた車掌さんをはじめ、ホテルの従業員の人々にも大変 お世話になった。 実は昨晩は、今まで歌を歌ってきたチャールトン・コートでの、定期としては最後の夜だった。 いろんな人にサヨナラをして、とても寂しい気分である。 この様子については、もちろんまた本編で記す事にするが、「一人が好きなんです」というのは事実で あるにせよ、少々路線変更も必要かなと思い始めた。 ロンドンではどんな出会いが待っていることだろう... いつもの旅行のシメとかなり違ったものになってしまったかもしれない。 どうもこの旅は、社会のことや土地のことを書いて、一丁あがりといったタイプの旅ではなかったよう に思える。 ドライバーのデビッドが言う。 「ヨーロッパ旅行するなら、バスか電車が良い。人に出会うことができるかもしれないから。」 彼は長年長距離トラックのドライバーだった。 わたしがヨーロッパを車で走り回りたいというと、彼はいつもそういうのだ。 今回の旅ではそういう話は起こらなかった。 しかし、デビッドの言っていることの意味が、少しばかり多めにわかったような気がする。 そんな旅だったように思う。 了
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