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英国滞在記(その1:Milton Keynes 編)
到着、入国審査、Milton Keynes
ところ変われば...クリスマスの悲劇?
うそばっかりのお詫びなどなど
あけましておめでとうございます
人間万事塞翁が馬
一月たっての感想など
なにもかもがおさかさま?
ロンドン強行軍
さらば Milton Keynes
2003年12月19日から21日まで
イギリスに住んでみたかった。
そして、その機会がやってきたのを逃さなかった。
しかし、失ったと思われるものも多い。
だからちょっとだけ飛行機の中で心配になった。
本当にこれでよかったのか?
この滞在を自分の中で決めて以来、もしかすると100回ほども
つぶやいたこの言葉を、飛行機の中でもなんども繰り返した。
ヴァージンアトランティック航空901便が、ヒースロー空港に
着陸したとき、そんな迷いをしていたことすら忘れて、新たなる
世界へと飛び出した。
子供たちに寄付をという袋に小銭を入れ、ポケットに入れたことも
同時に忘れてしまったけれど。
イギリス。
さて、どんな経験が待っていることやら。
なにやら似合わない文章にはそろそろ別れを告げて、つれづれに
この数日の出来事を書いてみようと思う。
この滞在には、実はなんの計画性もない。
わたしはあと数日で39歳になるのだが、いろいろな出来事がかさなったことが個人事業をたたむ
絶好の機会だと判断したのと、40歳になる前に、海外生活をまたやっておきたかったということ
だけなのである。だから、ほんとうは外国であればどこの国でもよかった。南の島で偽現地人をやって
儲けるという計画を実行に移してもよかった。しかしただ今回、イギリスには一番興味があった。
なぜなら、この国の人がどう思っているか知らないが、少なくとも日本にとって、この国が与えた
影響は計り知れないものがあるからである。
そして、日本を脱出すると決めたあとも、神頼みを決め込んでだらだらしていると、いろいろな
「お告げ」とともにイギリスが目の前に近づいてきた。それを「パクッ」とやったら、見事イギリス
に釣り上げてもらったという感じの話なのである。
さて、このホームページは自分のことを書く場ではないと思っている。やはり、いろいろな経験や
美しい風景などを記すことで、読んでいただいた方の何かの参考や啓発のきっかけになればと思って
いままで書いてきたつもりである。だから、ここ数年非常にそういった機会が少なかったので、更新
も滞ってきた。
しかし、出だしだから当たり前かもしれないが、この3日間、すでにいろいろな経験をしたのでネタ
がたくさんある。
まずは、ヒースロー空港の悪名高き?入国審査からはじめようと思う。
この滞在には、先も書いたとおりあまり目的はない。
わたしは、英国大使館に出かけて、「自分の金で全部やる。働かないから、1,2年ほど滞在できる
ビザはありませんか?」と、聞いてみたのであるが、60歳を超えた人のリタイヤサポートのような
ビザ以外は無いという。もちろん学生ビザというのはあるが、この申請には学校の入学許可が必須で
あり、そんな時間はもう無かった。すると、入国の手段としては観光ビザしかないことになるのだが、
各方面から「イギリスの入国審査は厳しい」という話を聞いていたので、戦々恐々としていたわけで
ある。
入国審査場への道々、寄付金を入れた袋がまだポケットに入っていることを見つけたが、901便が
ついたところから、入国審査の窓口までがとても遠く、見つけたのは窓口の前だったので、この寄付
はまたの機会ということにする。帰りも同じ航空会社だから大丈夫だろう。
(と、思っているが、わたしがついた日の夜のニュースで、バージンアトランティックの操縦士が、
飲酒の疑いでつかまったというニュースをやっていた。わたしらの飛行機も酔っ払いであんな遠く
についたんとちゃうかいな...などとは思っていない。)
さて、入国審査のゲートは日本人でごった返していた。入国ようのカードには英国での滞在先を書く
欄がある。ここには今滞在しているMilton Keynesのホテルを書き込めばよかったのだが、そこもどの
くらいいるものやらわからない。さて、そんな質問がきたらどうしたものかと考えていたら、順番が
やってきた。less than six months を at least といわないかと心配しているので、なんども、
「れすざん」と繰り返しながら、突進した。
「コンチワ!」
「入国の目的は何ですか?」
「カンコウアル。6かゲツヨリハミジカイネ...」
「観光に6ヶ月????あなた職業は何?」
「こんぴゅーたノえんじにやアル。ほりでーネ」
「今の会社にはどのくらい勤めたの?」
「ロクネンネ」
「ふーーん。で、このあとどこにいるの?」
「みるとんきーんず」
「どうして?」
「トモダチガイルアル」
「そのあとはどうするの?」
「うえーるずニスンデミタイアル」
「ウエールズのどこ?」
「シュトノアルマチネ。ナマエワスレタ...」
「この先どこかほかの国に行くの?」
「イキタイ...」
「この間どこに住むの(このあたり実はよくわからなかったです...)」
「いぎりすアル」
「この前にアメリカ行ってるみたいだけど、これも休暇?」
「ハィ...イヤチガウ、ソレ、カイシャノリョコウアルヨ」
「ふーん...(パスポートにはんこ押しながら)、はいどうぞ!」
「アリガト!!」
だいたいこんな調子だったと思う。
押されたはんこには6ヶ月有効の文字が見えた!
これで、ちゃんとしてさえいたらイギリスに6ヶ月いることができることになったのである。
ちなみに観光ビザでは働くことはもちろんのこと、公立の学校に行くこともできない。この話は
先に出た大使館で聞いていたし、カナダのときにもある程度了解済みである。
ただ、どうしても滞在したい場合、目的のビザがあれば延長の申請は可能である。観光を延長
することはできない。よく、一回出国すればよいという人もいるが、基本的には認めてくれない
と思っておくのが得策だそうだ。また、わたしの場合のように6ヶ月のはんこをもらっても、
一回出たらこのはんこは無効になる。帰ってきたときに、今度はだめよといわれても、文句を
言うことはできないらしいから、これも注意が必要とおもわれる。このあたりの裁量は、まさに
あの入国審査官の裁量にまかされているそうで、日本の英国大使館の人も、ひとまず1年の中で
6ヶ月イギリスにいたなら、もう延長は無いものと思っていたほうがよいといっておられた。
しかし、この手の話題はまだわたしが経験していないことだから、このページの話としてはあまり
よくない話だ。わたしが経験したのは、ひとまず6ヶ月のビザをゲットしたことだけである。
この次は、先にも出てきたはじめの滞在地であり、もしかするとカナダのときと同様、ずっと
すむことになるかもしれない Milton Keynes について記そう。
この旅のはじめにやってくることになった Milton Keynes は、ヒースロー空港から車で北に1時間半
ほどのところにある。今回はちょっとした事情があって、タクシーでホテルまで送ってもらった。
タクシーの中からみる初めての英国は、すでに暗くなっているとはいえ、想像していたとおり、
山がまったく見えず、昼間に走ったらきっと感激していたであろう風景が広がっている。
幹線を離れて小道を走ると、そこかしこに細い古い橋があったりして、これをわたるのに信号が
ついていたりする。一車線しかないので、交互にわたるようになっているのだ。
しばらく楽しいドライブを楽しんだあと、ホテルについた。
さて、ここで問題である。
こういった手配のタクシーを長距離乗った場合、チップはどうすべきか?
実はちょっと不安だったので、バージンアトランティックのスチワーデスさんに聞いておいたのだ。
すると、待ち乗りは最近もうチップを気にしなくなったが、そういった場合は数ポンドあげたら
よいというアドバイスがあった。荷物も運んでもらったりするからでもある。
ばたばたと入国を済ませて、わたしの名前を書いた看板を見つけて乗ったので、まだ小銭を持って
いない。10ポンド紙幣がわたしの持っている一番安いお金である。
ホテルについてすぐわたしがやった行動は、両替である。
これはさすがに言いなれた言葉で、うまく通じた。
Could you exchange into some small ones?
ま、詳細には間違った英語かもしれないが、これでとりあえず10ポンドが崩れた。
待っていてもらったタクシードライバー氏のところへ行き、
「ワタチ、アナタノクニノシュウカンヲ、ヨクシラナイアルケド...」
と、言いながら、ちょっと失礼とは思いながら、それぞれのコインを指差し、
「コレナニ?」
と、聞いて(本当に知らないのである)、3ポンドを手のひらから拾い上げて、彼に渡した。
彼はにっこり笑って、「あそこの飯はうまいんだよ!」と、外のレストランを指差しながら言い、
握手をして別れた。英国の習慣初体験といったところである。
チェックインを済ませると、
「あなたの部屋はファーストフロアですよ」
といわれる。さあきたぞ!これは2階のことである。このくらいは予習をしていたが、本物を
体験するとなにかとうれしい。普通の?1階はグランドフロアである。最近は、わたしの両親も
先に英国旅行を済ませていたりするから、こんなことは豆知識にもならないのかもしれない。
部屋について、とてものどが渇いていることに気がつく。
でも、ここはかなりの田舎で、道々商店が開いているような様子もなかった。
部屋をでて廊下を歩いていくと、1ポンドの自動販売機があったので、何本か買う。
コカコーラのボタンを押したらドクターペッパーが出てきた。
いきなりの歓迎ではあるが、ドクターペッパーというのはわりと好きなので、これまたいきなり
きたもんだなぁと苦笑しただけですんだ。
翌日、時差ぼけで朝早く目が覚めてみると、外は大雨であった。
インターネットに接続したいが、ホテルの電話をみるとなんと市内通話が一分0.25ポンド!
これは50円であるから、ネットなどにはとてもつなげない。
料金に含まれているあまり種類の多くないバイキング式の朝食を平らげてから、早速風雨の中を
アメリカでもつかった暗証番号式のプリペイドカードを求めて、駅のほうをめざして歩き始める。
自腹ではタクシーなど使えないし、バスも乗り方をまだ知らない!というか、まぁこれも冒険の
一環であると割り切っての行動であった。地図をみるかぎりショッピングモールまでは、片道
3kmといったところである。駅までなら5kmはあるだろうか。
どんよりと曇った道々、おりをみてシャッターを切ってみる。
今回は極小サイズのデジカメを持っているので、あまりかさばらずに画像がとれる。
ごらんのとおり、晴れていたらきれいだろうという場所だということが、おわかりいただけると思う。
このようなベンチのあるところがわたしは大好きなので、一遍にここが気に入ってしまった。
しかし、かさが壊れるほどの大風と雨のなか、これまた酔狂な散歩だなとつぶやく。
なんとかショッピングモールにたどりついたが、お目当てのカードも、もうひとつの目的でもあった
無料インターネットの申し込みcd-romもなかなか見つからない。ものの本にはFreeserveなどが
無料でつなげるなどと書いてあったので探しにきたが、現在はもうその手のサービスも無いらしい。
(後記:現在「無いはず」の無料サービスでつなげています。これがうそのはじまり...)
とりあえず無料で配っているプロバイダのcd-romをもらって、今度は駅のほうへテレカ?を探し
にいく。駅にもソレらしいものが無かったが、駅に入っているコンビニでみつけることができた。
5ポンドのを2枚かってみる。
ショッピングモールに戻ると、ちょっと腹が減ってきたので、いつものようにといったら大問題
であるが、外国にきたら「マクド」である。3ポンドちょっとでミールといわれるセットを買った。
カナダのときのように、ケチャップがどうのこうので思考停止することもなく、言ったものが
でてきたので満足する。この日はクリスマス前の最後の土曜日で、ショッピングモールはごったが
えしていたから、マクドのおねーさんもそれどころではなかったのかもしれない。
このあと、食料品店を物色して、ビネガー味のチップスなどを買い、無料でくばっている情報誌や
車の交換情報誌などをもらって帰途についた。
雨はあがり、日が差し始めた。
目の前に、想像していた以上に美しい英国の姿が広がり始める。
もしかすると10km以上も歩いた強行軍だったが、この美しい景色が最後に見れたので、疲れも
ふっとび、やはり英国にわたってきたことは正解だったかなとつぶやいた。
さて、部屋に帰り、インターネットの接続にトライしてみたが、これがなかなかうまくいかない。
こちらは0845ナンバーというとりあえず接続させてからサービスが決まるダイヤルQ2みたいな
番号が接続によく使われるらしい。基本的に市内通話料金+いくらみたいなもののようであるが、
わたしの場合、これを使うととんでもないお金がホテルから請求されることになるから困ってしまった。
(後記:これもうそです。0845は全国一律市内料金サービスでした。ごめんなさい!)
結局一番安い方法といえば、なんと先ほどゲットしたカードを使って日本のプロバイダにつなぐ
ということになった。これだと、5ポンドで2時間以上つなげたのだ。
どうもデータ通信の場合、通常よりさらに安くなるようである。
もし、ホテルの市内通話だったら2時間といえば120X0.25で30ポンド!あほらしくて、
やってられない。プリペイドカードさまさまというわけだ。
このカードを使った通信も、アメリカ一周の時には設定に苦労したが、今のwindows XPだと、とても
簡単にできる。時代は進歩したもんだと改めて痛感する。
ネットにつないで挨拶などを済ませてから眠る。
そして今日は日曜である。
ここまでだらだらした文章にお付き合いいただいた方にも?、わたしにも素敵なプレゼントがあった。
それは晴れ間のなかの村である。
朝、日曜といえば教会だなと思いながら出かけた。今度は近くの村を散策するつもりだった。
ホテルの前を走るフリーウェイの下をくぐると、そこは別世界のような光景が広がっていた。
はじめに出ているふるい教会に立ち寄り、勇気をふるってクリスマス前のサービスに参加する。
(All Saints Church, Milton Keynes Village)
どうやって開けたものやらわからないドアのとってをあけてもらって中に入ると、なかには
お年を召した方々がほとんどだったように思う。女性の牧師さんが礼拝を担当されていた。
4曲讃美歌を歌ったが知っているのは「ひさしくまちにし、主よよくきたりて」だけだった。
讃美歌の歌集には歌詞だけで楽譜がついていないので、人の後を微妙について歌った。
聖書はなく、コピーされた小冊子の内容がそのまま読まれたり、読んだりするシステムだ。
クリスマスの寸劇をやっていて、マリアが処女懐妊したことを疑う役の人や、ヨセフの人の
よさ?をあらわすせりふのところでは笑いが起こっていた。わたしも、ちょっとだけ笑った。
いつものように聖餐式には参加せず後ろで黙想していた。
そのとき思った。
わたしは神のような偉大なる力の存在を信じている。
信じているからこそ、このような土地にやってきた。
だから言葉ができようとできまいと、今もそのあとも不安だろうとなかろうと、偉大なる
力を信じていれば問題が無いということを、この礼拝で改めて感じることができた。
わたしの信仰心は勝手なもので、仏様も神様も受け入れる。
しかし基本はひとつである。
その偉大なる力によって、生かせていただいているということだ。
この力を信じていれば、なにも思い煩うことはない。
よくよくお祈りをしたあと、お茶とお菓子をいただいて外へでた。
入ったときより、なおいっそう外の光景が明るく感じた。
このあと、ショッピングモールにまたでかけて、こんどはケンタッキーを食べる。いつもの
ことながら、レストランという「怖い」存在より気楽だからだ。英語がちゃんとできるように
なれば、おそらく怖くなくなって、レストランにいくようになるのだろうか?生活費が高くなる
だけのような気もする。
帰り道、昨日よりもっと美しい景色のなか、そして昨日よりもっと落ち着いた心とともにホテルに
たどり着いた。
明日からは、どんなことが待っているのか?
ただいえることは、どうもこの町にしばらくいそうだということだろうか?
さて、久々にこの手の文を書いていると、時間もかかるしとても疲れた。
今日は時差ぼけもなく、ゆっくり眠れそうな気がする。
2003年12月24日から26日まで
これがカルチャーショックというものか?
この日記も毎日書くつもりはない。しかし、やはり到着早々であるといろんなことがあって、
書いておかねばという気持ちが強まる。
わたしにとってこのホームページを作るきっかけになったアメリカ一周紀行での記憶は、今も
とても強く残っているのだが、詳細になるとやはりもう怪しくなっている。今回このページを
また書き出すにあたって、読み返してみたところ、「へ〜そんなこともあったのか?」と、
まるで誰かの紀行文をみるかのように感じたところもあった。
だから、この手の文章と小遣い帳はつけておくに限るのである。
お金は本当にどこかへ飛んで行ってしまうものだ。今回は8日分ちゃんとつけている。
そして、もはや暗澹たる気分になっている...
横道にそれた。
カルチャーショックの話を書こうとおもう。
たくさんあるから、ドイツ人みたいに第一に第二になんて書くことはしないでおこう。
(後記:ほんと今回は長い文章です。お気をつけて?!)
事情があって、ホテルを変えることになった。それはあまり重要な話ではない。
今度のホテルは、前のホテルとは駅のちょうど反対側にあたり、Furzton Lake なる場所にある。
ここは湖畔の公園になっているようで、白鳥やガチョウが群れるとても静かなところである。
クリスマスイブというのにあわただしく荷造りをして、前のホテルを離れ、いずれ記すことになると
思う、roundabout なるロータリーをいくつも越えてタクシーでやってきた。
こんなわたしでもフロントに頼んでタクシーくらい呼べるのである。
「Please call me taxy! (わたしをタクシーと呼んで!)」
なんていわないのだ!非常にいいそうになる言い回しであるが...
チェックイン時間まで2時間あるというから、荷物を預けてまたショッピングモールへと出かける。
私のことをよく知る人なら、「また、あほみたいに買い物をして!」と思うところだろう。でも、
なにせ本当にコンビニはおろか、なんの店もないところなのだ!
前の場所が田舎なのだろうと思っていたが、ここはそれに輪をかけて田舎であった。
地図によると駅まで約3kmちょっとある。そして、以前テレカを買った駅前の店まで何の店もない。
緑の芝生と木立と川のなかを自転車と散歩ようにつくられた道がずっと続く。
最後に、ハイウェーと鉄道にかかった橋を越えれば駅につく。
さすがに駅からモールまでの1kmほどの道のりには、会社やレストランが何軒かあるにしても、
ふらっと入って買い物といった店はあまりないように思った。
簡単に出かけると書いたが、この道のりは歩いて合計5kmほどである。
健康のためとイギリスを満喫するため、時間のあるときは歩くことにしているから、このモール行き
も日課のひとつみたいなものである。
ちょっと英国風になったのは、かさを持たなくなったこと。
小雨はいつも降ってくるが、かさを持っていても吹き飛ばされるのがオチ。だからいつも、
「霧雨じゃ、濡れていこう...」
と、剣豪のような気分で歩くことになる。
店に行っても、こんなに雨が多いというのに傘なんてまだみたこともない。
「傘は英国紳士の常々の持ち物だが、開かないから型がついて破れている」
なんて話を聞くが、きっと、使うほどの雨のときに開いたら、風で破れてしまうのじゃないかと思った。
クリスマスイブの日、ショッピングモールはそれなりに多くの人がいた。
ただ、26日のボクシングデー(Boxing day)が、歳末大売出しの日にあたるので、前の日曜ほどでは
なかったように思う。ちなみに、ボクシングデーは祭日である。
ポテチはまだ部屋にあったし、ホテルのとなりがホテルの指定レストランになっているから、食べ物は
かわずにダイエットコーラ3本6リットル3ポンドという特価品を買う。ここのモールは持ち帰り用の
ビニール袋がただのようで、6kgくらいの重さになるわけだから、2枚重ねにして強化しようと思い、
「フクロ、2マイトッテイイ?」
と、聞いたら、
「ぜんぜん問題ないわよ!(ごちゃごちゃ...)」
と、問題ないといったあとわからんことを言うので、
「ナニ??」
と、聞き返したら、手を振って「いいわよいいわよ」なんて言ってる。
後ろの人は後ろの人で、
「20枚もとっていくといってるんじゃないんだから...ははは!!」
なんて笑ってる。
ま、よいかと、5ポンド払って、確かに2枚の1ポンドコインをもらって、しばらくレシートにくるんで
歩いた後、財布にしまおうとしたら、一枚しかない。
ポケットに入れたかと探し回るが、ない。地面にもない。
結局、1ポンドどっかへやってしまったようだ。
コイン1枚といっても約200円。がくっとする。
財布の中にほかの1ポンドがあったから、それがそうだろうと思い込むことにする。
1ポンドコインは肉厚で、落としても音がしないのかもしれない。
まるで魔法のような話である。さっきのレジのおばちゃんに手品をやられたのかも?
可能性はいろいろあるが、どのみち落ち度は、即、しまわなかったほうにある。
このショッピングモール(The Centre: MK) にはいわゆるフードコートがない。
(後記:この記述の信憑性も微妙になってきました。詳しくは翌日の一文で!)
ビクトリアならどこのモールにもたいていいろんな国の料理が簡単に食べられるフードコートがあって、
中華、ギリシャ、日本と渡り歩けたものである。
だから食べ物といえば、マクド、ケンタッキー、バーガーキングとなる。
普通のレストランにいこうとすれば、
「ランチセット:6.5ポンド!」
なんて安いようにかいてあるが、何のことはない1300円くらいする勘定だ。
まったく、ここの人はどんな給料をもらっているんだろうか?
ケンタッキーなら2つおなじみのチキンとポテト、コーラで2.99(約600円弱)だから、ほかの
国とそうかわらないのである。マクドはダブルチーズバーガーの単品が99ペンス(200円弱)で
セールをしているから、これも普通といえる。
さて、また5kmの道のりを歩いてホテルにたどり着いた。
さすがに重要なものが入ったバッグを預けずに持ってきていたのと、6kgの買い物を持っていたので
とても疲れる。
チェックインを済ませてへやに行こうとするが、このホテル、エレベータがない。
2階まで半年分の荷物を3回に分けてもってあがる。
部屋は広かった。
しかし、テレビのリモコンが壊れている。
部屋の片隅には掃除用と思われるバケツがおいたままにしてある。
リモコンは換えてもらいに行ったが、電池を交換してもなおらなかったら、そのまま持っていかれて、
これは実は今も手元にない。バケツの件は、明日掃除にきたらもっていくだろうと思ってそのままにする。
部屋の説明によると、ランドリーサービスは月金だけでとある。とすれば、クリスマス、ボクシングデー
の次が土日であるから、4日間は洗濯のサービスが受けられないことになる。ほんまかいな!
まぁ、足らなくなればまたモールにでもでかけるか、などと無収入者にしては悠然と構えることにした。
そのほかはこれといって変なこともない。
ただ、今日はクリスマスイブである。
いままで、いろいろさびしいクリスマスイブを過ごしてきたが、今回のは特別かもしれない。
知ってる人が独りもいない町で過ごす聖夜というのも乙なもんだとは、ちょっと思えなかった。
いつもなら下手なオルガンで讃美歌を弾いて過ごすことが多いけれど、そのオルガンもない。
しょうがないので、持ってきたハワイの小さなサックスで讃美歌を吹く。
買ってそんなにたたないので、まともに音もだせないというのに、大きな音だけはする。
できるだけ小さな音で、いくつかの讃美歌を奏でていると、眠たくなったので寝ることにした。
外では花火らしい音が少しだけ聞こえていた。
さて翌日、しばらくネットにつなぐなどして、寂しさらしきものを紛らわせてから、クリスマスの町の
様子をみに、またしてもモールに向かうことにした。
ホテルのフロントにシャッターがおりていた。用のある方は外のベルを押してとある。
湖畔の公園では、何人かの人が散歩を楽しんでいる。
駅までの道々、一人のおばさんが自転車にのってやってくるのをみた。
そのあと、とても驚くべき体験をすることになる。
町に人がいないのである。
モールもこのとおりである。
駅もしまっているのだ!!バスも、タクシーもいない!
ゴーストタウンというのは、こういうものなのだろう。
人をたまに見かけると、安心するどころかとても怖い。
こんなポスターも、日ごろならじっくりと共感をもって観察するところだが、今日は写真だけだ。
サングラスを取り出してかけておく。黒いジャンパーを着ているが、その下はワーナーのコヨーテの
顔が大書されているトレーナーだから、悪玉のようには見えないだろうから、ジッパーを上に上げる。
町のガラスに映る自分の姿は、やはりまるでマンガであった...
道路の下や、モールの影を通るときは、だれも見えないというのに小走りで抜ける。
たまに数人がまとまって見えたときは、そっちのほうに行かないようにする。
しかし、なにを好き好んでクリスマスの日にこんな経験をしておるのだろうか!
なんぼ休みといったって、こんな完璧に休むなんて本当に驚いた。
駅もバスもタクシーもみんな休みだ!
ふと、不安がよぎる。
ホテルの隣のレストランはやってるんかいな??
町のレストランはどこも開いてないぞ!
ポテチは昨日の晩に食ってもたぞ!
あるのはダイエットコーラだけやぞ!
モールの周りを悪漢のふりをしてしばらくうろうろし、なにもやってないことを確認してから、
急いでホテルへもどる。急いでといっても5kmの道のりであるから、やはり1時間ほどは黙々と
歩かねばならない。
やっとこさ隣のレストランにたどり着くと、ありがたいことに開いていた。
さすがはホテル隣接だけあると思って、昼飯を食べに入ってゆく。
なかでは赤としろの帽子をかぶった人がうろうろしている。
突然やってきたマンガの悪漢は、ぜんぜん相手をしてもらえない。
パブ風の店なので、カウンターで買うのかとおもい、話かけてみるが、ここの言葉はまるでわから
なかった。しかし、席がどうとか言ってるし、メキシカンチキンを頼めば、「今日はクリスマス
セットだけです」なんて言ってるので、
「OK!!」
なんていって、席のほうへいったら、上役風の女性が出てきて、
「May I help you?」
なんていうから、
「オネガイ!ナンカタベタイノ!」
と、いったら、なにやら今日は予約の人だけだとかいってるように聞こえた。
こんなとき、無理に食べなくてよい太ったからだを持っていなかったら、激怒するなり、座りこむ
なりの行動にでただろう。しかし、わたしは普段から「らくだ」を自認している人間であり、一日
くらいの断食はどういったことはないのだ。ここ最近、朝食付に泊まったせいで、食いすぎ気味でも
あったから、逆にここは幸い?と一日抜くことにした。
素直に店をあとにする。
この先何回かここで食べるだろうから、それが一番得策だろう。
さて、ここまでくるともう想像がつくとおり、フロントはまだシャッターがおりていた。
しかし想像を超えたのは、掃除がされていなかった!
「掃除をしてください」の札もそのままなら、ベッドもバケツもそのままだった。
クリスマスというのは、本当にすごい日である。
いろんなことを考えたが、すきっ腹でもあり、早めに寝てしまったほうがよさそうなので電気を消した。
そして、ボクシングデーを迎えた。今日はウインターセール開始の日である。
24日にモールに出かけたときに、ファーストフード店がオープンしているという事と、たいていの
店が10時あたりに開店と書いてある紙をみた覚えがあったので、またしても日課を敢行する。
なんと健康的なことよなどと、いつもなら思うところだろうが、今日は飯を食いたい一心である。
フロントにはシャッターはなく、ついたときと同じようなたたずまいだった。
ただ外はいつもより小雨がひどく?、こんな日に傘なしででてくるとはなんじゃらほいと、独り言を
言いながらホテルをあとにする。
もはや「いつもの」といえる散歩道で、今日はリスを見かけたから、きっと昨日みたいに酷い日で
はないだろうと思う。
カナダに行く前に買ったバーバリーのダッフルコートを着て歩く。
このコートは、わたしを知る人には大変意外な持ち物であるようで、「ダッフルなんて持ってるの?」
と、数回言われたことがあるという代物だが、やはり英国では役に立つ。大変な暑がりであるわたしは、
今回のたびにもってくるものかどうか悩んだのだが、準備をてつだってくれた母親の、
「こんなときに持っていかずにどこに持っていくの?」
という一言で、持ってきたものである。たしかに英国製のものは英国で着ると意味がでてくる。
風が強いとフードをかけて、小雨のなかをどんどん歩いていった。
気がつくと小雨もあがり、風は強いが、食べ物に向かってとても楽しい散歩となっていた。
駅周辺は相変わらずしまっていた。どうなってるのだろうか?
しかし、モールまでくるとやはり人がいっぱいいたので安心する。
早速バーガーキングに駆け込んで腹ごしらえをしてから、ボクシングデーを楽しむことにした。
一応休日なので、まだ全部の店はやってないようである。
ワイシャツと下着が気になっていたので店を廻る。
白の丸首半そでシャツの値段を見てびっくり!なんと10ポンド!2000円やんけ!
日本でこんなん、セブンイレブンでも1000円以下でうっとるぞ!
と、思ってから考え直す。
ワイシャツの売っている数に比べて、この手の下着の数が異様にすくないのだ。
そういわれてみれば、ワイシャツというのは異国では下着的なもので、その下に下着というのは変で
あるという話を聞いたことがあったなぁ、と。
もう何があっても変だとは思わないことにして、ワイシャツをひとつ買うことにした。
こればかりは首周りが重要だから、一応店の人に計ってもらう。
日本よりも大きめのが必要といわれた。やはり太ったのだろうか?
昨日断食したのに??
ディスカウントで11ポンドのワイシャツをひとつと、2つで9ポンドという袖なしの下着をひとつ
見つけてレジに持っていく。
レジの女性が、タグをバーコードに通すと、全部で16ポンドと出た。
セールをしているので、なお割り引きされているのだ。
「なんという良い値段だことねぇ(isn't it!)」
なんて言ってる。
もう何もかも高いことに慣れていたので、本当にそう思ったから、
「ホント!」
なんてとても喜んで支払いをすませた。日本なら、そうは思わない値段だろう。
さて、明日また散歩がてらに、今度は散歩用の運動靴を買いにくるとするか。
このとき買っておかないと、なんぼとられるやらまったくわからない。
そんなことを思いながら、続いて今日晩用のパンとポテチを買いにいつもの店へと行く。
店の中をうろうろしていたら、子供用の絵解き辞書が5ポンドほどで売っていたので、英語の勉強に
最適だと思って手に入れる。荷物が少々増えてしまうのはしょうがないだろう。
特売のマフィンとビネガー(酢)味のポテチ、それに予備用のコーラを買って店をでて帰途につく。
いっぱい荷物を抱えて、ホテルまでたどり着くと、今日は掃除がしてあった。
でも、バケツはそのままである。なんちゅうホテルであることかと思いつつ、リモコンを取り戻しに
フロントへでかける。
フロントはチェックインの対応で忙しそうだった。
わたしのいるサイドと反対側の客室入り口に張り紙がしてあるのがみえたので、読みにいく。
「クリスマスとボクシングデーには、朝食以外サービスできません」
「おいおい!
わしのほうにも張っておいてくれんとあかんやろ!
チェックインのときもそんなこと言うてなかったぞ!!
バケツのことといい、こりゃうわさに聞く人種差別とちゃうか!」
などと思ったが、忙しそうにしているのに割り込んでも、どうせリモコンが直っているとも思えな
いので、すごすごと引き上げることにした。
北杜夫氏の本には、こういったとき「ブレイモノ!」といえば、良いとされている。
なんでもその迫力に相手がビビルそうだ。
前にも書いたと思うが、わたしがしゃべる英語をあらわす時すべてカタカナなのも氏の影響である。
氏の著作を喜んで読んでいたころ、自分がこのような旅の経験をすることになるとは、まったく
思っていなかったように思う。なにせ英語がぜんぜんできない高校生だったから、あたまの片隅にも
浮かばなかった。そう思うと人生なにがおこるやら、ほんとわからないものである。
ちなみに「ブレイモノ!」は、幸か不幸かまだ一度も使う機会がない。
さて、
部屋に帰って、この数日の経験こそ書かねばと、この文章を書き始めると、そとの雨の音が激しく
なってきた。なかなか良いタイミングで買出しに行ったようだ。今日は腹が減ったらマフィンも
ポテチもあるぞと考えていたら、部屋の中に変な音が響き始めた。
「ぽつり、ポツリ...」
落語ならこのあと幽霊の登場とあいなるところである。
しかし、季節は冬であるし、なによりまだ昼過ぎだ。
そこでフトあることに気がついた。
もうここまで長い話を読まれた方は、疲れて想像もつかないかもしれない。
あなたは気がつきましたか??
そう、あのバケツである。
さっそく、わたしが動かす前にバケツがあったところにいってみると...
雨漏りがしていた。
この数日、本当にいろんな経験をした。
明日がまた、とても楽しみである。
(本当に読んでいただいたかた、お疲れ様でした!書くほうも疲れました。
ところで今も、警報のようなものが一瞬鳴って、飛び上がりました。
大丈夫かいな...ここ。)
2003年12月27日
昨日一生懸命書いていたら、時差ぼけを突破して夜中になっていた。
リモコンのないテレビは、イランの大地震と車泥棒に撃たれて34歳の警官がなくなったニュースを流し
続けている。地震の被害者がどんどん多くなっていくのを見ると、阪神大震災のときを思い出してしまう
が、今日はついに20000人が亡くなったことを報じ始めている。
被害にあわれた方のために祈らずにはおれない。
また、警官が撃たれてなくなった事件は、日本には伝わっていないと思うが、結婚2年目で子供のいない
34歳の警官が、BMWに乗った男に職務質問して撃ち殺された。同僚も重傷らしい。
この町の話ではないが、犯人は捕まっておらず、とても危険である旨伝え続けている。車泥棒らしい。
クリスマスの翌日に、ほんとうに酷い話だ。
前の日、きっと奥さんと楽しく過ごしたに違いないのに...
犯人はアメリカのアクセントがあるなんて情報も出ているらしい。
日本なら中国人みたいだったというような按配かもしれないが、ともかく早くつかまってほしいものだ。
さて、翌日目覚めたら、本当に良い天気。
ただ、天気予報をみたら午後からまた雨らしいので、天気のいいうちに動かねばならない。
なんて、日記調に書いているが、もちろんあんなに書いた翌日に更新しているのはわけがある。
地震のことや警官殺人のことを書こうとしたのではない。
いろいろ書いたことにうそというか問題を見つけたのだ。
ここまで書いて気がついたが、警官の件も、テレビの言ってることを嘘八百を聞く耳が取り上げたこと
なので、かなり間違ってるかもしれない...問題を見つけたらまた後記なんて書いて更新させていただく
ことにする。
それでは、本編へ。
今日も買い物に出かけた。
散歩の一環はもちろんのこと、ボクシングデーの買い物もしておかねばならないからである。
天気は予報どおりあっという間に曇っていつもの散歩となんらかわらないものとなる。
罪滅ぼしではないが、このページをみていただいているかたは、へたくそな文章より画像を見ておられる
のだろうから、今日もそこらじゅうの風景を載せておくとしよう。
今日はちょっと違ったルートを通って、ほかに店がないかなんて探してみた。
ホームセンターと、カタログで商売して展示をあまりしていない安売り店らしい店(これもうそかも?)を
見つけたが、わたしが買えるものはしばらく日用品だけなので、興味津々ながらなにも買わずにでて散歩を
つづける。目的地はいつものモールにある Sainsbury's である。
違った方向から町を見ると、また違う表情になる。
(この画像にもほとんど人がでていませんが、この日はゴーストタウンではありませんでした)
今日は、野菜を買うことにしていた。
最近どう考えてもアメリカ人より酷いファーストフード依存になっているから、ひとつここは野菜などを
買って健康に気をつけてやろうというわけである。
セロリとトマトとにんじんと...それからドレッシングを買って...
と、りんごの小さいのが8つで1.6ポンドか...2ふくろ買うともう一つは半値ね...
あ、ブルーベリーも安いわな。昨日の疲れ目を治さんと...
なんてうろうろしているうちに、のこった野菜はセロリだけ。
にんじんはにんじんジュースに化けた。皮むきがみつからず、包丁を買うのはちょっとかさばるのでやめる
ことにしたのだ。トマトは荷が増えたのであきらめた。でも、ブルーベリーは買った。
あと、季節ものの果物をくるめたマフィンが4つ。2こ入ってるのを1つ買うと1つただとあるが、それなら
はじめから2つでいくらにすりゃいいのにと思う。1つだけ持ってくる人がいるのだろうか?
いつも買うコーラもポテチもちろん買ってないので、今日はなんとも健康的なものだとばかりに喜んで出る。
シェービングジェルなどの日用品、野菜を入れる紙の皿なんかも買って1.6ポンド。
小さいりんごが16個もある。こいつがまずいと今日の買い物は台無しだが、そうじゃないとすれば、この
買い物は安いんじゃないかとおもう。この辺はりんごしだいとなりそうだ。
さて、モール内の別の建物も覗きにいく。
今日は荷物満載になってしまったから、ただ帰り道にとおるだけにしよう。靴はまた明日なんて思っていた。
土曜のモールはごった返していた。
歩きのために人ごみに突入するのも変な話であるから、なかはあきらめて外を通ることにする。
ここで「うそ」その一を発見することになる。
以前からモール外側に市場のようなものがたっているのは知っていた。ただ、くるたび小雨と風で、そこへ
行こうという気にはまったくなれなかっただけである。
ここはひとつ通り道がてらに覗いてみよう...ありゃりゃ!!なんじゃこりゃ!
まず見つけたのは、昨日嘆いた袖つきの下着が4ポンドで売ってる。二つで7ポンドやって!
隣の店では、無地Tシャツがひとつ1ポンド!
屋台もいっぱい出ている。
わけのわからない食べ物にポテトがいっぱい乗った皿を持って人が歩いてる。
健康食品を帰ってから「調理」と思っていたのに、「中華料理:豚カレー3.5ポンド飲み物つき」?に
ひかれて、これを食べてみる。バーガーキングよりこれのほうが良かった!野菜も入ってる。
この市場?がどういう素性のものかわからない。しかし、並んでいるものはモールの中とは別世界である。
野菜もある。アロマオイルなんて5つで5ポンドなんて書いてある。ちゃんと家に住むようになったら、
買いに来てみようと思う。
ちゃんと安いものもあるのだ!
旅行者としてたった一週間じゃ、当然この町のことの片隅もわかっていなかった。
この市場?にしても、もっと違った側面を持っているのかもしれない。
アメリカの旅行記と違って、今回は生活をしようというのだから、いろいろな側面からものを見ないと
いけないなと思う。そういう意味では今後も気をつけなければならない。
このモールについても、歩き回るだけは歩き回っていたが、こんな大きな見落としをしている。
まだまだなにがあるものやらわからないのだ。
ふと、「本物」のフードコートが現れるかもしれない。
なにせ、まだ数店でしか買い物をしてはいないのだから。
ちょっと、書き方にも気をつけねばならないなと思った。
しかし、感想というものはできるだけ早く書いておくのが一番である。
今後も、今回の文のように、気がつけばまた訂正という方法で進めて行きたいとおもう。
帰りの道々は、クリスマスの日より苦行だった。そりゃ、りんごを16個と瓶入りのキャロットジュース
を持っているのだから辛い。
幸い今日は寒くないので、手がかじかむことはないが、重さで手がとても痛い!
なんとかホテルにたどりついて、バスルームにいって、りんごを洗ってかぶりついた。
うまい!
じつにうまかった。腹は中華カレーで満ちているので、間違いはない。
良い買い物をした。りんごは医者要らずといわれる健康食品だから、これからも補充することにしよう。
次に本日のメインイベントであるセロリである。
大きなセロリの枝をひとつ折って洗い、小さなドレッシングだから、ビンにそのままセロリを突っ込んで
引き抜きガブリとやる。
セロリがまずいという人の気持ちがわからない。
これも旨かった!
もう一本あらってこれも平らげる。
結局紙のさらは使わずに、キャロットジュースを飲んで昼の健康タイムは終わった。
そのあと、いつものようにメールをあけると、Freeserve に質問していた結果がきていた。
じっくり読んでいると、どうも前に読んだ「解釈」が違っていたらしい。
わたしにとって、英語の文章というのは前野良沢か杉田玄白が解体新書をみているようなもので、
「この文はなんだろう?」と、読むのではなく解釈をしているのである。
だいたい0845番号の「解釈」自体が怪しかったので、改めてネットにつないで調べてみる。
うまい具合に日本語で書いてくださっているページがいくつかみつかった。
これは英国内なら一律市内通話料金と同じにするサービスらしい。ダイヤルQ2とはまったく違う。
ただ、ホテルからの場合は、使った後に一応料金を確認しておく必要があるとか、ホテルによって
は繋げないところもあるとかいう記述がみつかる。
こういう役立つ情報を書いてゆきたいものだが、こちらはうそ八百を書いてるのだから始末がわるい。
FreeserveのNo Tieというサービスは、まさにこの0845番号を使った無料サービスらしいことが
わかってきたので、今とまっているホテルの市内電話レートなら日本につなぐよりほんの少々お得
とおもわれるから、ひとまず申し込みをしてみることにする。
申し込み用のcd−romは、はじめの「冒険」でもらってきていたから、問題なくインストール
できた。住所や電話番号は、ホテルのものを入れた。日本の住所は入れられなかった。
ただ、本当にローカルの値段でやってくれるかどうかは、ちょっと使ってみてホテルに確認を入れる
ことにすることにした。以前日本で同じようなサービスに未対応の電話課金システムにやられて、
トンでもない料金を請求されたことがある。このときは、日本語だったのでNTTともやり取りをし、
なんとか料金は払わずに済んだが、こちらではそんな冒険はしたくないからである。
と、いうわけで、本日もいろいろな勉強をした。
勉強といえば、英語の勉強のため、BBCの24時間ニュースをずっとつけっぱなしにしている。
これは予想外に効果がありそうだ。なぜなら、さすがに24時間のニュースだから、同じことを何度も
言っているからである。
何度も聞いていると、ちょっとずつ話がわかってくる。これも「解釈」だからうそかもしれないが...
この勉強法、しばらく続けてみよう。
今日は朝晴れて、午後とても寒くなった。
窓際に、「食材」を全部おいておく。
キャロットジュースもコーラもセロリも、そしてりんごもまるで冷蔵庫にあったかのように冷たい。
あしたもおいしくかぶりつけそうである。
(と、いうわけで、今後とも「解釈」にお付き合いいただければと思います)
2003年12月29日から翌01月01日まで
明けましておめでとうございます。
異国で迎えた正月は2回目である。
カナダのときは、ヴィクトリア100年ぶりか初めてかの大雪のあとで、雪かきにいそしんでいたよう
に思う。
今回は英国だから、花火見物でもしているかいなと思っていたのだが、暴風雨のなかホテルで向かえた。
それでも外では花火が上がっている。
こんな雨と風のなかであがる花火がかわいそうなようにも思う。
エジンバラなどで企画されていた大掛かりな花火とコンサートが、この暴風雨のため中止になったと、
ニュースが伝えている。翌日のニュースは、準備された大量の花火について「二度と使われません」
みたいなことを言っていたように思う。どこかできっと使うのだろうが。
ロンドンでは花火が上がっていた。テレビの先では、日本でも良く見かけるビッグベンが12時を指す
様子とともに、かなり大掛かりな花火が打ち上げられたらしい。
こんな様子を見るのは日本の自宅のほうが、よっぽど大画面で楽しめる。
違うことといえば、花火の画像と違うタイミングで、ほかの花火の音がしているだけである。
これ以上書くと愚痴になりそうなので、やめることにしよう。
クリスマスの悲劇以降、もともとこの町に滞在している仲間らが帰ってきた。
そのなかの一人のところで、みんなで持ち寄って夕食をとらせてもらう。
掲載許可をもらっていないので、何か歯にものが引っかかったような表現で申し訳ない。
(写真を出せば知ってるひとはわかるのだから、ちゃんと書けといわれそうだが)
中の一人が韓国系スウェーデン人で日本語を解さないので、英語で場が進む。
ありがたいことに、母国語が英語の人がいないときは参加しやすく、楽しいひと時となった。
韓国系スウェーデン人であるD君の話が面白い。
彼は韓国語を勉強しているという。もともとスウェーデン語が母国語で、スウェーデンらしく英語に
堪能なのだが、韓国語はできなかったらしい。韓国にすんで、ほかの勉強をしながらの勉強という。
韓国で韓国人らしく見えるのに、韓国語が今ひとつできないと、みなに馬鹿にされると嘆いている。
韓国の上下関係の難しさは、多くの人が知っているところだ。彼の両親や彼が育った環境は、その部分
を伝えなかったのか、彼は韓国で大変苦労しているという。
また、彼は男前であるからか、女性が彼と話しをすると、すぐ結婚を考えるので困るといっている。
彼はそれを文化のせいにするが、案外彼の個性やバックグラウンドがそうさせるのかもしれない。
この場にいる人は、みんな外国で生活基盤を持った経験を持っている。
韓国、日本、スペインそしてカナダと、言った按配だ。
それぞれの言葉を取得したことについての苦労を聞いていたら、とても参考になる。
D君とわたしは、韓国語英語をそれぞれゲットしなければならない立場だからである。
やはり「人に訂正してもらう環境」が必要だという発言が一番心に響いた。
人は変なことを言っても訂正しないどころか、訂正することは失礼だと思うものだ。
訂正できるのは身内か恋人のような存在か先生しかいないだろう。
D君は、
「韓国じゃ「お前の言葉は変だ!」とみないうよ!それどころか、「お前の格好は変だ!」とかも
普通に言われる!」
なんて言っていたが...これはおそらく英国ではありえないだろう。
勉強するにはBBC24だけではやはり不足だろうか?
そりゃそうだろう...
この先を考える必要があると思う。
このパーティーは、とてもおいしい料理と飲み物、そしてアップルパイにアイスクリームという、
わたしには地獄に仏のようなありがたい物を味合わせてもらって終わった。話もためになった。
ほんとうに感謝感激である。
いつもの調子にもどろう。
変な格好といえば、「なんちゃら工務店」なんて大書されたトレーナーかTシャツかを着ている
ひとを見かけた。ご丁寧に電話番号や広告が書いてあったようにも思う。
よく日本人が、変な英語の書かれた服を着ているなんて言われているのを聞く。
アメリカでカードのサインをするとき、わたしの書く漢字をみて、
「なんて綺麗なんでしょう」
みたいなことを言われたという話を書いたことがある。
考えてみれば、ショッピングモールにも「愛」なんてかかれたいくつかの商品をみた。
アルファベットの国のひとからみれば、漢字のデザインは渋いのかもしれない。
案外どこの国の人も同じようなことをしているものである。
さて、今日は大き目の画像をお届けしようと思う。
何人かの方から、画像をもっとというメールをいただいているので、つくりがいがある。
その前にデジカメの使い方に、おろかにもいまさらながらに気がついた話を書いておこう。
前はデジカメを使わずにデジタルビデオや写真をキャプチャーした画像を使っていた。
だから本ネタの解像度について考えたことがなく、また実際にホームページに持ってゆく
画像は、小さいもので事足りることから、デジカメのセッティングでも、640X480という
もっとも荒いものを使っていた。これだと沢山保存しておけるというのもある。
しかし、今の時代、パソコンにすぐ転送してしまうから保存可能量はあまり関係ない。
それどころか、とった画像はどうせ大きさを修正して画像を作っているから、もとの画像まで
荒くしておく必要がないことに気がついた。画素数を大きくとっていれば、拡大しても十分
つかえる画像となるわけだから、大きいに越したことはない。
アホ丸出しである。やはりこういうのは使わないとわからないものかもしれない。
早速、カメラの設定を、保管できる量が丁度良い、1600x1200に変えた。
何かの参考に...というは、こんなことはおそらく当たり前なのだろうから、情報にもなら
ないかもしれない。
今日は画像を大きくしてみた。
以前の紀行文のときは、まだまだ画面が640x480の方が多く、はみ出さないように2つで
500となるよう幅250画素に修正して表示していた。もちろん、転送にも時間がかからないよう
にでもあり、今回も基本的にはそれを使っている。
しかし、わたしがいま使っているノートですら、横幅が1200画素以上表示されるものなので、
幅250の画像はとても小さくて、見にくいものとなっているし、そういう方も多いと思う。
能書きはさておき、こんな調子である。
いつものように歩いていると、乗馬をしている人がいた。この日はほかに二組見かけた。
大晦日の朝、霜が降りた Forzton Lake はとても美しかった。
白鳥は、ほかの水鳥を引き連れて歩く。実はこのあと大挙して寄ってこられて怖かった。
おそらく食べ物をねだりにきたのだろうが、ヒチコックの国であることを思い出した。
元日の雨はあがり、日が差し始めた。
しかし、4時にもなるともう薄暗くなり、違った顔を見せ始める。
今回はこの辺で。
次はどんな報告がさせてもらえるものやら、まったく楽しみである。
旧年中はたいへんお世話になりました。
みなさま今年もよろしくお願いいたします。
2004年1月10日
英国にきてもう20日以上が過ぎた。
しかし、レポートをしようにも毎日「事情」で忙しく、特に前回の更新以来は毎日なにを
しておるんかいなという感じの日々だったので、なにもできなかった。
今日元旦以来久々の「休み」だったので、それまでいろいろ感じたことなどを記してみる。
それは、
「人生というのはムツカシイ」
ということである。
今回は、いわゆる旅行記ではなく、個人的な感想を書くのでご容赦いただきたい。
写真もあまり撮っていないから、こりゃあかんという方は読み飛ばしていただいたほうが
賢明である。
1.失ってわかるもの
いま泊まっているホテルは、到着から数えて3軒目になる。
はじめのホテルは、朝食は質素なものだがついていて、毎日食べていた。バスタブはないが、
シャワー派であるから用はない。一番酷いと思ったのは電話代で市内通話1分50円も取る
といって、プリペイドで国際電話をかけていた。
事情があってそこを離れると、朝食はないけれど、バスタブがあって、電話代が夜なら1分
10円くらいだったので、インターネットの無料接続サービスに申し込んで市内通話で快適
にインターネットができるようになった。部屋はごく広く、環境もすばらしいところである。
2階なので窓を開けて、そばにジュースを置いておくと、朝冷たくておいしかった。
しかし、雨漏りがして、リモコンがなく、クリスマスの日に何も食べられなかった。
わたしの「事情」というのは、今月いっぱい続く。(それで終わってほしい...)
ホテルはその「事情」がアレンジしてくれているので、ちょっと雨漏りの件を言ったら、
めずらしく(ここの事情はそれこそ表現がムツカシイ)すぐに反応してくれて、部屋をかえる
ことになった。
しかし、移った部屋はテレビはノイズだらけ、ベッドサイドの棚は二つとも壊れていて、ひとつ
は床に落ちており、もうひとつはどこかへ持ち去られ、机が引き寄せられて電話が置かれて
いた。朝のシャワーも水にいきなりなり、わたしはたまらなくなって、こんどは文句をいった。
雨漏りの部屋は修理するとかで、戻れなかったのでホテルを変えることになった。
そして、いまのホテルにきた。
ここは、いままでの中で一番高いらしい。
しかし、良いうわさがなかったから心配していたが...
部屋は綺麗で、ベッドが巨大だが、雨漏りの部屋より50%ほどは狭い。朝食はついているが、
朝早くから出かけるので食べていない。シャワーはちゃんとでて、バスタブもある。
そして、電話がなんと1分70円(35ペニー)である。回線のクオリティーも劣悪で、
28.8Kしかでない。また、なぜかいつも見ていたBBC24をみることができない。
前のホテルをでてきた理由が、BBC24が綺麗に見えなくなったというのもあったのに...
さて、だらだらと何を言いたかったというと。
はじめのホテルは自分の意思で出たのではないので別として、雨漏りの部屋は、ほんとうは自分
にとってとても快適だったということに、いまその後2回引越しをして良くわかった。
戻せるものなら、戻してほしいが、いま修理中である。
教会の話みたいになってしまうけれど、自分の今おかれている状況がいかに良いかというのは、
本当に自分ではわかりにくいものだ。雨漏りがするというのは、ベッドから遠いところであり、
またよほどの豪雨のときしかなく、リモコンが壊れてるというのも、BBC24しかみていない
のだからさして困らないのだ。
でも困ったことに、欠点というのは目立ってしまう。
クリスマスのことなんて前のことなのに、思い出したら腹が立つ。
それで、おもわず文句をいったら、実は自分にとって一番良い状態だったものが、目の前から去っ
ていった。その次は「前が良かったこと」に気がつくから、余計いやになる。
なにか離婚相談みたいな話である。いや、わたしは独身なので、こんなことが言えた筋でもないが、
こんどの件は、そういった話題にとって良くある話なのだろうと思ったのである。
小さな欠点をほじくると、大きな幸せまで逃げていくのだ。
もうひとつ余計な事を書けば、その「一番良かった」ホテルの外観は、一番古ぼけていて格好悪い。
しかし、今はその「事情」に「戻せるものなら戻してほしい」といつ言うか悩んでいる。
ホテルの話だからできることといえる。
2.流れというもの
さて、「いまの状況を見るのはムツカシイ」というのなら、いまのホテルにいるという状況はどう
なのだろうか?
わたしがイギリスで、こういった報告を書くことができること自体が、本当に感謝せねばならない
状況ではないのか?
まったくそのとおりである。
こんどのホテルは、いつも買い物に行っていたモールから7kmほどのところにあって、散歩と
いっても往復すればかなりの苦行となる。これも後悔のひとつであることは間違いない。
今日、初めて歩いてみたが、途中で暗くなってきたのと、買い物できる店があったので、そこで
引き返した。それでも往復10kmは歩いたと思う。
そして、この散歩のときにいろいろなことを考える。
今回の話も、あいかわらず綺麗な町並みや池を見ながら考えていた。
「感謝しなければ」と、反省する。
日ごろ腹が立つ話があっても、こういった休息が洗い流してくれるように思えるだけでも有難い。
ホテルにちょっと迷いながらも帰ってきて、いつものようにBBC24というわけにはいかず、
BBC1をつけていたら「E.T」が始まった。
一度以上は見ている映画なのに、見終わってとても感激し、またフト思った。
「BBC24が見れていたら、こんな感激はなかったな。」と。
何事も感謝しながら生きてゆきたいものである。
3.歳をとるということ
「亀の甲より歳の功」という言葉がある。
今日クイズ番組を見ながら、その言葉を否定したくなった。
8年前カナダに住んでいたとき、よく見ていた(まさに「見ていた」)テレビにパネルを開けて
そこに書いてある問題を解く形式のクイズ番組をやっていた。
もちろん当時のわたしは、ぜんぜん問題自体がわからず、答えることもできなかった。
おそらく問題がわかっていたら、答えられる問題は沢山あったと思う。
(実は、帰るまでに一度は答えたいと思っていて、一度だけ陸上選手の名前「オーウエン」を
答えることができたことが忘れられない。)
ところがである。
今回「E.T」のあとに、明らかに生放送とわかるクイズ番組をやっていた。問題が昨日今日の
話題まで及んでいたからである。そして有難いことに、わたしにはその問題がおそらく4割ほど
も理解できた。
「今回シンプソンズに出演した政治家は?」
答えはトニー・ブレア首相である。朝のニュースでやっていた。
「トムクルーズが出演し、キャプテン何がしを演じた映画は?」
「えーーーーーと....」
答えが出てこない。
先に解答者が答えてしまった。
「ラストサムライ」
そうなのだ。
問題はかなりわかる、しかも今回はパネルの字がなく司会者が読んでいる問題で、わかる打率が
あがったのは大変うれしいのだが、答えがさっぱり出てこなくなったのである。
昨日朝みたマンガのブレアくらいしかわからないのだ。
そいうえば昨日の夜は、台湾の話になったとき、蒋介石も孫文も名前が頭から出てこなかった。
これは大変なことである。
実を言うとこのショックを受けたのはわずか1時間ほどまえだが、どんな問題が出ていたかを
すでに忘れている。答えられて一人ガッツポーズをして喜んだ問題がいくつかあったのに...
こうなると「亀の甲より歳の功」なんていえるものだろうか?
そんなことより、この先ちゃんと生きていけるものか?
ケ・セラ・セラで、良いものだろうか?
4.原因と結果
さて、今回の与太話もこれが最後である。
イギリスというと良く聞かされる話が、
「飯がまずい」
ということだ。
こちらに来て以来、いままで何度か「ハンバーガー」「ピザ」「フライドチキン」以外のものを
食べる機会があった。
しかし、これがたいてい「うまい」のである。
一言付け加えなければなるまい。
「わたしにとっては、うまい」のである。
もちろん、「こりゃなんじゃ?」というものがなかったわけではない。
フィッシュ&チップスが有名というので頼んだら、付け合せの豆が「なんじゃこりゃ」だったなん
てこともあった。
しかし、たいていのものはとても満足して食べている。
良くいく食堂のコールスローサラダなんて、カナダのケンタッキーのそれと比べたら、圧倒的に
うまいし、やはりカナダで食べたヨークシャープディングなるわけのわからん塊も、本場?で食べ
たら、やはりわけはわからんがまずいとは思わなかった。
昨日食べた魚のフライなんて、感激するほどうまかった。
それを一緒に食べた人にいったら、
「フィッシュ&チップスの魚ですよ」
なんていわれた。さして、感激している風でもない。
さて、この話の結論である。
何でもうまいと思うということは、安く上がって有難い反面、結果として何でも食べるので、
「太る」
ということである。
これは、良いことなのか、悪いことなのか?
食べるとき、瞬間瞬間を楽しめる可能性は高いが、いつもあとで後悔することになることだけは
間違いない。
ま、何事も感謝して生きてゆくとしよう!
どの道人生はムツカシイ!
(次回は、どこか出かけてみたいと思っているのですが...)
2004年1月18日
英国にきて一月が過ぎた。
今日は特に書くこともない。かといって、写真をとってもあまり代わり映えがしなくなってきた。
飽きたわけでもないが、散歩の道々の感動は明らかに減っている。
前回書いた「どこかに行ってみたい」も達成できてはいない。
今日は車を一人探しに行った。
車については、買うかどうか非常になやんでいることろである。ただ、この国の車の製造業が
どうしてほとんど破綻してしまったのかまったくわからないほど、車を持っていないとかなり大変
な土地柄であることも良くわかってきた。
いまだに運動をかねて、週末には10km以上あるいているのだが、今日などは車道しかない道に
いくつか出くわして、大変困った。車道しかないといっても、泥のような土と芝生でできた緑地帯
があるので、靴の心配さえしなければ強引には歩くことができるにはできるが、そんな按配である。
もちろん車道にはひとが歩くスペースなどない。
ところがこの車という奴が難儀で、おそらくいままでみてきたこの国の物価の中で、もっとも高い。
日産のマーチが「MICRA」という名で走っている。
しゃーないからマーチでも買うかいなとおもって中古屋や雑誌を覗くと、なんとこれが個人取引以外
なら、2500ポンドより安い物件はない。つまり50万円以上するのである。
「マーチは日本でも高い」という方もおられると思うから、ほかの車にも注目してみるが、なんせ
店売りの車はみな50万円以上の値がついていると書けば、お分かりいただけると思う。
思えばカナダでもホストマザーの協力のもと、個人取引でゴルフを手に入れた。あのときの買値が、
約10年落ち14万キロ走行の車で30万円弱だったと思う。
この辺は土地の人に聞いていないからわからないが、中古車屋で車を買うのは特殊なケースなのか
もしれないとも思えてくる。なんせ、軒並み1万ポンドを越える中古車が並んでいるのだから。
しかし、そのなかでも少々安い車がある。
韓国車と、そして...英国車である。
英国車といってもジャガーなんかが安いわけじゃなく、ローバーのちょっと年式の古いものと、
Vauxhallなるメーカーのものが良い値段がついている。
何じゃそのメーカは?と思われる方も多いと思う。わたしも知らなかった。
その答えは、オペルである。
オペルの車が、なぜかその名前で英国車として売られているのだ。
オペル車としての「アストラ」の「ベクトラ」のという名前はそのままである。
今回わたしは英国に住んでいるのだから、もし買うとしたらローバーにでものってみるかと思って
いる。自分だけで出かけるのは少々冒険が過ぎるので、英国人の知り合いにでもどうしたものか聞い
てみるのもよいかもしれない。個人取引の雑誌をみてると安い車はゴマンとある。それに手を出す
勇気はとてもない状況ではあるけれど、来月には学校に行こうと思っているので、早めに手に入れる
ことを考えておかねばならないだろう。
話は変わって、英国にきているのだからサッカーの話でもかくとしよう。
サッカーと野球とどちらがすきかといわれたら、自分でするなら野球以外に答えようがないが、見る
となると答えに困る。英国に来る前から、野球よりサッカーのほうが見ていておもしろいと感じる
ことが多かった。特にうまいサッカーは実におもしろい。
日本では時差があるので、こちらのサッカーをみるとなると仕事を怠ける覚悟となる。さすがにそこ
までしてみたいものでもないので、日本ではほとんど無縁でもあった。
こちらでは、サッカー好きの人にはまったく申し訳ないことに、プレミアリーグのあとに、リーガ・
エスパニヨーラの生中継が見れる。今日は、チェルシーXバーミンガムを見たあとに、レアル・
マドリッドXベティス(生だとおもう)を見ていた。昨日も夜、ダービッツのデビュー戦となる
バルセロナの試合をみていた。これはスペインの知人から電話がかかってきて、その話になったから
間違いなく生だった。
そんなことはさておき、つまり、おもしろいサッカーを労もなく見ることができるのである。
ジダンやベッカムのプレーを普通にみれるというのは、きっとサッカーファンにとっては、垂涎の
環境なのだろうし、事実わたしのようなど素人にとっても間違いなく面白い。
ベッカムで思い出したが、稲本がクイズ番組の問題として出ていた。パネルに「こんにちわ」と、
日本語でかいてあるパネルをめくると稲本の写真が出ていて、「誰でしょう?」とくる。解答者は
「イナもト」と「も」にアクセントをつけて答え見事に正解。さすがにプレミアリーグでプレーして
いると、英国では知られるようになるのだろう。どうして、ベッカムで思い出したかといえば、
さんまが「おまえらベックハムと読むとおもてたやろ!ベックハム様とちゃうねんぞ!」なんて、
言うていたが、それもいうなら稲本の所属している「フルハム」は、「フラム」じゃねーかという
話がどこかででていた。たしかに、こちらでアナウンサーが言ってるのは、どう聞いても「フラム」
である。どっちでもエエ話であるが、参考まで。
ベッカムは、こちらでもボーダフォンのコマーシャルにでていて、携帯で写真をとって送っている。
雨の中でマンUユニフォームを着た元仲間(だれかわからん!)がその写真をみてうらやましがると
いったもの。携帯で写真を撮っているのをこちらでは見たことがないので、今後うけるのかもしれ
ない。ちなみに話は違うが、こちらでも携帯電話を車でかけることは法的な規制がかかったようで
ある。店先でみかけただけなので、あやふやな話ではあるが。
さて、最後に写真を載せておこう。
この週末にはおそらく合計15km以上歩いたので、少々写真もたまった。
歩いている範囲が決まっているのであまり代わり映えしないことをお許しいいただきたい。
いま泊まっているところの裏にあるゴルフ場である。
さすがに一人でやろうという気合はない。
今度の散歩道に近い教会である。ここも非常に綺麗なたたずまいである。
この教会にも日曜に訪ねたので、入ろうか入るまいか悩んだ挙句、やめてしまった。
すると、それまでほんとうに晴れていたのに、空はにわかに掻き曇り、雨が激しく降ってきた。
しばらく歩いていると雨はやみ、ショッピングモールに行った帰りがけ、この教会に近づくと大雨。
「そんないじめないでほしいもんだ。風邪をひくわけにはいかんのに」と思いながらしばらく降られ
たあと、明るい太陽がさしてきて、風邪をひかないですんだ。
もちろん、この話は冗談で書いているが、その日起こったこととしては事実である。
これもいまいるホテルの周りの風景。空き地には緑がいっぱいである。
右の写真は学校の運動場らしい。
住宅地に夕日がさしてくると、赤がいっそうきつくなる。
前も撮った風景だが、この日はとてもよく晴れたのでまた撮ってみた。
飽きたといっても、綺麗なものは綺麗。
右はミルトンキーンズカレッジの運動場である。
この看板であるが、これはミルトンキーンズのホッケー場にかかっている。
Milton Kyenes には、サッカーチームがなかったのだが、このたびウインブルドンという誰でも
しってそうな名前のチームを買って誘致したらしい。そこで来期?からはこのホッケー場が一時
的なスタジアムになる。数年後、郊外にサッカー場ができるとのことだ。
その道に詳しい方には、少々興味のある看板かとおもい、大きめに載せておいた。
下にある「禁止事項」もフーリガンの国らしくておもしろいとおもったからでもある。
来週は、とてもいろいろなことをやらねばならない。
ちょっとばかり面白い話でも書けたらよいなとおもっております。
(というわけで、今回はいつもにましてだらだら調で失礼しました)
2004年1月25日
英語というものは本当にムツカシイ。
だいたい文法の順番が違うからだというのが通説である。
しかし、先にも登場してもらったスペインの知人いわく、
「英国人とアメリカ人がいなくなれば、英語は間違いなく国際語になるだろう」
という非常に含蓄に満ちた言葉にまったくまいってしまう。
つまり、この言葉を難しくしているのは、あの「ネイティブ」といわれている人々でもあるのだ。
かなり関係ない話であるが、次のような話を考えてみればどうだろうか?
日本では、音楽の父のことを「バッハ」という。ドイツ人にその発音を聞けば、「最後のハがちょ
っとちがうね」といいつつ、バッハといおうとしていることは理解してもらえる。
しかし、英語(米語?)では、「バック」である。彼らはそう発音してはばからない。
「モーツアルト」はドイツ人にもokをもらえた。米語では「モザールト」みたいなことを言う。
先のスペインの知り合いの奥さんはスペインの人であるが、英語を習いに行っていたときひと騒動
あったそうである。それは、「メルセデス」。そう、ベンツの話が教室ででたときのこと。
奥さんいわく、「メルセデス」。
先生いわく、「ノー!メルシーデス」。
奥さんいわく、「何がメルシーデスよ!それ、スペイン人の名前なのよ!」
なんせ、英語というのはマイクロソフトがそうであるように、極めて身勝手な言葉らしいのだ。
身勝手な言葉を、身勝手にまくしたてられると...
わたしの場合は、BBCの人にささやきかけられても結果は同じだろうから、言えたものではない
ことは間違いないので、このへんにしておこう。
さて、「こいつそろそろあきらめつつあるな!」と、感じられるするどい方もおられるとおもうの
で、なんでこんなことをいい始めたかという話に移ろう。
日本から持ってきた本と、インターネットを参考にして、ついに面白そうな学校をみつけた。
わたしが非常に行きたかったイギリスの南西、アガサ・クリスティーの故郷に近いTorbayと
いうところにある語学学校である。クリスティーの故郷あたりを訪ねるということも英国行きの
目的のひとつであるから、住むとなるととても楽しみである。
この学校に50ポンドの前金を振り込まねばならないことになった。
どこの銀行でもやってくれるやろと、いつものように散歩がてらに中心部まで歩いていって、一番
はじめに見つけた銀行に入る。
受付に感じの良いおばさんがいたので、その人に学校からきたメールのコピーと、振込み先を書いた
申し込み用紙と、振込先部分の拡大コピーを渡して、
「ココニでぽじっとヲ、ハライタイアル」
と言ってみた。
さて、おばさんはにこりと笑っておくに引っ込んで数分後、
「あなたは銀行に口座を持ってますか?」
「ナイ!ゲンキンアルヨ」
「残念なことにここでは受け付けられません。でも、ポストローダーというサービスが郵便局に
行けばあるから、それを使ったらよいですよ。郵便局はあっちいって...の右よ!」
え!、イギリスの銀行というのは振込みもしてくれんのかいな!!?
ここで頭の良い人ならいろいろなことを考えるのだろうが、わたしはトロいので「ポストローダー」
なるものを買ってくればこの銀行でなんとかしてくれるのだろうと考えた。ポストローダーって、
きっと郵便小為替のことだろうと推察しながら教えてもらった郵便局へむかう。
またしてもトロいわたしは、道に迷ってしまう。そりゃ、あそこを右で左でと英語で言われて
覚えているのなら、英語学校に行く必要はない!
(開き直っておらんと、地図くらい書いてもらいなはれといわれそうですね。)
しばらく「振込みができんってほんまかいな」という思いを胸に、郵便局もそうだが他の銀行を
探してたが、ちゃんとひとのいる銀行がみつからない。
しゃーないとおもって、ショッピングモールに警察があるのを知っていたので、いって聞いてみる。
なんと郵便局はショッピングモールの中にあった。そりゃ、説明がややこしいわけや...
そして、警察にもらったモールの案内によると、郵便局の近くに目的の銀行の支店があるのを発見!
やった!これで片付くわいなと、もちろん郵便局ではなくそちらへでかける。
さて、銀行にやってきて、列に並ぼうとすると、若いお姉さんが、「なにか御用あります?」と
きたので、これは幸いと前の銀行と同じようにコピーを見せて、50ポンド払いたいといってみた。
しかし、そのお姉さんは、「今日がわたしの始めての仕事なんでよくわかりませんから、列に
ならんで窓口できいてみてください」みたいなことを言う。おいおい、振込みってそんなにむつか
しいことなん??
しばらく列に並んで、順番がやってきた。恐る恐るガラス越しに、書類をみせ、50ポンドを払いたい
ことを言ってみる。
答えは、「できません!」
なんじゃそりゃ?
その男の人は、口座がないとどうしようもないみたいなことを言ってる。不幸にしてその人の言う
ことが、今日一番わかりにくい。しばらく粘ったが、他にも並んでいる人がいるので離れる。
おいおい、そりゃないでしょが...
郵便小為替なら送らないとあかんし(この時点で、前の銀行の人が言ってた事がようやく理解でき
た。要するに郵便小為替にして送れといってたわけだ)、それじゃ向こうに着くのがえらい遅く
なるし...ま、しゃーないからとりあえず保険の意味でも郵便小為替を買っておくか!
郵便局はとても込んでいた。銭金の話やからとすいてるガラス越しの窓口が正解かと思い、行って
みると、「ポストローダーはあっちにならんで」と混雑してる列を指差す。
しばらくならんで順番がやってきた。「次の方4番にどうぞ」と機械が言う。
4番の窓口には、漁師を40年くらいやっていたかのような、いかにもといった強面のおじさんが
いた。さて、ポストローダーの話をすると、ぶっきらぼうに「なんでそんなもんがいるんや!
その口座は海外か?違う?ほなら銀行に行けばええやんけ!(ここはまったく大阪弁が似合う)」
わたしは、「ヘンダトオモウケド、2ツノギンコウデソウイワレタ」といったら、しぶしぶ売って
くれた。手数料込み53.4ポンドの郵便小為替には、「Postal Order」と書いてある。
つまり、「ポストローダー」ではなく「ポスタルオーダー」だったのである。
その昔、神戸の布引の滝で案内をしていた人は、「ウオーターフォール」なんていわずに、
「綿放る」といっていたという話がある。「ラムネ」「メリケン粉」など、つづりではなく耳から
入ってきた言葉のほうが、英語のひとには通じやすいというが、今回も「ポストオーダー」は、
誰も間違わなかった。他のショウもない言葉はぜんぜんわかってくれないのに...
「綿放る」を笑うことなぞ今後できない。
さて、郵便局を出たわたしは、いすにとりあえずへたり込んで考え始めた。
さっきのおじさんの話をである。
「外国じゃないんやろ?か...」
もしかしたら、あの銀行の人たちはみなペイントンという銀行のある場所を外国と間違ったんじゃ
ないかと気がついた。どこそこ語学学校なんて名前を見れば、現地人はまさか英語の勉強に行くと
は思わないのではないか?それなら、振込みは外国だと思うかもしれない。
わたしは、ここであのボロホテルでの出来事を思い出した。
その出来事とは、ここに書いたと思っていたがどうも書いていないようなので紹介しておくと、
あまりに部屋にいろいろな問題があるが、なんせ言っても聞いてもわからないので、
「わたしゃ英語を聞くのもいうのもさっぱりあかんが、書くのと読むのはそれよりゃまし!」
から始まる文章を書いて出して、いくつかの事がうまくいった経験のことである。
やおらペンを取り出して、振込先の拡大コピーをした紙に、「わたしゃ英語よくわからん!」から
始まる説明を書いた。「この支店はあんたんとこの、国内の支店なんよ!」ということを強調して。
さて、銀行にとってかえし、列に並んで順番を待つ。さっき「あかん!」といった人はまだ仕事を
している。この際、同じ人に当たるのと違うのとではどちらが良いか?などと考えながら待っている
と、違う人のところに割り当てられた。
ガラス越しに「コレヨンデチョウダイ」と、いいながらさっきの紙を差し出す。
「OK!」といって、ざーっとよんで一言。
「ノープロブレム!50ポンドいただきます。」
「エ?ホカニイラナイノ?」
「いりません。ハイこれレシート」
「チョットマッテ!ナマエヲイレテ」
「あ、じゃぁキャンセルするね。名前をこの紙に書いてください」
「ハイ、コレ」
「じゃ、これがレシートです」
何のことはない!手数料も取られなかった。このへんがいまだに怪しいが、手元にあるレシートには
相手先の口座番号がちゃんと書いてあるし、わたしの名前も飛んでいったことだろう。
メモ作戦の大成功によって、ついに前金を払うことができたのである。
なんという低次元な話をしていることだろうか?
しかし、ほんとおおまじめにこんな調子のことをやっているのだ。
郵便局にとって返して、列にならんだ。今度はあの「おっちゃん」にはあたらなかった。あたっていたら
おたがい気まずかっただろう。なにしろ、一番初めにこの話のおかしさを指摘してくれたのが、おっちゃ
んで、郵便小為替を売ってくれたのもおっちゃんなのだから。
窓口の人に「さっきのいらなくなった」といったら、「手数料は返りません」といわれた。しゃーないと
おもって、どうするのか聞いたら、その場でサインしてくれという。つまり、小為替を使ったことにして
返金をするというわけだ。
「イマ、ツカウノネ」
といったら、「オー、ディア!」(これは、なんてこと!みたいな感じで女性が良く使う。)といって
いた。
この冒険の手数料は3.4ポンド。つまり700円というわけである。
今後は、こういったややこしい??話のときは、メモを持っていこうとおもう。
そこでひとつ変なことを思った。
わたしはこの「英語できまへん」作戦で2度うまくいったが、どちらのケースでも文章を読んで了解した
あとは、英語でまくし立てられた。ホテルのケースは、その立ち往生振りをみて、そのあとで文章を書いて
くれたのではあるが。
どうも、こちらの人は、「読み書きができて、しゃべれない」人の想像がつかないのではないか。
たしかに書いてる言葉も変には違いないが、少なくとも結果がこちらの意図と遠くないところをみると、
文章のほうがわかりやすいらしい。それならば、文章にして返してもらえば、もっと楽にやりとりできる
のに...
たしかに、文章を書くということは少々手間であるから、その手間がややこしいのではという悪意の想像も
可能といえば可能であるけれど、今のところわたしは、彼らはしゃべり言葉が一番通じると思っていると
いう考え方に一票といきたいのである。
日本人なら、書いてこられたら書いて返しますよね...
この辺もきっと「おさかさま」の世界なんでしょう!
さて、それでは画像を少々。
これはRoundaboutといって、英国の方向転換のための仕組みである。
このような小さい奴から、高速に設置されている大掛かりなものまでいろいろあるらしいが、この
Milton Keynes という町は、英国でももっともこの構造が多い町と聞いている。
基本的なルールしかしらないのだが、なんせ右から来る車が優先、また、ループの中にいる車が優先らしい。
しかしながら車に乗せてもらっていると、いまだに左から車が出てきそうで怖い。
その話を現地人にすれば、タクシーの運転手を含めて「保険があるから大丈夫」と一様に同じことをいう。
経験者はすぐなれるというが...これはいまだに怖い。
つづいては、最近この手の美しい風景には慣れてしまったものの...
今後も綺麗な景色を探していきたいと思います。
右側の写真は、いわゆる建売住宅みたいな感じで、あと幾つなんて看板が出てます。
これも、「想像」に過ぎないのかもしれませんが...いかにもそんな感じでした。
と、いうわけで、英語はほんとむつかしい?とは関係ないかもしれませんがの一席でした。
来週のいまごろは、Torbayのホテルにいる「はず」です。
2004年1月26日から27日まで
ロンドンに行ってきました。
ここをクリックしてください。「ロンドン強行軍」に飛びます。
2004年1月28日から31日まで
いよいよ「事情」も終了し、もはや慣れてきたともいえる Milton Keynes を離れることになった。
行き先は、グレートブリテン島の南西に位置する、 Paignton という観光地である。
31日に出発し、300kmほどと思われる移動はレンタカーを利用することにした。
レンタカーは、インターネットで探し、前に出てきた Vauxhall(オペルの英国名と思われる)の Corsa
なる日本ならマーチくらいの車を借りることにした。 Paignton では乗り捨てられないようなので、近くの
Plymouth に返す形にしてもらう。日本なら転送費用が取られるところだが、この契約では転送費用はかから
なかった。2日間保険込み(免責500ポンド)で129.46ユーロだから、少々高いきもするが、他に
代替案もなく、あまり時間もないので契約する。
代替案といえば車を探していたが、これはちゃんとした住所がないと保険に入りにくいことがわかったので、
アパートにでも住むときまではあきらめることにしてあきらめた。
ところが出発まであと3日とせまった28日の夕方に、この地方としてはめずらしいらしい「積雪」があった。
車にスノータイヤなんて履かせているひとはほとんどないらしく、その晩と翌日大騒ぎになった。
わたしも、イギリスの運転初心者として、はやく溶けてもらいたいもんだと大変気をもんだのである。
なにしろ、雪よりも怖いのは凍結である。
翌日、台風一過のような好天となった。これは一番まずい。いわゆる放射冷却というやつで、気温が下がる。
案の定、道は車によって少し雪が溶け、そして固まった氷がまるでスケートリンクのように張り巡らされていた。
しかし、土地の人はめずらしい積雪に、公園に行ってそり遊びをしている。
さて、ここでまた自分のキャラクターというものについて疑問の残る事件が起こった。
まったく個人的な話を書くことをお許しいただきたい。
雪を踏みしめながらいつものように散歩をしていると、一台のBMWがスタックしていた。滑って発進できな
いのである。運転席ではインド人風の男性が一人雪と格闘していた。しかし、おそらく雪の経験がまったくない
とみえて、ひたすらアクセルを踏んで空回りさせている。
雪でタイヤがすべるとき、アクセルを踏み込むのはおろか以外の何者でもない。
これはF1の車が発進するときに、あまりの大出力にタイヤが負けて空回りするのを抑える、トラクション・
コントロールを装備しているのと同じ理屈である。空回りし始めると、タイヤはまったく役に立たなくなるのだ。
なんとかして、タイヤの溝に地面がひっかかるように、ゆっくり回さないといけないのである。
さて、やおら車の後ろに現れたわたしは、この車を押し始めた。
しかし、滑ってるくらいの路面であるから、靴だってすべる。なかなか押せない。
それに、一生懸命アクセルを踏むからさっぱり進まない。あたりにはゴムの焼けるにおいがし始める。
氷に滑ってあの匂いとは変な感じがした。
わたしは、「アクセルをもっとゆっくり踏んで!」といおうとするのだが、いつものカタカナ英語で表すことも
できないほど言葉がでてこず、ぎゃーぎゃー騒いでいたら、ちょっと理解できたみたいで、ゆっくり踏んでくれる
ようになった。しかし、発進しない。ほんとうに高級車はこういうとき困る。重たいので押すにおせないのだ。
そこにまたしてもインド人らしい女性が現れた。彼女はこの車の少し後ろ。つまりわたしがいるすぐ後ろの車の
持ち主で、彼女の車を別の場所に移動させ、彼にちょっとバックするよう指示してから言った。
「アクセルをもっとゆっくり踏んで。もっともっと!」
(日本語で書けば簡単だが、これが出てこないから困っていた。)
彼女は、こういう場合の対処法を知っていたのである。
そこで先ほど書いた問題が発生する。
彼女は彼に指示を出そうと前に一歩踏み出して、滑って転んでしまったのだ。
どう見ても、しこたまひざを打ってしまったようにみえた。
わたしは、
「ダイジョウブ?」
とだけ言って、なお車を押していた。
彼女は「大丈夫!」といってすぐ立ち上がった。
程なくして車は発進に成功し、彼は先にあった駐車スペースに車を止め、彼女は自分の車に戻り、去った。
わたしは、そのまま何事もなかったように歩き始めたのである。
さて、そこで少々考え始めた。
さっきの女性が転んだとき、わたしはまだ車を押していたが、それでよかったものか?
どう考えても、あの高級車を押すことより、しこたまひざを打った人を助けに行くのが正しいのではないか?
機転がきかないというのはこういうことを言うと思う。
どうもわたしは、この手の機転がきかないようである。特に人が絡むとだめなようだ。
もちろん相手が高級車であったから押して、片や自分には縁のなさそうな女性だったから助けなかったという
のではない。
きっと、トラクターを押している横で、オードリー・ヘップバーンが転んでも...
いや、冗談で書こうとしたが、そのシーンを想像すると、どうも今度と同じ行動をしていそうなのである。
車が発進したあとは、定かではないが...きっと、それも同じだろう...
わたしの友達の中には、こういった「やさしさ」をさっと行動に出せる人がいる。
普段非常に人見知りであるのに、人のアクシデントには別人のようになる。
それこそ本物の「やさしさ」ではないかと思っているが、真似ることはなかなか難しそうだ。
ともかく、こういった「事件」を心に留めておけば、少しずつでも進歩できると思うのだが。
学校に行くことに決めたら、気分まで学生のころのようになってきたようだ。
あのころは、本当に自意識過剰で、かつ自分というものが大嫌いという厄介な状況に悩み続けた。
「自分に自信というものが持てれば」
というのがいつも課題だった。
ポルシェを持っていたのも、そういった課題を克服しようとしたひとつのアイテムだった側面もある。
超高級車は、いろいろな意味で満足を与えてくれたが、しかし、この「自信」というものまでは与えては
くれなかった。
しかし、この課題は神様という存在を認識したことで、あっというまに吹っ飛んだ。
「自分は神様に目的をもって生かされている」
と信じてしまえば、あとは自信がどうとかとか、自分が嫌いもなにも関係なくなってしまった。
ところが、これでは「他人」の入り込む隙がない。
他人は他人で「目的を持って生かされている」わけだから、それでよいといえばよいのであるが、
人は人と付き合わないと生きてゆけない。
カナダで神様と出会うことができた。
今回の事件をきっかけに、「他人」という存在を勉強することができればと思いはじめた。
こんなことを考えているのも、この英国での数日、自分としか対話しないことがあったからだろうか。
18歳のときから一人暮らしをして、もう20年以上ほぼ一人で生活してきたが、この英国での「一人」
は、言葉が通じないあるいは、通じにくいということもあって、ほんとうに一人である。
アメリカを走り回ったときは、目的があるから精神的なことなんて考えている時間などなかった。
しかし、この英国では、「事情」のない日は一人であり、また、日中は部屋にいるより外を歩くことに
していたから、何がしか考えながら歩く。
だからこんな調子になってしまうのだろうと思う。
ほんとうに贅沢な時間だと思うので、大事にしたいものだが、学校が始まるとどうなるかわからない。
さて、いつもの調子に戻そう。
Milton Keynes にきて数日、毎日強風と小雨が降り続き、それが英国の天気だと合点していたが、ごく
普通の雨の日もあることを知った。当たり前のことだろうが、第一印象とは恐ろしいものだ。
クリスマスの日に閉まっていた駅、ここもロンドンへ行ってからは、不思議な存在ではなくなった。
毎日のようにやってきたショッピングモールもこれが最後となる。
フードコートがないと書いたが、形こそ違え、この一角は明らかにフードコートである。
ただ、こればかりはカナダのように、オープンの店が立ち並んでいて、勝手にいすに座る形式のほうが
自然でよい。
右は、毎日のように買い物に来た Sainsbury's であるが、この名前、最後まで覚えられなかった。
はじめてみたときは、
「これだけの強風が吹くからあんな形をしているのだろう」と思っていた建物。(ほんとです)
実は、室内スキー場だった。
そして、わたしと大荷物を Paignton まで運んでくれるだろう車である。
ちゃんと読んでいただいたかたは、これは車が違うと気がつかれたかたもいらっしゃるかもしれない。
レンタカー屋いわく、わたしの選んだ車がちょうどないとのことで、一ランク上の「ASTRA」を
貸してくれたのである。
このホテルまでの道々、恐る恐る運転してきたが、なかなか良い。
これならば300kmそこらの道は、そんなに苦しくなさそうだ。
朝9時、ホテルを出発して、南へ向かう。
雨が雪や氷を洗い流してくれている。これで心配も少なくなった!
ありがとう Milton Keynes !!
いろいろな経験をさせてもらいました。
またくる日まで!!
さて、これで Milton Keyens 編は終わりである。
続いて、 Paignton 編をスタートさせるので、ご興味のある方はごらんいただきたく思う。
最初から、「この土地にあまり歓迎されてない」ようなことばかり起こっているので、この先とても
心配である。
それは、この次ということで。
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